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カテゴリ:人生のこと( 81 )

仙人?

競争の是非は私にはわかりませんが、
私自身、競争は決して嫌いではありません。

それは競争を通じて、自分を高めることができるから。

15年以上も前になりますが、
友人との禁煙競争をきっかけに、
タバコともおさらばすることが出来ました。

これも競争を通じて自分を高めた一例です。(笑)

傍から見て、どんなくだらない競争であったとしても、
当の本人たちは、勝てば嬉しいし負ければ悔しいもの。

そんな人間としての正直な感情を持つことも、
競争社会を生きていくうえでは、
とても大切なことではないかと私は思っています。

そんな私からすると、
負けてもさほど悔しそうでない子どもたちは、
まるで「仙人」のように見えます。

人間としては、競争という俗世間に縛られている私なんかより、
もしかしたら彼らのほうがずっと立派なのかもしれません。

ただ、私の仕事は彼らの成績を上げること。

少しは悔しがって行動に移してもらわないことには、
引っ張っていきようがないというのも正直なところです。

負けても悔しがらない子どもたち。
悔しくても行動に移せない子どもたち。

彼らが将来、競争社会をどう戦っていくのか、
余計なお世話かもしれませんが、ちょっと心配な気がします。

まあ、彼らが大人になる頃には、
競争のない「理想郷」が出来ているというなら話は別なんですが・・・


反論される方もいらっしゃると思いますが、
私は、勉強は競争だと思っています。

「人より良い点数が取りたい」
「あの子には絶対負けたくない」

勉強本来の目的とは違うかも知れませんが、
現実では、そういった競争心の差が、
成績の差に表れてくるのではないかと思います。

10代のうちに競争心を超越した「仙人」になってしまうのは、
何だか早過ぎる気がするんですが・・・
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by sawayoshi45 | 2010-08-27 13:52 | 人生のこと | Comments(0)

自分のおかげ、他人のせい

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明日から夏期講習のため、
更新が滞りがちになるかも知れませんが、
どうかみなさま、
見捨てないでくださいませ。



何か物事がうまくいったときは、「自分のおかげ」、
そしてうまくいかなかったときは、「他人のせい」。

私も含めて、人間、どうしてもそう思いたくなる瞬間ってありますよね。

教え子の成績が上がったのは、「自分のおかげ」。
教え子の成績が伸びないのは、「生徒のせい」。

世の中には、そう思いたがる先生が多いのも事実のようです。
と、偉そうなことを書いておりますが、
実は私の中にも、そういった気持ちがあることは否定できません。

教え子の成績が大きく伸びると、
ついブログに書いて、自慢したい衝動に駆られます。

自分では、なるべく抑えているつもりではありますが、
読む人にとっては、ただの自慢話にしか聞こえませんよね。

気をつけなければとは思っているのですが、これがなかなか・・・、
人間としては、まだまだ未熟のようです。(苦笑)

楽天の野村監督の言葉に、
「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」
というのがありました。

偶然勝つことはあっても、偶然負けることはない。
負けには必ずその原因がある。

まあ、そういった意味の言葉だと思いますが、
勉強の指導においても、まったく同じことが言えると思います。

「成績が上がった」とか「合格した」という結果は、
必ずしも「指導者のおかげ」とは限りません。

もしかしたらその生徒は、
自分が教えていなくても、上がっていたかも知れません。

あるいは、その子がやる気になったタイミングと、
自分が受け持ったタイミングが、たまたま一致しただけも知れません。

それをいかにも「自分が上げてやった」とばかりにアピールするのは、
考えてみれば、とても恥ずかしい行為です。
(この業界では、それが当たり前にまかり通っているようですが・・・)

一方、生徒が頑張っているのに成績が上がらない。

教える側は、そういった現実をどうしても隠そうとしますが、
もし教え子の中に、ひとりでもそういった子がいたとしたら、
それは100%「自分のせい」と受け止めなければいけないと思います。

「自分のおかげ」「他人のせい」ではなく、
「他人のおかげ」「自分のせい」と心底思えるようになることが、
本当の意味での「大人になる」ということかも知れませんね。

年齢的には、とっくに「大人」になっているはずですが、
精神的には、まだまだ「本当の大人」にほど遠い私です。(苦笑)
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by sawayoshi45 | 2008-07-23 01:40 | 人生のこと | Comments(0)

サボりたくなったときは・・・

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朝からヘリコプターの音やら、
パトカーのサイレンやら・・・。
サミットって忙しいですね。
う~ん、それにしても暑い。



妻が先日読んでいた本に、面白い話が載っていましたので、
ぜひ、みなさんにも紹介したいと思います。
これは、引退しようとしているある大工さんの話です。

その大工は、もうそろそろ家を建てる仕事をやめて、
妻と一緒にのんびり暮らそうと思った。

雇い主は、個人的な願いとして「もう一軒だけ建ててくれないか」と頼んだ。

大工は承諾したが、真剣に仕事をする気はなかった。
粗悪な材料を使い、手を抜いた。
キャリアを積んだ優秀な職人の幕引きにしては、残念な仕事だった。

家は完成した。
点検にやってきた雇い主は、玄関のカギを大工に渡していった。

「この家はあなたの家です。私からのプレゼントです」

大工は大ショックを受けた。
ひどく恥ずかしかった。
自分の家を建てているとわかっていたら・・・たぶんもっと頑張っただろう。 

この大工さんを自分に置き換えて考えてみると、とても耳の痛い話です。
もしかしたら私もこの大工さんと同じようなこと、
今まで何度もやってきたかも知れません。(反省)

私たちは、「人生」という「家」を毎日建てています。
今日の生活、今日の頑張りがすべてその「家(人生)」の材料になります。

私たちは、その「家(人生)」に一生住み続けなければいけません。
粗悪な材料で作れば、粗悪な「家(人生)」しか建てられません。

そう考えれば、
「今日一日をしっかり生きること」
「今日一日をしっかり頑張ること」が、
どれだけ大切なことか、身に沁みます。

「今日一日くらいサボっても・・・」

つい、そんな誘惑に負けそうになる時って、誰でもありますよね。
(もちろん私も、毎日がその誘惑との闘いです・・・苦笑)

そんな時はぜひ、この話を思い出してみてはいかがでしょうか。
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by sawayoshi45 | 2008-07-06 01:09 | 人生のこと | Comments(0)

「もったいない」の基準

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私には全く関係ありませんが、
YOSAKOIソーラン祭りが始まりました。
札幌にも「夏が来た!」って感じですね。




「例えばテスト範囲が100問あって、
そのうちの1問しかテストに出ないとしたら、どうする?」

こういった質問を何人かの生徒にしてみたことがあります。

A君は、
「どうせやっても意味ないから捨てる」と即答しました。

B君からは、
「とりあえず10問ぐらい山を張って、それが出るのを祈る」
という答えが返ってきました。

そして、C君は、
「そこから出るのがわかっているなら、頑張って全部覚える」
と、当然のように答えてきました。

C君が普段、学校でも好成績を収めていることは、言うまでもありません。

A君、B君、C君の答え方を比較してみると、
「もったいない」の基準がまったく違うことがよくわかります。

A君・B君は、
「勉強したのに出ない」ことを「もったいない」と考えています。
そのため、なるべく労力を省こうという行動に出ます。

一方、C君の場合は、
「出るのがわかっているのにやらない」ことを「もったいない」と考えています。
そのため、たった1問のためにでも全力を注ぐことが出来ます。

残りの99問は、たとえ今回のテストには出なかったとしても、
確実に自分の知識となり、いつか役に立つ時がやってきます。

そのことをよくわかっているからこそ、
C君は、一見無駄に見えるものであっても、
「頑張って全部覚えよう!」という覚悟が出来るのだと思います。

そして、これは勉強に限ったことではなく、
その人の生き方や人間性にも関わってくる大きな問題だと思います。

効率や見返りばかりを計算して、結局、何も残らない生き方と、
多少の犠牲を覚悟のうえで、ひとつのことに全力を注げる生き方。

どちらが「もったいない」生き方なのか、
考えるまでもないような気がするのですが、
それを子供たちに伝えていくとなると・・・、
なかなか難しいものですね。
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by sawayoshi45 | 2008-06-05 00:01 | 人生のこと | Comments(0)

forget

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「最近の日記、愚痴っぽいね」
妻に指摘されてしまいました。
う~ん、言われてみれば確かにそうかも。
ちょっと反省です。
でも私から愚痴を取ったら・・・、
書くことなくなっちゃいますが・・・(苦笑)




ある生徒との英語の勉強中に「forget」という単語が出てきました。
で、この単語が出てくると、生徒とよくこんな話をします。

まず「forget」という単語を「for」と「get」に分けます。
「for」は単独で「~のために」といったイメージの前置詞。
「get」は単独で「~を得る、手に入れる」といったイメージの動詞。

英文法で前置詞の後に動詞の原形が来ることは、本来あり得ないのですが、
まあ、そんな細かいことは気にせずに強引につなげてみると、
「~を得るために」といったイメージになります。

でも実際の「forget」は、
「~を得るために」といった意味ではなく、「忘れる」といった意味。

「~を得る」と「忘れる」。

一見、全く正反対に見える言葉ですが、さらに強引につなげて考えてみると、
「何かを得るためには、何かを忘れ(捨て)なければならない」
といった意味にも捉えることが出来ますよね。

まあ、これだけでも私のことをよくわかっている生徒たちは、
私が何を言いたがっているのか、だいたい察しがついているようなのですが、
教え好き(説教好き?)の私はさらに脱線。

「じゃあ、幸せを得るためには何を捨てたらいいと思う?」

人間誰しも「幸せになりたい」という思いはあるはず。
でも「これが幸せだ」という目に見えるカタチがあるわけでもないし、
実際に幸せを感じながら生きている人は少ないようです。

「幸せを得るために、捨てなければならないもの」
みなさんは何だと思いますか?

私の答えは「欲」です。

「あれも欲しい、これも欲しい」
「もっと遊べるお金が欲しい」

そういった欲を捨てさえすれば、人間は誰でも幸せを得ることが出来ます。

毎日美味しいご飯が食べられること。
毎日暖かい布団で寝られること。
毎日学校に行かせてもらえること。

「もっともっと」という欲を捨てて、今の生活に感謝できるようになれば、
誰でも簡単に幸せを手に入れることが出来るんじゃないのかな?

まあ、そんな話でついつい時間を無駄遣いしてしまう私です。(笑)

でも、これは子供たちだけの問題ではありませんよね。

「将来こういう人間になって欲しい」
「もっと勉強して成績を上げて欲しい」
「もっと稼げる職について欲しい」

そういった親としての思いは本当によくわかります。

でも、その思いが強くなり過ぎると、
もっと大事なことが見えなくなってしまう可能性もありますよね。

親としての「欲」をちょっとだけ捨ててみることで得られるものも、
決して少なくはないと思いますが・・・。
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by sawayoshi45 | 2008-05-18 01:21 | 人生のこと | Comments(0)

自己評価、他者評価

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ゴールデンウィークも終了。
学校によっては、
もう定期テストが近いところも・・・
気を引き締めて頑張りましょ!



先日、新聞でちょっと気になるお話を読みました。

その人の能力や魅力、人間性などを仮に10点満点で評価したとすると、
たいていの人は6点ぐらいに落ち着くそうです。

5点でちょうどプラマイゼロと考えると、
多くの人はマイナスよりもプラスのほうがちょっとだけ多い、
まあ、そんな感じだそうです。

ただ、自分で自分を評価する「自己評価」となると、その平均点は7点、
他人を評価する「他者評価」となると、その平均点は5点となり、
この2点の差がお互い相手への不満となり、人間関係に軋轢を生じるとか。

この評価基準の信憑性はよくわかりませんが、
それだけ人間は、自分を評価するときは実際よりも高く、
他人を評価するときは実際よりも低く考えてしまうということなんでしょうね。

そして面白いのは、
「自己評価」に8点や9点といった高得点をつけている人ほど、
実際は5点以下の人が多く、
逆に多くの人に尊敬されるような立派な人ほど、
「自己評価」が意外に低く「他者評価」のほうが高い傾向にあるということ。

自分の周りの人たちを見れば、
その意味、何となくわかりますよね。(笑)

自分が思っているほど自分はたいしたことはなく、
自分が思っているほど相手はダメ人間というわけでもない。
まあ、そう思っているぐらいでちょうどいいのかも知れませんね。

お子さんにいつも不満を感じている親御さん、
お子さんの評価、低く評価し過ぎていませんか?

人間は特に自分の過去を美化する傾向があるそうです。
失礼な言い方かも知れませんが、
本当は自分も子供の頃は似たり寄ったりだったのでは?
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by sawayoshi45 | 2008-05-06 23:22 | 人生のこと | Comments(0)

選ぶ権利、選ばれる現実

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ドラゴンズ好スタート!
それにしても今年の阪神、
強いですねえ。



どんな人にも、行きたい学校や職業を「選ぶ権利」があります。

「○○大学に入りたい」
「将来○○になりたい」

そういった個人の思いを否定する権利は誰にもありません。

でも現実は、
必ずしも自分が「選んだ」通りの人生を歩めるとは限りませんよね。

なぜなら現実は、
自分が「選ぶ」ことよりも、
「選ばれる」ことで決まることが多いからだと思います。

いくら自分が行きたい学校を「選んだ」としても、
その学校から「選ばれない」限り、
その学校に入ることは出来ません。

いくら自分が好きな仕事を「選んだ」としても、
その仕事に「選ばれない」限り、
その仕事でご飯を食べることは出来ません。

そして「選ばれる」ためには、
それ相応の努力、実力が必要なことは今さら言うまでもないことですね。

「ラクして成績を上げたい」
「ラクして儲けたい」

きっと誰もが一度は思ったことのある感情でしょう。
もちろん私にもそういった思いが全くないわけではありません。

でも、もし自分が人を「選ぶ」立場だったとしたら、
果たしてそういう人を「選ぼう」とするでしょうか?


自分が「選んだ」通りの道を歩んでいる人には、
それなりの理由があります。

行きたい学校に行けることも、
好きな仕事が出来ることも、
仕事でたくさんお金を稼ぐことも、
本人の努力が多くの人たちに認められて「選ばれた」からこその結果です。

「誰も分かってくれない」
「あの人は環境が恵まれているから・・・」

世間に不満をもらしたり、他人を羨んだりする前に、
まずは自分が一人でも多くの人に「選ばれる」努力をしているかどうか、
それを意識することのほうが大切ではないかと思います。

「分かる人にだけ分かってもらえばいい」

私も以前は粋がってそういった発言をしていた時期がありました。

でも結局のところ、
それは「選ばれる」ための努力をしないことを正当化していただけじゃないか、
今はそんな気がして、恥ずかしい気持ちでいっぱいです。

「選ぶ権利」を主張するならば、
「選ばれる現実」を受け入れる覚悟も必要だということ、
肝に銘じておかなければいけませんね。
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by sawayoshi45 | 2008-04-13 23:50 | 人生のこと | Comments(0)

他人を批判すること

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公立高校の合格発表が
近づいてきました。
ちょっと緊張気味のサワダです。
あっ、でも前の記事で宣言したとおり、
教え子の合否報告はしませんので悪しからず。




過去に一度だけ、ある親御さんから痛烈な批判を頂いたことがあります。

今思えば、私にも至らない点が多々あったと考えることが出来ますが、
やはりその時は、かなり頭に血がのぼって、
しばらくの間、不愉快な思いをしたのを覚えています。

しょせん私も未熟な人間。
万人に認められることは不可能ですし、この仕事をしている以上、
そういったことも覚悟しなければいけないのかも知れません。

ただこのとき、実は私以上に憤慨した人がいました。
それは、私の妻でした。

妻の言い分は、
私が批判されたことも悔しいけど、
それ以上に悔しいのは、
私を慕ってくれている生徒や親御さんまでバカにされたような気がした、
ということでした。

なるほど、確かに言われてみればその通りです。

私だって、自分が悪く言われるのはまだ我慢できても、
自分の家族や教え子が誰かに悪く言われたとしたら、
きっと言った相手を許せないと思います。

そして、そのとき妻に言われたことで、私はハッと気づきました。

「他人を批判すること」は、当の本人ばかりでなく、
その人の家族や周りの人までをも不愉快にさせてしまうということに。

その頃の私はまだ若かったこともあり、
「批判をして何が悪い!」
「間違っていることは、間違っているとハッキリ言うべきだ!」
どこかそんな思いを持っていました。

でも、自分が批判されて初めて、
「批判された人の気持ち」、
「批判された家族の気持ち」に思いが至ったような気がします。

それ以来、「他人を批判すること」はなるべく避けるよう心がけてきたつもりです。

個人的にどんなに嫌いな相手であっても、
相手にも家族があり、その人を慕っている人たちがいます。

相手をあからさまに批判することは、
相手の家族はもとより、その人を慕っている人までをも、
不愉快な思いにさせることになります。

「嫌いな相手を負かしたい」

その気持ちは私にもよくわかります。
でも、その気持ちに少しだけブレーキをかけるのもまた、
大人のマナーではないかと思いますが、いかがでしょうか?

あっ、でもこれって、
批判している人を批判していることになってしまうんでしょうか?

う~ん、あくまで「自分への戒め」ということで読んで頂けたら幸いです。
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by sawayoshi45 | 2008-03-15 01:26 | 人生のこと | Comments(0)

まずは自分を信じること

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路上の雪もずいぶんと融けて、
いよいよ「春到来」って感じですね。
プロ野球ももうすぐ開幕。
開幕前が一番ワクワクします!



「教える仕事」に初めて興味を持ったのは中学生の頃でした。

学校の先生の授業を聞きながら、生意気にも、
「これならボクのほうが上手く教えられる!」と思いました。

そして、クラスの友達に勉強を教えたりしているうちに、
「教えること」が同時に「自分の勉強のため」にもなることを知りました。

「相手にどうやって伝えるか」を考えていくうちに、
自分の知識もどんどん深まっていく感覚を味わいました。

その頃から私は「先生」という仕事を意識し始めたような気がします。

当時の私は、
「先生になりたい」ではなく、
「自分は先生になるものだ」という根拠のない自信を持っていました。

でも、根拠があろうがなかろうが自信を持って行動していると、
なぜか不思議とチャンスは巡ってくるものです。

この話をすると、子供たちにはよく驚かれるのですが、
私は高校1年生の時に、すでに「仕事」として家庭教師をやっていました。

高校生から家を出て下宿生活を始めたのですが、
その下宿先にたまたま家庭教師の依頼が来て、
中学生2人を受け持つことになりました。

それなりにお月謝も頂き、高校生にしてはけっこうなお小遣いだったと思います。
ただ、さすがに3年生ともなると自分の勉強だけで精一杯になり、
その2人の高校合格を見届けてやめることにしました。

大学に入っても、一番先に考えたアルバイトは塾講師でした。
別に何の根拠があるわけではありませんが、
「教える仕事」なら誰にも負けないという自信がありました。

そのため、お世話になった塾長とも随分とぶつかってきました。
今も十分そう思われているかも知れませんが、
あの頃は、ずいぶんと傲慢な人間だったように思います。(苦笑)

その後、いろいろ紆余曲折を経てきましたが、
まあ、結果的に今こうやって「教える仕事」をしているわけですから、
ある意味、自分の夢を叶えられたと言ってもいいのかも知れません。

確かに生活も不安定だし時間も不規則、
まとまった休みもとることは出来ませんが、
これも好きなことを仕事にしている代償と考えれば、
それほど苦痛に感じることはありません。

私の中では、それなりに満足の行く人生を歩んでいると思っています。

自分の夢や目標を語るとき、
「出来れば○○になりたい」といった言い方をしているうちは、
その夢は叶わないと言われます。

本当にその夢を実現させたいのであれば、
「出来れば・・・」ではなく、
「自分は○○になるものだ!」と自分を信じる力が必要です。

その思いの強さが自分の行動を決めます。
そして、信じて行動していれば必ずそのチャンスは巡ってきます。

青臭いことを言っているように思われるかも知れませんが、
人生って案外そういうものではないかと私は思っています。

今の自分を何とかしたければ、
「まずは自分を信じて行動すること」
その大切さを子供たちに伝えられたらと思います。
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by sawayoshi45 | 2008-03-14 00:57 | 人生のこと | Comments(2)

下に立つ

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今日は春の陽気でした。
受験前の忙しさで、
伸び放題になっていた髪をようやく切り、
サッパリ気分のサワダです。



「人の上に立つ」ことは大変なことだと思います。
「人の上に立つ」ためには、多くの人の信頼を得なければなりません。
そしてその信頼を得るためには、それ相応の努力が必要です。

つまり、「人の上に立つ人」は、
言い換えれば、「努力の人」とも言えるのではないかと思います。

でも、私たちにとってもっと大切な努力は、
「上に立つ」ことよりも「下に立つ」ことではないかと私は思っています。

「上に立つ」ことや「上を目指す」ことばかりが努力とは限りません。
「下に立つ」こともまた努力が必要なことだと思います。

高い場所から相手を見下ろしてばかりでは、
本当に相手を理解することは出来ませんよね。

本当に相手を理解しようと思ったら、
相手よりも「下に立つ」努力が必要です。

だからこそ、「理解する」は、
英語で「understand」というのだと私は解釈しています。

生徒や親御さんから「先生」と呼ばれることで、
つい上からものを見ている自分に気づくことが時々あります。

私たちの仕事は、生徒に指示を出すことはあっても、
生徒から指示を出されることはあまりありません。

生徒に宿題を出すことはあっても、
生徒から宿題を出されることはほとんどありません。

生徒を叱ることはあっても、
生徒から叱られることもめったにありません。

きっと、こういった日常を繰り返すことで、
いつの間にか、上からものを見るクセが付いてしまっているのかも知れません。
とても危険なことだなって思います。

教養とは相手の気持ちがわかること。

養老孟司氏の本によく出てくる言葉ですが、
今までの自分がどれだけ生徒の気持ちを理解して接していたか、
そう考えると、とても恥ずかしくなります。

私も人並みの教養を身につけるためにも、
「下に立つ」努力を忘れないようにしたいと思います。
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by sawayoshi45 | 2008-03-10 01:03 | 人生のこと | Comments(0)


【札幌の家庭教師 学びの森】   サワダと申します。


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