カテゴリ:教育のこと( 145 )

子の心、親知らず

「人間は自分が経験したことしか、本当に理解することは出来ない」
というのが私の持論です。

私の両親は戦争経験者です。
子供の頃は、よく戦争の話を聞かされて育ちました。
食べるものすらなかった時代の苦しみは本当に辛いものだったと思います。
「人間は苦労しなきゃダメだ!」というのが私の母の口癖です。

でも、私は戦争を経験したことがありません。
頭の中では「理解したつもり」になっても、本当に「理解している」とは言えません。
ちょっと冷たい言い方かも知れませんが、
母にいくら「戦争の苦しみ」を訴えられたとしても、
私が本当にその苦しみを「理解する」ということは不可能なんだと思います。
もちろん、少しでも「理解しようとする」ための努力は大切だとは思いますが・・・。

「親の心、子知らず」という言葉がありますが、
これはよく考えてみれば、当たり前のことです。
「子供」には「親の経験」がないんですから。
「親としての経験」のない「子供」に、いくら「親の立場」を理解しろといっても、
わかるはずがないんです。
少しでも理解してもらいたいのであれば、「親の目線」ではなく、
「子供の目線」に立って会話をするしかありません。
どの「親」であっても「子供の経験」は持っているはずですから。

最近、子供の「学力低下」が取り沙汰されています。
これを聞いた世の大人たちは、
「今の子供は全然勉強しなくなった」、「今の子供はまったくやる気がない、無気力だ」
と言っては眉をひそめます。

でも、よく考えてみてください。

私たちが子供だった頃と、今では、育つ環境がまったく違っているはずです。
テレビや漫画はもちろんのこと、
ゲーム、パソコン、ケータイと世の中には「勉強より面白いモノ」が満ちあふれています。
もし、私たちが今子供だったとしても、
そういった誘惑に負けることなく、勉強することが出来るという自信のある方、
どれだけいるでしょうか? 
少なくとも、私にはまったく自信がありません。
きっと今ごろ、ゲームやケータイに興じていることでしょう。

そういった「環境の違い」を考慮せず、
「今の子供たちは・・・」と言っては顔をしかめることこそが、
私は問題ではないかと思います。

そもそも、このような「子供が勉強しにくい環境」をつくったのは、
いったい誰なんでしょう? 
私たちは、自分たちのやってきたことを棚に上げ、
「今の子供たちは・・・」と言ってはいないでしょうか? 

それはまさに、「子の心、親知らず」ということにならないでしょうか?

自分が子供だった頃、親に言われて「イヤだな~」と思った言葉、
大人になってから子供に浴びせていないでしょうか。
これはもちろん、私自身にも当てはまることですが、
よく考えてみる必要があるのではないかと思います。

「親の心、子知らず」は、子供に責任があるわけではありません。
でも、「子の心、親知らず」は明らかに私たち大人に
責任があるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。 


注)「子の心、親知らず」という言葉は、私が尊敬している関根正明先生の著書のタイトルです。私がこの本を拝読したのは、もうだいぶ前のことなのですが、今でもこの言葉は私の頭の中にこびりついています。関根先生のホームページは、とても参考になることばかりですので、皆さんもぜひお立ち寄りください。
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by sawayoshi45 | 2006-01-14 00:30 | 教育のこと | Comments(0)

人生に冒険はない!

先日お亡くなりになったプロスキーヤーの三浦敬三さん。
彼の記事が7日の北海道新聞に掲載されていました。
とてもいい話だったので、みなさんにも紹介させていただきます。

彼のエッセー「101歳の少年」(実業之日本社)には、次のように書かれているそうです。

わたしの人生には「冒険」はないのです。すべては積み重ねなんです。若い時から続けてきたことの延長線にすぎません。・・・・・山は一歩ずつ歩を重ねることで、必ずその頂上にたどり着くことができる。
      (中略)
今日もスキーができた。明日、また新しい雪山に登る。・・・・・そうやって、わたしは生きています。

99歳でモンブラン最長の氷河を滑走した彼が、
「わたしの人生には冒険はない!」と言い切っているのが意外な感じで、
とても印象に残りました。
私のおよそ3倍の人生を生きてきた彼の言葉ですので、
これはきっと間違いのない「真実」だと思います。

私たちは、とかく「結果」を早く出したがる傾向があります。
自分に対してそれを課すならともかく、
ときに他人(子供も含む)にそれを課そうとすることがあります。

「いつまでやってんの?」「早くしなさい!」「いつになったら成績上がるの?」・・・などなど。

こういった言葉、言うのは簡単ですが、
言われるほうにとってはたまったもんじゃありません。
せっかくやろうと思っていたとしても、
これを言われたら、「やる気」も失せるってもんです。
「今やろうと思ってたのに・・・」というのは、昔から子供がよく言う言葉ですよね。
これを言わせるたびに、
子供の「やる気」はだんだん失われていくといっても過言ではないでしょう。

「教育」とは「待つ」ことでもあります。
そりゃあ時には「鞭打つ」ことも必要だと思える場合もありますが、
それ以上に大事なのは、
子供が自分の足で一歩一歩積み重ねていくのを「待つ」ことだと思います。
「教育」に携わる人間には、それだけの「忍耐力」も必要だと思います。

そして、子供たちにも、
「人生に冒険はない」「すべては一歩一歩の積み重ね」
ということを教える必要があると思います。
また、自分の夢を実現させるためには、
「今は何をやるべきなのか」「今自分に出来ることは何なのか」ということを、
子供たちに真剣に考えさせることも大事なんじゃないかと思います。

最後に私自身も、「一歩一歩積み重ねていく」人生を歩まなければいけないなって、
改めて思いました。
人生に冒険はありません。
人生に偶然もありません。
すべては「必然」なんですよね、きっと。

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by sawayoshi45 | 2006-01-09 02:29 | 教育のこと | Comments(0)

学校と塾の関係

学校が「オモテ」の教育機関だとすれば、
塾や予備校、家庭教師という存在は「ウラ」の教育機関です。
そうあるべきだと私は考えています。
最近、この関係が逆転しかかっているのが、私としてはちょっと気になります。
仮に逆転現象が起きてしまった場合、ちょっと大げさな言い方かも知れませんが、
教育は崩壊の道を歩むのではないかと思います。

一般に「塾の先生のほうが学校の先生より授業がうまい」と言われています。
その理由は、「塾は授業のうまい先生しか生き残れない世界」だからだと思います。
親御さんから高い授業料を頂いている以上、授業のヘタな先生はたちまちクビにされます。
結果、授業のうまい先生だけが生き残っていくことになります。

ただ、だからといって「やっぱり塾の先生のほうが優秀だ!」と思うのは軽率です。
仮に30人の生徒を相手にして授業をする場合、
「ある程度やる気のある生徒が集まった30人」と、「不特定多数が集まった30人」では、
授業のやりやすさはまったく違ったものになります。
当然、前者のほうが授業は進みやすく、結果も出やすいはずですよね。

私なんて、1回の授業で相手にするのはせいぜい2人までです。
30人を相手に授業をするなんて、正直言ってまったく自信がありません。

私自身、塾や習い事に通った経験は一度もありません。
そのせいか、
「学校の勉強さえしっかりやっていれば、勉強は十分」という考えを持っています。
ですから子供に教える場合も、授業の前に必ず学校の進み具合を確認し、
それを補佐する形で授業を進めます。
ごくたまに、予習ということでちょっとだけ先を教えることもありますが、
進み過ぎることはないように気をつけています。

子供の勉強のメインはあくまで学校であり、
私たちのような「ウラ」の人間はサブ的な役割に徹するべきだと思っています。
ですから、宿題を出すときも、
必ず学校の宿題を優先させてから私の宿題をやるように子供たちには言い聞かせています。「塾の宿題で忙しくて、学校の宿題が出来なかった」というのは、それこそ「本末転倒」です。

そのへんのところを勘違いなさっている塾の先生や家庭教師の方をたまに見かけます。
学校の先生方の事情も考えず、
「オレはたくさんの生徒の偏差値を上げてきた、いったい学校の先生は何をやってるんだ!」
と言っては、子供の前で自分の自慢をし、学校の先生をバカにする方たちです。

でも、こういった方たちはただの「教え屋」であって、決して「教育者」ではありません。
なぜなら、教育の目的のひとつは、「思いやりのある子」
つまり「人をバカにしない子」を育てることだからです。
「思いやりのない先生」に勉強を教わった子供たちが、
将来「思いやりのある人間」に育つとは思えません。
さらに言えば、
こういった人たちが子供たちのイジメを助長していると言っても過言ではないと思います。

学校と塾は、決して敵対関係にあってはならないと思います。
さきほども書いたように、「不特定多数の30人」を相手にした授業は容易ではありません。
そこには、どうしても「授業についていけない子」が出てくるのは、
仕方のないことだと思います。
そして、
そういった子が少しでも学校で楽しく過ごせるようサポートしていく役割を担っているのが、
塾なんだと思います。

つまり、学校と塾とはお互い「共存共栄」の関係になくてはならないと思います。

また長くなってしまいましたが、最後にもうひとつ言わせてください。

教育の主役は、学校でもなければ、親でもありません。
まして塾であろうはずがありません。
教育の主役はあくまで「子供」です。
「教育者」を名乗っている私たちの仕事は、子供の黒子役に徹することです。
子供に「踏み台にされる」ことはあっても、
「子供を踏み台にする」ことは絶対にしてはいけないことです

しかし最近、自分の名前を売るために、
子供を「踏み台にする」ような「教育者」が増えてきたような気がするのがとても残念です。
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by sawayoshi45 | 2006-01-07 01:00 | 教育のこと | Comments(4)

教師なら理想を語れ!!

「教育の目的」は、勉強のよくできる「いい子」をつくることではありません。
5年後、10年後、その子が大人になったときに、
「立派な社会人」として生きていくためのものだと思います。
「立派な社会人」とは何も一流企業に就職するとか、社会的地位を手に入れるとか、
お金持ちになることではありません。
もちろん、結果的にそうなる場合もありますが、それが「教育の目的」ではないはずです。

私が考える「立派な社会人」とは、どんな状況においても、
自分を失うことなくしっかりと地に足をつけて生きていくことができる人間のことです。
勉強を教えることを通じて、ひとりでも多く、
そういった人間を育てることが「教育の目的」であり、「私の理想」でもあります。
「理想」は、人によって多少の違いはあるとは思いますが、
「教える立場」にいる人間であれば、みなさん、
「自分の理想」を抱いて仕事と向き合っているはずだと思うし、
また、そうあるべきだと思います。

私がこんなことを言うと、
「それはただの理想論だ」とか「現実はそんなに甘くない」と反論してくる人たちがいます。
嘲笑する人たちもいます。
「理想論」だということは分かっています。
現実はそんなに甘くないのもわかっています。
でも、だからといって、簡単に「理想」を捨てて現実に甘んじるような人は、
少なくとも「教育者」には向いていないと思います。
子供たちがそんな先生に人間的魅力を感じるとは思えません。
周りに何と言われようと、
「理想」を語り続けることが「教育」には大切なことだと思っています。

よく親御さんから、「うちの子はやる気がなくて・・・」という言葉が出てきます。
そう言われた子の過去を遡って聞いてみると、
だいたい「やる気がなくなるような言葉」を親や教師から、
浴びせられていることが多いです。
最初からやる気のない子供はいません。
成長の過程で、
「やる気のない子にさせられている」というのが真実ではないかと思います。

子供が「夢」や「理想」を語ったとき、あなたはどう接していますか?
「そんなの無理に決まってる」「それで食べていけるわけがない」
といった言葉を浴びせていませんか? 
そうやって子供たちから少しずつ「やる気の芽」を奪っていることに気づいていますか?

「教師なら理想を語れ!!」

昨日のテレビ番組で、
太田光が政治家に対して「政治家なら理想を語れ!」
と訴えたことが妙に印象に残っていたので、
「政治家」を「教師」に変えて今日はこのテーマで書いてみました。

教えることも教師の仕事ですが、子供の前で「理想を語る」ことも、
教師としての立派な仕事だと私は思います。
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by sawayoshi45 | 2006-01-05 01:16 | 教育のこと | Comments(0)

成績が悪いのは先生のせい?

私は風呂に入っていたので詳しい内容はよくわかりませんが、
妻から聞いたところによると、「太田光の私が総理大臣になったら・・・」という番組で、
「学校の教師を格付けすべきかどうか」という議論がなされていたそうです。

そこで今回はあくまで私の主観的な意見ではありますが、
そのことについて少し書いてみようと思います。
反論のある方はどうぞコメントお待ちしております。

私は民間の人間ですので、「評価されること」は当たり前のことだと思っています。
といっても、直接生徒さんや親御さんから「点数」をつけられるわけではありません。
「いい評価」を頂ければ、自然に生徒が増えて収入も増える。
「悪い評価」をもらえば、生徒が減る。
ただ、それだけのことです。

ただ、「学校の先生を生徒や親が格付けするべき」という提案については「反対」ですね。
そもそも評価の基準があいまいです。
「子供や親にとってのいい先生」と
「本当に優秀な先生」が一致するかどうかというのも疑問です。
それに「いい先生に当たればいい子になる」、
「先生が悪いから子供が勉強嫌いになる」という発想は、
あまりに単純すぎるような気がします。

確かに世の中にはとんでもない先生も存在するようです。
でも、それはごく一部の話であると私は信じています。
それがマスコミで「こんなひどい先生がいた」と騒ぎ立てることで、
世の中の人の多くは、「学校の先生って今はこんなにひどいんだ」と誤解する。
それを聞いた親たちが、自分の子供の成績が悪いのを先生のせいにする。
むしろこういったことのほうが、
今の教育を崩壊させている原因のひとつではないかと思います。

私自身の子供の頃の経験で言わせてもらえば、
「成績の良し悪し」と「先生の良し悪し」には、全くとは言いませんが、
あまり関係がなかったような気がします。

こんなことを言ったら学校の先生には失礼かも知れませんが、
先生の「授業技術」についてそこまで期待はしていませんでした。
成績を上げたかったら、教科書や参考書をみながら自分でやる。
これが当たり前のことだと思っていました。

そもそも教わる先生によって、上がったり下がったりするような成績なら、
それは本物の学力ではありません。
学力とは「教えてもらう」ものではなく、
「自分で身につける」ものだと私は思っていますし、子供たちにもそう教えています。

仕事にしている以上、常に「教える技術」を磨くのは当然のことだとは思います。
でも、それと同時に、最後は先生に頼らず「自分の責任のもと」で努力をする。
それを教えるのも教師や親の仕事だと思います。
自分のことを棚にあげて、
「先生のせいだ」、「社会のせいだ」
と誰かに責任を押し付けては大きな顔をしている人間が幅をきかせる世の中、
やっぱりちょっとおかしいですよ、これは。

まだまだ書きたいことはありますが、長くなったので今日はこのへんで。
また機会があったら、書いてみようと思っています。
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by sawayoshi45 | 2006-01-04 02:13 | 教育のこと | Comments(3)


【札幌の家庭教師 学びの森】   サワダと申します。


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