カテゴリ:人生のこと( 84 )

他人を批判すること

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公立高校の合格発表が
近づいてきました。
ちょっと緊張気味のサワダです。
あっ、でも前の記事で宣言したとおり、
教え子の合否報告はしませんので悪しからず。




過去に一度だけ、ある親御さんから痛烈な批判を頂いたことがあります。

今思えば、私にも至らない点が多々あったと考えることが出来ますが、
やはりその時は、かなり頭に血がのぼって、
しばらくの間、不愉快な思いをしたのを覚えています。

しょせん私も未熟な人間。
万人に認められることは不可能ですし、この仕事をしている以上、
そういったことも覚悟しなければいけないのかも知れません。

ただこのとき、実は私以上に憤慨した人がいました。
それは、私の妻でした。

妻の言い分は、
私が批判されたことも悔しいけど、
それ以上に悔しいのは、
私を慕ってくれている生徒や親御さんまでバカにされたような気がした、
ということでした。

なるほど、確かに言われてみればその通りです。

私だって、自分が悪く言われるのはまだ我慢できても、
自分の家族や教え子が誰かに悪く言われたとしたら、
きっと言った相手を許せないと思います。

そして、そのとき妻に言われたことで、私はハッと気づきました。

「他人を批判すること」は、当の本人ばかりでなく、
その人の家族や周りの人までをも不愉快にさせてしまうということに。

その頃の私はまだ若かったこともあり、
「批判をして何が悪い!」
「間違っていることは、間違っているとハッキリ言うべきだ!」
どこかそんな思いを持っていました。

でも、自分が批判されて初めて、
「批判された人の気持ち」、
「批判された家族の気持ち」に思いが至ったような気がします。

それ以来、「他人を批判すること」はなるべく避けるよう心がけてきたつもりです。

個人的にどんなに嫌いな相手であっても、
相手にも家族があり、その人を慕っている人たちがいます。

相手をあからさまに批判することは、
相手の家族はもとより、その人を慕っている人までをも、
不愉快な思いにさせることになります。

「嫌いな相手を負かしたい」

その気持ちは私にもよくわかります。
でも、その気持ちに少しだけブレーキをかけるのもまた、
大人のマナーではないかと思いますが、いかがでしょうか?

あっ、でもこれって、
批判している人を批判していることになってしまうんでしょうか?

う~ん、あくまで「自分への戒め」ということで読んで頂けたら幸いです。
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by sawayoshi45 | 2008-03-15 01:26 | 人生のこと | Comments(0)

まずは自分を信じること

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路上の雪もずいぶんと融けて、
いよいよ「春到来」って感じですね。
プロ野球ももうすぐ開幕。
開幕前が一番ワクワクします!



「教える仕事」に初めて興味を持ったのは中学生の頃でした。

学校の先生の授業を聞きながら、生意気にも、
「これならボクのほうが上手く教えられる!」と思いました。

そして、クラスの友達に勉強を教えたりしているうちに、
「教えること」が同時に「自分の勉強のため」にもなることを知りました。

「相手にどうやって伝えるか」を考えていくうちに、
自分の知識もどんどん深まっていく感覚を味わいました。

その頃から私は「先生」という仕事を意識し始めたような気がします。

当時の私は、
「先生になりたい」ではなく、
「自分は先生になるものだ」という根拠のない自信を持っていました。

でも、根拠があろうがなかろうが自信を持って行動していると、
なぜか不思議とチャンスは巡ってくるものです。

この話をすると、子供たちにはよく驚かれるのですが、
私は高校1年生の時に、すでに「仕事」として家庭教師をやっていました。

高校生から家を出て下宿生活を始めたのですが、
その下宿先にたまたま家庭教師の依頼が来て、
中学生2人を受け持つことになりました。

それなりにお月謝も頂き、高校生にしてはけっこうなお小遣いだったと思います。
ただ、さすがに3年生ともなると自分の勉強だけで精一杯になり、
その2人の高校合格を見届けてやめることにしました。

大学に入っても、一番先に考えたアルバイトは塾講師でした。
別に何の根拠があるわけではありませんが、
「教える仕事」なら誰にも負けないという自信がありました。

そのため、お世話になった塾長とも随分とぶつかってきました。
今も十分そう思われているかも知れませんが、
あの頃は、ずいぶんと傲慢な人間だったように思います。(苦笑)

その後、いろいろ紆余曲折を経てきましたが、
まあ、結果的に今こうやって「教える仕事」をしているわけですから、
ある意味、自分の夢を叶えられたと言ってもいいのかも知れません。

確かに生活も不安定だし時間も不規則、
まとまった休みもとることは出来ませんが、
これも好きなことを仕事にしている代償と考えれば、
それほど苦痛に感じることはありません。

私の中では、それなりに満足の行く人生を歩んでいると思っています。

自分の夢や目標を語るとき、
「出来れば○○になりたい」といった言い方をしているうちは、
その夢は叶わないと言われます。

本当にその夢を実現させたいのであれば、
「出来れば・・・」ではなく、
「自分は○○になるものだ!」と自分を信じる力が必要です。

その思いの強さが自分の行動を決めます。
そして、信じて行動していれば必ずそのチャンスは巡ってきます。

青臭いことを言っているように思われるかも知れませんが、
人生って案外そういうものではないかと私は思っています。

今の自分を何とかしたければ、
「まずは自分を信じて行動すること」
その大切さを子供たちに伝えられたらと思います。
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by sawayoshi45 | 2008-03-14 00:57 | 人生のこと | Comments(2)

下に立つ

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今日は春の陽気でした。
受験前の忙しさで、
伸び放題になっていた髪をようやく切り、
サッパリ気分のサワダです。



「人の上に立つ」ことは大変なことだと思います。
「人の上に立つ」ためには、多くの人の信頼を得なければなりません。
そしてその信頼を得るためには、それ相応の努力が必要です。

つまり、「人の上に立つ人」は、
言い換えれば、「努力の人」とも言えるのではないかと思います。

でも、私たちにとってもっと大切な努力は、
「上に立つ」ことよりも「下に立つ」ことではないかと私は思っています。

「上に立つ」ことや「上を目指す」ことばかりが努力とは限りません。
「下に立つ」こともまた努力が必要なことだと思います。

高い場所から相手を見下ろしてばかりでは、
本当に相手を理解することは出来ませんよね。

本当に相手を理解しようと思ったら、
相手よりも「下に立つ」努力が必要です。

だからこそ、「理解する」は、
英語で「understand」というのだと私は解釈しています。

生徒や親御さんから「先生」と呼ばれることで、
つい上からものを見ている自分に気づくことが時々あります。

私たちの仕事は、生徒に指示を出すことはあっても、
生徒から指示を出されることはあまりありません。

生徒に宿題を出すことはあっても、
生徒から宿題を出されることはほとんどありません。

生徒を叱ることはあっても、
生徒から叱られることもめったにありません。

きっと、こういった日常を繰り返すことで、
いつの間にか、上からものを見るクセが付いてしまっているのかも知れません。
とても危険なことだなって思います。

教養とは相手の気持ちがわかること。

養老孟司氏の本によく出てくる言葉ですが、
今までの自分がどれだけ生徒の気持ちを理解して接していたか、
そう考えると、とても恥ずかしくなります。

私も人並みの教養を身につけるためにも、
「下に立つ」努力を忘れないようにしたいと思います。
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by sawayoshi45 | 2008-03-10 01:03 | 人生のこと | Comments(0)

許す、許される

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修学旅行から帰ってきた教え子が、
沖縄で泳いできたそうな。
札幌は昨日から雪でございます。
日本って広いですね!



ここではいつもエラそうなことを書いている私ですが、
自分自身、決して人に自慢できる人生を歩んできたわけではありません。

今までたくさんの間違いや失敗を繰り返してきました。
というか、今でも間違いや失敗はしょっちゅう繰り返しています。(笑)

それでも今、何とかこうやって生きていられるのは、
家族をはじめ、きっと多くの方に「許されて」きたからだと思います。

それなのに人間は勝手なもので、
自分ひとりの力で大きくなったと勘違いしてしまうときがあります。

子供に怒りをぶつけているときは、その典型ですよね。

子供たちが自分の言うことを聞いてくれない、
子供たちが自分の思い通りに動いてくれない、
ついイライラを感じてしまうことは私にもよくあります。

でも、自分が子供だった頃はどうだったかと考えると、
自分だって親に対して同じようなことをしてきたことに気づきます。
今思えば、相当親を困らせてきた子供だったと思います。(苦笑)

「ムカつく」
「キモい」
「ウザい」
「KY(空気読めない)」

こういった相手をバカにするような攻撃的な言葉が、
今子供たちの世界、いや、大人の世界でも普通に使われています。

それだけ今の世の中、
攻撃的な社会になっているということなのかも知れません。


細かい部分はかなり怪しいですが、
確か聖書にこんなお話がありました。

投石の刑に処された女性を罰するために、
女性に石を投げている村人に向かってイエスが言いました。

「この中で、今まで罪を犯したことのない人間だけが彼女に石を投げてもよろしい」

それまで彼女に石を投げていた村人は、
皆すごすごと帰っていきました、と。

少し前の朝青龍騒動然り、つい最近の亀田父子騒動然り、
私たちはすぐにマスコミの報道に乗っかり、
簡単に「石を投げる側」に回ろうとします。

確かに彼らのしたことは悪いことかも知れません。

でもだからといって、
詳しい事情も知らない第三者の私たちに、彼らを裁く権利はありません。

他者に石を投げる前に、
自分もまたいろんな人たちに「許されて」きた人間であるということを、
自覚することが大切ではないかと思います。

「ムカつく」
「キモい」
「ウザい」
「KY(空気読めない)」

自分が言われたときのことを考えれば、
安易に使うべき言葉でないことは、誰にでもわかるはずです。

こういった言葉がいつか子供の世界、
いや、世の中からなくなることを願います。
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by sawayoshi45 | 2007-11-16 23:37 | 人生のこと | Comments(0)

公私混同

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札幌は明日から雪だそうです。
最低気温もマイナス突入です。
みなさん、
足下にはお気をつけくださいませ!



「公私混同」という言葉があります。

大人の世界で言えば、仕事が「公」で、家庭や趣味の生活が「私」、
子供の世界で言えば、勉強が「公」で、家族や友人との人間関係が「私」、
といったところでしょうか。

世の中には、この「公」と「私」を、
完璧に使い分けられる器用な方もいらっしゃるようですが、
私の場合は、そこまで器用な人間ではなさそうです。

過去の自分を振り返ってみると、
「公」でイライラしているときは、「私」も何となく落ち着きませんし、
「私」が充実しているときは、やはり「公」も充実しているときが多いです。

どうやら私は完全なる「公私混同人間」。

子供を相手にする立場としてはどうかとも思いますが、
そこはまあ「私だって人間だもの」と正当化しておきます。(笑)

「勉強に集中できない」
「勉強をしても成績があがらない」
こんな悩みを訴えてくる生徒がたまにいます。

最初は「やる気」や「やり方」の問題と思ってアドバイスしても、
どうも改善の気配が見られません。

よくよく話を聴いてみると、
「私」の部分でトラブルを抱えている場合が多いような気がします。

「親がムカつく」
「先生がムカつく」
「クラスメイトがムカつく」

そんなにいつもムカついてばかりいたら、
勉強に集中できるわけ、ありませんよね。(笑)

感情を持った人間である以上、
「公私」を完全に区別できる人は、そうそういないと思います。

「公」が先か、「私」が先かはよくわかりませんが、
「公」を充実させるためには「私」を、
「私」を充実させるためには「公」を充実させることが、
一番の近道といったところではないでしょうか?

ところで、以前読んだ本に、こんなことが書かれていました。

動物はストレスに対して、
「逃げる」か「攻撃する」かの2つ選択肢しか持たないそうです。

でも人間には、
もうひとつ「笑う」という選択肢を神様から与えられました。

「逃げる」か「攻撃する」ばかりでは、人生は決して好転しません。
自分の人生を良くしたければ、「笑う」という選択肢を存分に使うことです。

片方で笑って、片方で怒るよりも、
両方で笑ったほうが百倍楽しいに決まってます。

そう考えれば、「公私混同」も悪くありません。
「公私」ともに「笑う」ことだけは忘れないようにしたいものですよね。
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by sawayoshi45 | 2007-11-14 01:13 | 人生のこと | Comments(0)

カッコいい

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1勝1敗で名古屋決戦!
うん、いい感じです。
一生に一度は見てみたい。
ドラゴンズの日本一!



刑事ドラマのように凶悪犯を次々と捕まえていく。
そんな刑事さんも確かに「カッコいい」ですが、
住民との交流を大切にして、地域の安全を守っているお巡りさんも、
同じくらい「カッコいい」なって思います。

難しい手術を次々と成功させ、たくさんの命を救う。
そんなお医者さんも確かに「カッコいい」ですが、
地域密着で、住民の心の支えになっているお医者さんも、
同じくらい「カッコいい」なって思います。

「カッコいい」の基準は人それぞれかも知れませんが、
私の中での「カッコいい」は2種類あるようです。

ひとつは、第一線に立って、
その業界をリードしていくような「目立つカッコ良さ」

そしてもうひとつは、決して表舞台には出ずとも、
陰で身近な人たちを支える「目立たないカッコ良さ」です。

若いうちは、誰もが「目立つカッコ良さ」に憧れます。
もちろん私にも、そんな時期がありました。

ただ、人間ある程度の歳を重ねてくると、
「目立たないカッコ良さ」というのも、徐々にわかってくるものですね。

私も一応37年間生きてきて、
自分が「目立つカッコ良さ」のタイプでないことはよくわかりました。(笑)

ですから、せめてこれからは「目立たないカッコ良さ」だけでも、
追求していければと思っています。

職業に貴賎なし。

世の中に、「カッコいい仕事」と「カッコ悪い仕事」があるわけではありません。
ただ、どの世界にも「カッコいい人」と「カッコ悪い人」はいるようです。

儲かるか儲からないかだけでしか仕事を判断できない人。
学歴や肩書き、社会的地位だけでしか人を判断できない人。
自分は何の努力もせずに、会社や給料の不満を訴える人。
自慢と悪口でしか、自分をアピールできない人。

そんな「カッコ悪い人」にだけは、ならないように気をつけたいものですね。

あっ、最後に子供たち(特に受験生)にもひと言!

大口を叩くだけ叩いておいて、実際は何もやっていない。
何もやっていないのに、カタチだけはやっているフリって、
めちゃくちゃ「カッコ悪い」って思いません?
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by sawayoshi45 | 2007-10-30 00:52 | 人生のこと | Comments(0)

分相応

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以前書いた、この生徒
報告が遅れましたが、
高認試験、無事合格致しました。
2ヶ月半、本当によく頑張ってくれました。
とりあえずは任務完了。
彼の頑張りに乾杯!!




最初はプロ野球選手になりたくて、野球を始めたとします。
でも、やっていくうちに、
自分より上手い選手が山ほどいることを知ります。

プロ野球選手どころか、チーム内でレギュラーを取ることさえ、
簡単ではないことに気づきます。

頑張れば頑張るほど、
努力だけでは乗り越えられない壁を感じるようになります。

そして中高生ともなれば、ほとんどの子は、
「自分はプロ野球選手になれるほどの器ではない」
ということに気づきます。

でも、だからといって、
野球に打ち込んだ日々が無駄だったというわけではありませんよね。

結果はどうあれ、
苦しい練習に耐えて頑張った。
1つのことに懸命に打ち込んだ。
そういった経験は、その子にとっての大きな財産になるはずです。

たまたま野球を例にして書いてみましたが、
これは他のスポーツはもちろん、
勉強や仕事についても同じことが言えますよね。

頑張った経験があるからこそ、
自分の力を客観的に把握することも出来るようになるし、
自分より上の実力の人を素直に認めることが出来るようになります。

頑張った経験がない人ほど、
「自分だってやれば出来る」という万能感にいつまでも支配され、
自分より上の人に対して、僻み根性を丸出しにします。
そして出てくる言葉は、自慢か他人の悪口。

そういう人たちのことを仏教では「餓鬼」と言うそうです。
大人になっても、「餓鬼」はたくさんいるということですね。

「所詮カエルの子はカエル!」
「お前にはなれるわけがない!」
「ウチにはそんなお金はない!」

子供の頃、私はよく母に言われました。
超現実主義である私の母は、
幼い子供の夢を打ち砕くのが大得意でした。(笑)

当時は、その言葉にものすごく反発心を抱いていましたが、
今は母が言いたかったことが、少し分かるような気がします。

母が私に教えたかったことは、
「分相応」ということだったんじゃないかと思います。

いくら頑張っても、みんなが「主役」になれるわけではありません。
人にはそれぞれ「分相応」という生き方があります。

「主役」になれなければ、「脇役」として、
「脇役」になれなければ、「黒子役」として、
「黒子役」にもなれなければ、「観客」として、
それぞれ自分の役割を全うすればいいだけの話です。

その役割に価値の優劣はありません。

「主役じゃなきゃイヤ!」
「一番じゃなきゃダメ!」
というのは、「餓鬼」の発想です。

子供を「餓鬼」に育てようとしていないかどうか、
そして何よりも、
自分自身が「餓鬼」になっていないかどうか、
気をつけたいところですね。
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by sawayoshi45 | 2007-09-07 00:40 | 人生のこと | Comments(0)

求める人、求められる人

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朝晩はだいぶ涼しくなりました。
嬉しい反面、それはそれで、
あの頃の暑さを懐かしく感じたり・・・
自分勝手なサワダです。



「○○高校(大学)に入りたい!」
「将来は絶対○○になりたい!」

高い目標を掲げるのは自由ですが、
それに見合った努力がなされていなければ、
何の意味もありませんよね。

夢や目標を実現させるためには、
「求める人」であると同時に、
「求められる人」でなければなりません。

つまり、○○高校(大学)に入りたければ、
○○高校(大学)から「求められる人」でなければいけないし、
将来○○になりたければ、
○○という職業から「求められる人」でなければならないということです。

受験は非情です。

「頑張ったから・・・」が認められる世界ではありません。
いくら「自分は頑張った」と言い張っても、
1点でも合格基準に満たなければ、不合格です。

つまり、いくら入りたいと思っても、
学校側から「求められる人」になっていなければ、
合格は出来ないということです。

頑張っているのは何も自分だけではありません。
自分より頑張っている人は、
世の中に山ほどいることを忘れてはいけません。

仕事だって同じです。

いくら自分の有能さを主張したところで、
それを判断するのは、あくまでお客さんです。

お客さんから「求められる人」になっていなければ、
仕事だってうまくはいきません。

「もっと給料が欲しい!」
「もっと出世したい!」
「もっと有名になりたい!」
もっと、もっと、もっと、もっと・・・。

私たちはとかく、自分の実力以上のものを求めたがります。

それ自体は別に悪いわけではありませんが、
「求める人」が多い割には、
「求められる人」になるための努力をしている人は、
果たしてどれだけいるんでしょうか?

「求める人」には、誰でもなることが出来ますが、
「求められる人」には、それ相応の努力が必要です。

「求める人」よりも「求められる人」でありたいですね。
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by sawayoshi45 | 2007-09-03 01:00 | 人生のこと | Comments(0)

郷に入っては郷に従え

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イチローMVP
しかも5年で1億ドルって・・・。
やっぱりこの人、
宇宙人ですね。(笑)



私の通った高校には、修学旅行がありませんでした。
理由は「大学受験の妨げになるから」だそうです。
当時は頭のお堅い先生が多かったんでしょうね。(笑)

そのことに対して、不満を言う同級生も何人かいましたが、
私には、さほど興味がありませんでした。
そんなのは、最初からわかっていたことだからです。

私が入学する前から、その高校は「修学旅行のない学校」で有名でした。
私はそれを知ったうえで、その高校を選びました。
文句を言う理由は、どこにもありません。

もし、どうしても修学旅行に行きたいのなら、
修学旅行のある学校を選べば良かっただけのことです。

それを知ったうえで入ったのに、入ってから文句を言うのは、
それこそ「お門違い」というものです。

私の中学生に対する指導は、自分でもかなり甘いほうだと思っています。
子供たちから出る学校や先生に対する不満も、
よっぽどのことでない限り、なるべく黙って聞くようにしています。

子供のサボり癖を多少たしなめることはあっても、
大声で叱ったり、自分から見捨てたりするようなことは、まずありません。

私立中学は別として、多くの子供は学校や先生を選べません。
そういった子供の立場も、なるべく考慮に入れているつもりです。

でも、高校は違います。

高校は、自分で選んで入ったはずです。
高校生になって、学校の勉強や校則に文句を言うのは「お門違い」です。

自分で選んで入ったからには、それなりの覚悟を持って欲しい。
そういった願いを込めて、不満を言う生徒に対しては、
なるべく厳しく言うようにしています。

とはいっても、まだ高校生。
体は十分大人でも、精神的にはまだ子供。
そう考えれば、厳しいといっても、まだ大目に見る余地はあります。

悲しむべきは、
大人になっても「お門違い」をしている人が多いということ。

「給料が安い!」
「忙しすぎる!」
「これじゃあ、割が合わない!」

自分で選んだ仕事のはずなのに、
こういった不満は何だか見苦しいですね。

「そんなにイヤなら辞めればいいのに」、
と思ってしまうのは、私だけでしょうか?

組織の中で働くなら、組織のやり方に従うのがルール。
それがイヤならさっさと辞めて、
新しい道を歩めばいいだけの話です。

ところで、当時修学旅行がなかった私の母校も、
さきほど学校のHPを確認してみたら、今は普通にあるようです。
何だか複雑な気分です。(笑)


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by sawayoshi45 | 2007-07-12 01:25 | 人生のこと | Comments(2)

こうすれば、こうなる?

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何とか生きてはいますが、
不覚にもちょっと風邪気味です。
子供たちに移さないように、
気をつけなくちゃね。



このブログの読者の方なら、
もうお気づきかも知れませんが、
私は、「かも知れない」という言葉をよく使います。

優柔不断な性格なのかも知れませんが、
正直言って、断定したものの言い方が苦手です。

「やれば出来る(かも知れない)」
「努力は報われる(かも知れない)」
「勉強すれば、合格できる(かも知れない)」
「頑張れば、幸せになれる(かも知れない)」

う~ん、こう書くと、何だか頼りない感じがしますけどね。(笑)

でも私は、「こうすれば、こうなる」といった単純な発想には、
何となく嫌悪感を抱いています。

私の今までの人生経験上、
「こうしても、こうならなかった」といったことを、
多く経験してきたからかも知れません。(笑)

私は「人生は思い通りにいかなくて当然」と思っています。
もちろん努力は大切です。

ただ、「人生を思い通りにするため」に必要なのではなく、
「思い通りにいかないときのため」に必要。
そのように考えています。

努力には忍耐力が必要です。

みんなが遊んでいるとき、
その誘惑に負けない忍耐力が必要です。

みんながゲームを楽しんでいるとき、
勉強するという忍耐力が必要です。

そうやって鍛えた忍耐力は、
「人生が思い通りにいかなかったとき」に、大きな力を発揮する。

だから、報われるとか報われないとかは関係なく、
努力をすることにこそ価値がある。
子供たちには、そのように伝えています。

「どうすれば点数が取れますか?」
「どうすれば成績が上がりますか?」

スイッチひとつで何でも出来る環境で育ってきた子供たちは、
「こうすれば、こうなる」といった方法を簡単に求めてきます。

でも、勉強はスイッチひとつで出来るようになるわけではありません。

生活体験、感覚、心の状態、努力の量・・・、
そういったさまざまな要因が組み合わさって、
それが結果として表れてきます。

ですから子供のこういった質問には、

「キミたちの目から見て、
一見ムダに見えることにも真剣に取り組めるようになれたら、
成績も上がるかも知れないよ」

と答えるようにしていますが、
さて、どれだけの生徒にその真意が伝わっているかは、
定かではございません。(苦笑)


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by sawayoshi45 | 2007-06-26 01:49 | 人生のこと | Comments(2)


【札幌の家庭教師 学びの森】   サワダと申します。


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