カテゴリ:勉強のこと( 171 )

書くことは考えること

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本州の方には申し訳ありませんが、
昨日からの雷雨、
ようやくおさまったご様子。
ふぅ~。



小学生の頃、作文や読書感想文を書くのが大嫌いでした。
宿題に出てもいつも後回し。
提出日ギリギリになって、無理矢理、行を埋めるように書いていたのを憶えています。

中学校では、「三行日記」(のようなもの)を提出するという課題がありました。
三行程度の日記を毎日書いて、翌日の朝に提出。
先生はそれをチェックして、ひと言コメントを添えて帰りに返却、といった感じです。

最初はとても苦痛でした。
「毎日毎日書くことなんて、そんなにないよ」と思いました。
課題だからしかたなく、イヤイヤ書いていた部分が多かったと思います。

ただ、後で先生に教えてもらいましたが、
三年間、毎日欠かさず提出し続けたのは、
クラスで私ひとりだけだったそうです(ちょっと自慢!?)。

あの頃は、イヤイヤ書いて(書かされて?)いましたが、
今思えば、あの課題があったからこそ、
今はさほど書くことを苦痛に感じなくなったのではないかと思います。

先生からのコメントに励まされたり、いい言葉や諺を教えてもらったり、
そういったことがあったから、書き続けることが出来たような気がします。

まあ、そういった意味では、このブログも一緒ですよね。
いつも読んでくれる方がいて、コメントをくださる方がいる。
だからこそ、書き続けることが出来る、そう思います。

あっ、話がちょっと逸れたので修正しますね。

人間は、書く前に考え、書きながら考え、書いてから考えます。
つまり「書くことは考えること」だと思います。

「頭でゴチャゴチャ考えるのではなく、手を使って考えろ!」

私がよく子供たちに言っている言葉です。
成績のあまり芳しくない生徒ほど、手を使っていないことが多いです。

頭の中だけで、「ああでもない、こうでもない」と悩んでいても、
頭が整理されることはないと思います。
自分の思いや考えを、文章にしたり図式化したりすることで、
はじめて自分の知識になると私は思っています。

教科書を何時間も眺めたところで、テストの成績は上がりません。
それは、テスト勉強とは言いません。

「勉強したのに成績が上がらない」という生徒の中には、
こういった生徒が、意外と多いような気がします。

自分の手を使って何度も書いて、頭ではなく体に覚えこませる。
そういった過程を経て、はじめて自分の知識になるのではないでしょうか。

漢字や英単語も、ただ覚えればいいというものではありません。
覚えたら、使えるようにならなければ意味がありません。
そのためには、自分の言葉で文章を書くクセを付けること。
やはりこれが一番だと思います。

「書くことは考えること」

これからも私は、書く前に考え、書きながら考え、書いてから考える。
この作業を出来る限り、続けていこうと思っています。
「継続は力なり」ですからね。

というわけで、みなさん、これからもよろしくお願い致します。
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by sawayoshi45 | 2006-07-18 23:59 | 勉強のこと | Comments(10)

カンと当てずっぽう

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昨日までとはうって変わって、
今日はとても暖かい1日。
ようやく衣替えできそう?




「この問題、どうやって解いたの?」
「いや、何となくカンで・・・」

子供たちとのやり取りで、よくある会話です。
まあ、子供たちの気持ちがわからないわけではありませんが、
「なぜそういう答になったのか」をきちんと説明できない限り、
私は「わかった」とは認めないようにしています。

子供たちの使う「カン」とは、それこそ「カン違い」。
「どれにしようかな・・・」式の単なる「当てずっぽう」に過ぎないことが、
多いのではないかと思います。

わからないところは「当てずっぽう」で、とりあえず穴を埋める。
こんなやり方をしている限り、何時間勉強しようが、いくら宿題や問題集をやろうが、
力がつくことはないと思います。

ひと言で「カン」と言っても、
例えば、サッカーをしているときのプロサッカー選手の「カン」と、
私たち素人の「カン」は、まったく違っているはず。

私たち素人は「あそこで、ああしていれば・・・」などと好き勝手なことを言って、
勝手に評論家になりがちです。

でもそこは、現場で実際プレーしている選手にしかわからない「カン」というのがあって、
その場にいない素人には、絶対わかり得ない領域のもの。

クイズ番組などでも、クイズ王と呼ばれているような人たちの言う「カンで選びました」と、
私たちの普段よく使う「カン」がまったく違ったものであることも、明らかですよね。

つまり、「カン」とはそれ相応の努力を積み重ねてきた人だけが、持ち得るものであって、
さほど努力をしない人間が使う「カン」とは、
本当は「カン」ではなく、単なる「当てずっぽう」に過ぎない。
このことをハッキリさせる必要があるかと思います。

試験本番。
選択問題。
どれが答えか迷う。
ここまでは誰にでもよくあること。

でも、そこからが本当の「カン」の見せ所。
自分なりの根拠を見つけて、
「これはここが違うから」と答えを絞っていきながら選んだ答えと、
「面倒くさいから、何となくこれでいいや」と選んだ答え。

どちらの正答率が高くなるか、言うまでもないことです。

まあ、早い話が「鋭いカン」を養うためには、
結局、普段の勉強に対する姿勢がモノをいう、というごく当たり前の話を書いてみました。
「カン」と「当てずっぽう」は区別しときましょ!

ところで、女性の「鋭いカン」も、やっぱり努力の賜物?
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by sawayoshi45 | 2006-06-13 23:59 | 勉強のこと | Comments(6)

禁勉デー

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いよいよ明日はオーストラリア戦。
楽しみ、楽しみ・・・。
にわかサッカーファンのサワダです。




さすがにテストや受験前となると、そういうわけにはいきませんが、
私は週に1回ほど「禁勉デー」というのを設けていました。

たいていは日曜日をその日にしていたのですが、文字通り「勉強しなくてもいい日」。
この日だけは、「勉強をせず好きなことをして遊んでもいい日」と、
自分で勝手に決めて過ごしていました。

これはモチベーションを維持するための、私なりの方法でした。
基本的に「怠け者」の要素をたくさん持っている私。
毎日毎日同じような生活をしていては、徐々にトーンダウンしてきて、
つい「怠けグセ」が出てきてしまいます。

ですから私にとって、「禁勉デー」は、
そうならないための「小さなご褒美」といったところでしょうか。

その日だけは、何をしてもいい。
何も考えずに、好きなだけ遊びたい。
だから、その日までにやるべきことはやっておかなければ・・・、
といった感じで、自分を律するようにしました。

後に残された「地獄(?)の時間」を気にしながら遊ぶというのは、
いまいち気分が乗らないものですからね。

ですから、宿題は前の日までに終わらせます。
普段はギリギリまで寝ているくせに、
その日だけはいつもより早起きして、遊びにでかけてしまう現金なヤツでした。

毎日毎日同じリズムで生活するのもひとつの方法だと思います。
「勉強の習慣」を身に付けるためには、有効な手段だと思います。

でも、私のような「飽きやすい」性格の人間には、
ちょっとリズムを変えた生活を加えてやるのも、新鮮味があっていいかもしれません。
「メリハリをつける」ってやつですね。

「休みがあるから怠ける」のではなく、
「休みを満喫するために今を頑張る」といった、ちょっとした発想の転換です。

私のやり方が参考になるかどうかはわかりませんが、
「なかなかやる気が起きない」といったお子さんには、
一度試してみる価値はあるかも・・・。

と、何だかエラそうに書いてきた私ですが、
今では「禁勉デー」というよりも、
「禁遊デー」の必要性を感じている今日この頃でございます。
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by sawayoshi45 | 2006-06-11 23:59 | 勉強のこと | Comments(2)

練習は本番のつもりで、本番は練習のつもりで

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教え子のひとりがカラスにフンをかけられたそうな。
「ウンがついて良かったじゃん!」
と笑って帰ってきたけど、
よく考えてみたら、試験終了後。
せめてあと2、3日早ければ良かったのに・・・。





「練習は本番のつもりで、本番は練習のつもりで」
ハンマー投げの室伏広治選手の言葉で、私の好きな言葉のひとつです。
さすが「一流」の選手の言葉、学ぶことが多いですね。

「どうせ今は練習だから・・・」。
私たちはついそう思って、自分を甘やかしてしまいがち。
もちろん、私も例外ではありません。

勉強でも仕事でも、心のどこかで、
「まあ、これぐらいでいいか」と思っている自分に、気付くことがあります。
でも、これはやはり心のスキであり、油断なんですよね。

練習で出来ないことが、本番でできるわけがない。
でも、いくら練習で出来ても、本番で緊張しまくっていたら、力を出し切れない。

だから、本番で十分な力を発揮できるように、
本番のつもりで練習をし、いざ「本番」というときは、肩の力を抜いて臨むことが大切。
ということを、この言葉は教えてくれているのではないかと思います。

札幌の公立中学校は、もうすぐ定期テストが始まります。
よく「私は本番に弱いから」とか「○○は本番に強くていいなあ」といった言葉を、
子供たちの口から聞くことがあります。

でも、「本番に強い人」というのは、「本番以上に練習を積んでいる」から強いだけ。
練習もしないで、「本番だけ強い人」がいるわけではありません。
このことを、子供たちにもわかって欲しいなと思います。

「練習は本番のつもりで、本番は練習のつもりで」

練習を十分にやってきたという自信があるからこそ、
本番を練習のつもりで臨むことができる。
ぜひそういった経験を、子供たちにもして欲しいと思っています。

でも、やっぱり「本番」となると、ちょっと緊張しますよね、ふつう・・・。
その緊張感さえ楽しめるようになれればいいんですが、これがなかなか・・・。
私自身、まだまだ「一流」には、ほど遠いようでございます。
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by sawayoshi45 | 2006-06-08 23:59 | 勉強のこと | Comments(2)

わからないところがわからない

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SHINJO選手が、
札幌ドームで、ビックリパフォーマンス
観に行きたかったなあ・・・。




私は授業の始めによく、
「学校の勉強などで何かわからないところはある?」と子供に聞くようにしています。

そのときに、
「この問題なんだけど、自分はこういうふうに考えてこうやって解いたんだけど、
解答にはこう書いてあって・・・」と言ってくるような生徒はまったく心配ありません。
極端な話、こちらが何もしなくても勝手に伸びていってくれる生徒だと思います。

問題なのは「いや、特にありません!」「大丈夫です!」と言ってくる生徒。
こういった発言の多くは「わからないところがない」ということではなく、
「わかったつもりになっている」あるいは、
「わからないところがわからない」状態だと思います。

また、こういった生徒の多くは、テスト前になると、
「数学はバッチリなんだけど・・・」といった発言をよくします。
私からみれば、全然バッチリじゃないはずなのに・・・。
やはり考えが浅はかとしか言わざるを得ません。

ただ、これは学校の勉強の範囲内のことであれば、さほど問題ないのですが、
結局のところ、オトナになってからのその人の生き方にも、
大きく影響するのではないかと思います。

つまり、「勉強の習慣」がしっかり身についている人は、
仕事においても、生き方においても、自分の「わかるところ」と「わからないところ」、
あるいは「出来ること」と「出来ないこと」の見極めがしっかり出来るようになると思います。

仕事や人生で苦しんだり、悩んだりすることがあっても、
その苦しみや悩みと上手に付き合いながら、
自分なりの解決策を見つけようと努力できる人だと思います。

一方、「勉強の習慣」が身についていない人はどうでしょう? 
「オレはいつか大きい仕事をする」
「いつか大金持ちになってやる」と大きい口をたたく割には、
その具体的な方法を何も考えていない。

「万能感」ばかりが強く、自分に「出来ること」と「出来ないこと」の見極めが出来ない。
うまくいかないのは自分のせいではなく、自分の良さを認めない世間が悪いから。
だから、今はとりあえず世間が自分の良さを認めてくれるまで、ニートでいいか。
そういった人間になってしまう可能性が高くなってしまうのではないかと思います。

もちろん、これは極端な例を出しただけであって、
「勉強をしなければそういった人間になる」と言いたいわけではありません。

でも「関数が将来役に立つか」とか、
「外国に行かないから英語をやっても意味がない」ということではなく、
「勉強の意味」というのは、実はそんなところにもあるのではないか、そんな気がします。
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by sawayoshi45 | 2006-06-06 23:59 | 勉強のこと | Comments(8)

やりっぱなし勉強

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暖かい1日でした。
札幌もいよいよ夏到来!
となればいいんですが・・・。



学校でも塾でも、きっと多くの先生方は、
授業で教えたことを定着させるために、宿題を出します。
私も教えた内容を問題演習で確認してもらうために、宿題を出します。
でも、宿題は「ただやりさえすればいい」というものではありません。

宿題を通して、自分の「わかるところ」「わからないところ」を確認して欲しい。
宿題を通して、「わからないところ」を調べたり考えたりして、
自主的な勉強方法を身に付けて欲しい。
そういう願いを込めて出します。

でも、教える側のこの思いは、なかなか子供たちに伝わりにくく、
もどかしい思いをすることが正直多いです。

私 「ここ、空欄だけどどうしたの?」
生徒「いや、わからなかったから・・・」
私 「この問題のどこがわからなかったの?」
生徒「この単語の意味が・・・」
私 「なんで辞書で調べないの?」
生徒「・・・・・・」

こういった会話、今まで何度交わしてきたことかわかりません。
こういった勉強の仕方を、私は「やりっぱなし勉強」と言っています。

自分のわかる部分だけを埋めて、
ちょっとでもわからないところがあれば、空欄のまま。
「あとは先生に教えてもらえばいいや」といった感じ。

まあ、まったくやらないよりはよっぽどマシですけど、こういった勉強をしている限り、
本当の意味での学力向上は期待できないと思います。

「問題の解き方」を覚えるのもいいですが、
その前に、「勉強に対する姿勢」を今一度見直す必要があるのではないでしょうか。

「苦しむ手間」を省いて得た知識は、その場限りのものであって、
結局自分のものにはならないと私は思います。
お子さんの勉強、「やりっぱなし勉強」になっていないでしょうか?
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by sawayoshi45 | 2006-06-04 23:59 | 勉強のこと | Comments(8)

タラレバ

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盗作した作品で、地位と名誉を手に入れちゃうって、
どんな気分なんだろう?
きっとバレるまでビクビクものですね。
私だったら耐えられないな。
バレてよかたね、和田さん




プロ野球中継を見ていると、解説者がよく「野球に『タラレバ』はありませんが・・・」
といった言い方をしているのを耳にします。

「タラレバ」とは、作戦が裏目に出たときなどに、
「あの時、もしこうしていタラ(レバ)、成功していたかも知れないのに・・・」
といった後悔に使われることが多いようです。
英語で言う「仮定法」ってやつですね。

でもこの「タラレバ」。
野球に限らず、私たちは普段からよく使ってしまいがちですよね。

「もっと勉強していタラ・・・」
「もっと早くから練習をやっていレバ・・・」
「あのとき、違った道を選んでいタラ・・・」

正直、私も今まで何度思ってきたことかわかりません。
でもやっぱり「過去と他人は変えられない」。
何度後悔したところで、結果が変わることはありません。

「変えられないこと」をいくら悩んでも仕方ありませんよね。
変えられるのは「今の自分」と「これからの自分」だけ。
少しでも前向きに考えるしかないと思います。

試験や受験が近づいてくると、必ずといっていいほど、
「あぁ、もっと時間があっタラ、いいのに・・・」
「1日が48時間あレバ、いいのに・・・」といった言葉を子供たちから聞きます。

気持ちはわからないでもありませんが、
きっともっと時間があっても、1日が48時間あっても100時間あっても、
結果はさほど変わらないはず。
なぜなら、それは時間の問題ではなく、本人の心の問題だからです。

野球に「タラレバ」がないように、勉強にも人生にも「タラレバ」はありません。
何度も言いますが、変えられるのは「今の自分」と「これからの自分」だけ。
「過去」を後悔している時間があったら、
1問でも多く問題を解くことを考えたほうが得策だと思いますよ!
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by sawayoshi45 | 2006-05-31 23:55 | 勉強のこと | Comments(0)

わかるの早過ぎない?

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「ニワトリが先か、卵が先か」。
とうとう結論が出たそうな。
「卵が先」だそうです。




「あっ!そうか、わかった!!」

教える側の人間にとっては、とても心地良い言葉ですよね。
子供たちからこの言葉を聞くために、日々頑張っておられる先生方も多いと思います。

でも、この言葉を真に受けて、教える側が、
「よし!これで大丈夫だ!」と思ってしまうのはとても危険です。
「わかるのが早すぎる」生徒ほど危険だと思います。

私の今までの経験では、学力の高い子ほど、簡単に「わかった!」とは言ってくれません。
教わったことを、自分の頭で整理する作業をするので、
「わかった!」となるまで、多少時間がかかります。

納得できないところは、とことん質問してきますし、
たまに「教師泣かせ?」の鋭いところをついてくることもあります。
でも、その分、いったん「わかった!」となると、
忘れることなく、確実に自分のものにしてくれます。

一方、すぐに「わかった!」と言ってくる生徒。
教える側からすれば、とても反応がいいので、つい教え過ぎてしまいがちです。
過去の私も、よくやりがちでした。

でも、教えた(つもりの)割には、1週間も経つとすっかり忘れてくれています。
宿題を出しても、「やっぱりわかりませんでした」といって空欄ばかり。

教えた側にすれば、
「あんなに教えてあげたのに・・・」とちょっと腹立たしい気分になることもあります。
人によっては、それが憎しみに変わることまであるようです。
恐ろしいことですよね。

子供が「わかった!」というとき、教える側は「意味がわかってもらえた」と思いがちです。
でも、子供の「わかった!」には、大きく分けてふたつの意味があると思います。
「意味がわかった!」と「解き方がわかった!」です。
この見極めがとても大事だと思います。

学力の高い子の「わかった!」は「意味がわかった! 納得した!」という意味ですが、
子供によっては「解き方がわかった」ことを「わかった!」と勘違いしてしまう子供がいます。

これは「わかった!」のではなく、「わかったつもり」になっているに過ぎません。
ですから、時間が経てばすぐに忘れるし、
少し問題にひねりを加えただけで、「わかりません!」になるのは当然のことだと思います。

まあ、早い話が「考えていない」ということですよね。

覚えて知識を増やしていくことは大切なこと。
でも、それだけでは「宝の持ち腐れ」に終わります。
自分の頭で考えながら、その知識をつなげていく。
そうやって、苦しんで得たものでない限り、知識は絶対に定着しないと思います。

「わかるのが早すぎる」生徒は、要注意です。

といっても、なかには本当にすぐにわかっちゃう人もいるようですが、
まあ、そういう方は例外と言うことで・・・。
あくまで私のような「凡人レベル」での話でございます。
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by sawayoshi45 | 2006-05-28 23:59 | 勉強のこと | Comments(4)

引っかけ問題?

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レイ・チャールズの生涯を描いた映画「Ray」。
昨日DVDを借りてきて観ました。
「音楽の天才」も私生活ではいろいろと・・・、
これも「正負の法則」ってやつかなぁ?



子供たちはよく「引っかけ問題」という言葉を使いたがります。
自分が間違った問題に対して、
それは自分の知識不足のためではなく、問題自体に問題がある。
つまり、自分はその問題に「引っかけられた」という言い訳ですね。

でも実際「引っかけ問題」とうのは、存在しないと私は思っています。
「引っかける」つもりで作られた問題なんてほとんどないはず。
きちんと勉強してさえいれば、「引っかかる」はずがありません。

つまり「引っかかった」と思うのは、問題が原因なのではなく、
それを見抜けなかった本人の勉強不足が原因だということを、
私は子供に言い聞かせます。

そして話は発展し、いつものように「精神論」に向かいます。

社会に出ると、あらゆるところから「魔の手」が伸びてきます。
そこから自分を守るのは自分しかありません。
子供であれば、最終的に親が守ってくれるでしょうが、
オトナになれば、そういうわけにはいきません。
その「魔の手」に「引っかからない」だけの知識を身につける必要があります。

「引っかかって」しまってから、「引っかかった」と気付いても後の祭り。
自分が思っているほど、世間は甘くはありません。
いくら「引っかけた人間が悪い」「世間が悪い」と訴えたところで、
自分が被った損失が埋められることはまずありません。
ちょっと冷たい言い方かもしれませんが、それが世の中の現実です。

だから私たちには勉強が必要なのだと思います。

「勉強なんて将来何の役にも立たない」と言って、
将来「引っかかりやすい」人間になるか。

それとも「引っかかりにくい」人間になるために、
今しっかり勉強して知識を身に付けておくか。

どちらを選ぶかはあくまで個人の自由ですが、
少なくとも私なら、後者の人間になりたいと思うのですが・・・。
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by sawayoshi45 | 2006-05-27 23:59 | 勉強のこと | Comments(0)

英語と日本語

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マンションの耐震「偽装」の次は、
年金の納付率「偽装」ですか。
塾の合格率「偽装」も珍しくはないし、
世の中「偽装」だらけでございます。
私も「偽装」人間と言われないように気をつけなきゃ!





私は高校の前半まで、国語や作文がとても苦手でした。
お恥ずかしながら、それまでマンガ以外の本を読むことも、ほとんどありませんでした。
学校の定期テスト程度なら、授業のノートを覚えていけば、
ある程度の点数を取ることはありましたが、
それでも苦手意識がなくなるということはありませんでした。

「国語ってあいまいだよね」
「国語の勉強の仕方がよくわからない」
「どうせ同じ文章がテストで出るわけでもないし・・・」

多くの子供たちから、こういった言葉をよく聞きますが、
当時の私も、同じように考え、特にこれといった解決策もないままに、
学校生活を送っていました。

そんな私が、大学受験時には、何と国語が好きな教科のひとつになっていました。
といっても、特別国語に時間をかけて、勉強したわけでもなければ、
誰かに特別な勉強法を教えてもらったわけでもありません。

では、なぜ急に好きになったか。
これは私なりの考えですが、「英語を勉強したから」だと思っています。

英語は当時から割と好きな教科だったので、
高校時代、授業の予習を中心に、英語の勉強だけは毎日欠かさずやっていました。

そのときに気をつけたのは、
教科書や問題集の英文の和訳をきちんとノートに書くこと。
しかも、ただ形どおりに訳すのではなく、
自然な日本語として、きちんと意味が通じる文章を心がけて書くことでした。
ですから、たった一文を訳すのに、辞書を何度も引きながら、
何十分も悪戦苦闘することも、珍しくはありませんでした。

そうやって勉強をして、英語というものが多少わかりかけてきた頃から、
自然に国語の点数も上がり、
自分で文章を書くのも、それほど苦にならなくなっていったような気がします。

一見、時間もかかるし、「非効率的」な勉強方法に見えますが、
まあ、結果的には、英語を勉強することを通じて、
同時に国語の勉強もできたわけですから、
私にとっては、まさに「一石二鳥」といった感じです。

英語も日本語も「言葉」であることに、変わりはありません。
だから私は、英語と日本語は、教科として、それぞれ独立した存在ではなく、
必ずどこかでつながっているものだと思います。
まあ、これは他の教科にもいえることですけどね。

小学校英語の導入について、いろいろ意見が聞かれます。
「英語よりまずは日本語に力を入れるべきだ!」という意見を聞くと、
「確かにそうだ!」という気もしますし、
「早いうちに慣れ親しんだほうがいい」と言われると、
何となくそんな気もしてしまう、どっちつかずの私です。

ただ、英語も日本語も、さらには数学も理科も社会も、
すべての教科は「言葉」をベースとした勉強である以上、
やはり、どこかでつながっているんじゃないかと私は思っています。

「英語ばかりやっているから、国語ができなくなる」
「国語ばかりやっているから、数学ができなくなる」ということではないと思います。

「英語をやったら、国語もできるようになった」
「国語をやったら、数学もできるようになった」
「国語がわかるようになったら、英語も数学もさらに深く理解できるようになった」
これが本当の勉強ではないかと私は思います。

一見、何の関係もないように見えるものでも、
深く掘り下げていくと、どこかでつながっていることに気付くというのはよくあること。
そういった「つながり」を発見することも、勉強のひとつの楽しみではないかと思います。
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by sawayoshi45 | 2006-05-26 23:59 | 勉強のこと | Comments(2)


【札幌の家庭教師 学びの森】   サワダと申します。


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