<   2006年 04月 ( 30 )   > この月の画像一覧

間(ま)

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札幌もようやく暖かくなってきました。
私もようやくヘルメット、
じゃなくて髪を切ってサッパリです。
札幌はこれからがサクラの季節。楽しみです。



世はお笑いブームでございます。
テレビを見ていてもお笑い芸人を見ない日はほとんどありません。
私が小学校高学年の頃から中学にかけても、ちょうど漫才ブームの時期でしたので、
私もお笑い番組を見ながら育ったクチでございます。

ですから私もお笑いは決して嫌いではありません。
というか、むしろどちらかと言えば、好きなほうです。
私の中で、「お笑い芸人」はかなり高い位置を占めていますし、尊敬もしています。
「笑われる」ことは簡単ですが「笑わせる」ことって、意外と難しいことですからね。

ところで、お笑いで一番大事なのは「間(ま)」の取り方だとよく言います。
この「間」を取るのが下手な人を「間抜け」というそうです。

機関銃のように一方的にしゃべるのもダメ、
だからといってシーンとさせてしまうのもダメ。
適度なしゃべりと、「間」をうまく使ってお客さんを笑わせる「空気」を作り出す。
これが一流のお笑い芸人のなせる技といったところでしょうか。

でもこれって、何も「お笑い」に限ったことではないですよね。
私も授業をしていて、この「間」の大切さをつくづく感じます。

限られた時間の中で、出来るだけ多くのことを伝えたい。
これは「先生」と呼ばれる職業に就いている人の共通の感情だと思いますが、
その気持ちが強くなると、どうしても「機関銃のしゃべり」になってしまいがち。

私も昔はよくこういった過ちを犯していたような気がします。
自分では気付いていないだけで、今でもやっていることがあるかも知れません。
気を付けなければいけませんね。

そして人とのコミュニケーションでも、適度に「間」を取ることは大事だと思います。
自分の思いばかりをぶつけて、人の話に耳を傾けない人は、やはり引いちゃいますよね。

人間には、口がひとつしかないのに耳がふたつあるのは、
自分が話すことの2倍、他人の話を聴くためであるという話を聞いたことがありますが、
たしかにそうかも知れませんね。

授業においても、日常生活においても、
「間」を上手に取れる人間、子供や人の話にしっかり耳を傾けられる人間、
ああ、そんな人間に私はなりたいでございます。
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by sawayoshi45 | 2006-04-30 23:59 | 世間のこと | Comments(4)

カレー食べ放題

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妻の力作?
妻曰く「新玉ネギの煮たやつ!」・・・???
玉ネギ丸ごと1個!
これで血液サラサラ! だそうな。
料理は全体を写さないのがコツらしい(妻理論)。
本当?


世間はゴールデンウィークに突入です。
私にはあまり関係ありませんが、なんと9連休という方もいらっしゃるそうな。
何とも羨ましい限りでございます。

といっても、私の場合はそんなに休んだら廃業しちゃいます。
「超零細個人(?)」の世界は、とても厳しいのでございます。

生徒の都合で休みになることはありますが、
やむを得ない場合を除いて、
自分の都合で休みをとったことは、この10年で1度もございません(ちょっと自慢)。

というわけで、
せっかくの楽しいゴールデンウィーク中に、お堅いことを書くのもどうかと思うので、
しばらくは、他愛のない日記でも書くことにしますか。

今日は仕事が少し早めに終わったので、
夜に妻と2人で、カレーバイキングに行ってみました。
食べ放題で、なんと580円!!
これだけ見ると、すごくお得に思えますよね。

ただ、実際食べてみると・・・、
20代の頃のようにはいかないものですねぇ。
自分で思うよりは、なかなか入らないものでございます。
何とか「元」を取ってやろうと、「貧乏人根性」丸出しで頑張ったんですが、
普通に食べたほうがよっぽど良かったような・・・。

ちなみに味のほうはと言えば・・・・・、
妻は「水が一番美味しかったね」と言っていました。
これで、お察しくださいませ。

まあ、今日は「いい勉強(?)」になった1日でございます。
みなさんも「食べ放題」という甘い言葉には気をつけましょう!

ふぅ、それにしてもまだお腹が苦しい状態。
このまま寝たら、さらに「横の幅」が・・・。

愛しの内田先生の本でも読みながら、もうちょっと頑張って起きていることにいたします。
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by sawayoshi45 | 2006-04-29 23:59 | どうでもいいこと | Comments(2)

棄霊島

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私「来週ゴールデンウィークだけど授業どうする?」
生徒「先生疲れてそうだから、休んでもいいよ」
なるほど、そうきたか・・・。
ズル賢くなったなあ・・・。



今日は完全なる「趣味日記」です。

推理小説が好きでよく読みます。
普段は古本屋さんから、文庫本を買って気軽に読んでいるのですが、
内田康夫さんの作品に限っては、私の中では「別格」扱いでございます。

今まで出版された本は、ほとんど欠かさず読んでいますし、
新刊が出るたびに、新品のまま買うことにしています。

これは私の思い込みかも知れませんが、
彼の作品は、他の推理小説に比べて、とても奥深さを感じます。
単なる殺人事件では終わりません。
政治的背景、歴史的背景がふんだんに盛り込まれていて、社会の勉強にもなります。

「軽井沢のセンセ」として、自分を作品に登場させるユーモアセンスも抜群です。
たしか、ヒッチコックもやっていましたよね。
自分が映画にさりげなく登場してくるってやつ。
あんな感じですかね。

そして、つい先日、待ちに待った彼の新作「棄霊島(きれいじま)」が発売になりました。
早速、本屋さんに出向いて買ってきました。
しかも、今回の作品は「浅見光彦シリーズ」の百冊目ということで、
出版社もかなり力を入れているご様子。
読むのが、とても楽しみでございます。

というわけで、
私はこれからひと時の「現実逃避の旅(?)」に出かけることにいたします。
それではみなさん、お休みなさ~い。
さて、今晩、眠れるだろうか?

それにしても、上下巻2冊で3,200円(税抜)。
けっこう痛いなあ・・・・・。
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by sawayoshi45 | 2006-04-28 23:55 | どうでもいいこと | Comments(3)

合格率100%

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ホリエモンが保釈されたそうな。
保釈金は3億円だそうな。
結局世の中、お金だそうな。



成功する可能性の高い手術しかやらないお医者さんがいたとします。
そのお医者さんは、失敗の可能性の高い手術は、
決して自分の手ではやらずに、他のお医者さんにまわします。

そのため、そのお医者さんの手術の成功率は100%です。
難しい手術ばかりやらされているお医者さんの成功率は、当然あまり高くはありません。

さて、あなたはどちらのお医者さんを「名医」だと思いますか?

まあ、こういったバカげたことが、医者の世界に実際あるかどうかはわかりませんが、
教育の世界、特に、受験業界の世界では特に珍しいことではありません。

最初に入塾テストを実施し、
よほどのことがない限り、必ず合格するだろうと思われる生徒ばかりを入塾させます。

入れば、厳しい厳しい授業が待っています。
宿題も毎日ヤマのように出ます。
遊ぶ暇なんてまったくありません。

授業についていけなくなった子、宿題が出来なくなった子、
また、言うことをなかなか聞かなくなった子は容赦なく退塾させます。

そして、
そういった厳しい授業にも耐えられるような生徒ばかりが生き残ることになります。
結果、その塾の志望校合格率はほぼ100パーセントです。

そして、その噂を聞いて、その塾には生徒さんがたくさん集まってきます。
いや、「生徒さんが集まってくる」というよりは、
「親が群がってくる」といったほうが適切な表現でしょうか?

一方、そういった塾についていけなくなった子、
学校の授業にもついていけなくなった子を、多く受け入れている塾があったとします。

そういったお子さんにとって、少しでも「わかりやすい授業を」と思いながら、
先生方は日々試行錯誤を繰り返しています。

それをきっかけに立ち直る子、ぐんぐん伸びてくる子も何人かは出てきます。
でも、残念ながら「合格率」はあまり高くはならないし、
世間で言われるトップ校に合格できる生徒もそんなに多くはなりません。

さて、あなたなら自分のお子さんを、どちらの塾に通わせますか?

前者の塾の存在を否定するつもりはありません。
医者にも内科、外科、精神科などの専門の違いがあるように、
塾にもそれぞれ「専門分野」の違いがあります。

それに世の中の経済活動は需要と供給で成り立つわけですから、
前者の塾を選ぶ人がいて、子供もそれに満足しているなら何ら問題はありません。

私がここで書きたかったのは「選ぶ側」の問題です。
自分のお子さんに合った塾を本当に真剣に選んでいるかどうかということです。

目先の情報、オモテの情報ばかりを鵜呑みにして、
精神科に通うべき子供を外科に通わせるようなことをしていないかどうかということです。
お子さんが、ただの「お客さん」になっていないかどうかということです。

このブログを読んでくれている方なら、すでにおわかりだと思いますが、
私は、後者の立場をとっています。

もちろん、「偏差値レベルの高い学校を目指したい!」という子にも、
それ相応の対応はするようにしていますが、
前者の塾のようなやり方をすることはまずありません。
というか、出来ません。

ただの「お金儲け」という面では、前者の立場をとったほうがいいのはわかっています。
でも、私は「経営者」である前に、「教育者」でありたいと思っています。

私のような人間が「教育者」を語るのは、大変おこがましい話ですが、
少なくとも、「そうありたい」という思いはあります。
そして、これからもその立場を変えるつもりはありません。
経営としては正直とても難しいですが、これが私の「専門分野」だから仕方ありません。

ただ、来年からは「無料の公立塾」が出来るそうです。
私にとっては、ますます厳しくなる状況でございます。
さて、どうしましょ!
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by sawayoshi45 | 2006-04-27 23:59 | 家庭教師のこと | Comments(6)

勉強出来ないのは人間のクズ?

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耐震偽装のメンバー8人が逮捕。
札幌や小樽でも偽装マンションは多数発覚。
でも、これも「氷山の一角」なんだろうな。
きっと・・・。





「勉強はやれば誰でも出来るようになる」
「勉強が出来るか出来ないかは、やるかやらないかの違いだ」
「勉強が出来ない人間は、ただの怠け者である」
「だから、勉強が出来ない人間はクズだ!」

なるほど、それも一理あるような気がしないでもありません。
でも、プロ野球選手が次のように言ったらどうでしょう?

「野球は練習すれば誰でも出来るようになる」
「野球が出来るか出来ないかは、練習するかしないかの違いだ」
「野球が出来ない人間は、ただの怠け者である」
「だから、野球が出来ない人間はクズだ!」と。

きっと、たくさんの批判を浴びることになるでしょうね。
勉強も出来る。スポーツも何でも得意。
楽器も何でも弾けるし、絵を描かせても画家なみにうまい。
そんな人が言うのであれば、まあ、反論の余地もありませんが、
果たしてそんな人、世の中にいるんでしょうか?

私たちは、自分が得意なことを取り上げては、「やれば誰でも出来る」と言いがちです。
たまたま自分が「やって出来た」ことを「誰でも出来る」と勘違いします。
その心の奥底では、
「自分はそれだけ努力した人間だ!」ということを訴えているようにも聞こえます。

「勉強はやれば誰でも出来る」というのは、
たまたま自分が「やって出来た」という経験からくる言葉に過ぎません。
たまたま地位や名声を手に入れた人間が、
「やれば誰でも成功する」と「成功論」を物知り顔で語るのと同じです。

最初から足が速い子と遅い子がいるように、
やはり人間にはある程度の「得手不得手」というのはあると思います。

百メートルを20秒かかって走る子に、
「努力すれば12秒で走れるようになる!」と言うのは、ちょっと無理があると思います。
20秒かかる子には、まずは19秒で走れるように導けばいいだけの話です。
19秒で走れるようになったら、次は18秒を目指せばいい。

20秒の子に12秒を要求し、
それがすぐに出来ない子は「クズ」呼ばわりして、切り捨てる。
何だかそういった人間が、教育の世界で大手を振って歩いているのをみると、
とても残念であると同時に、腹立たしさを覚える今日この頃でございます。
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by sawayoshi45 | 2006-04-26 23:59 | 教育のこと | Comments(6)

過去と他人は変えられない

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尼崎の脱線事故から1年。
自分には何の落度もないのに、
生きたくても生きられなかった人がいる。
生きていられることに感謝!ですね。



「病気を治すのは医者ではない。患者自身である。」
あるサスペンスドラマを見ていたら、こんなセリフを耳にしました。
なるほど、言われてみればその通りですよね。
これ、教育においても同じことが言えるのではないかと思います。

「過去と他人は変えられない」という言葉があります。
「過去を変えられない」ことは当たり前のことですよね。
でも、「他人を変えられないこと」を自覚している人、実際どれだけいるでしょうか?

私たち人間に「他人を変える」力はありません。
変えられるのは「他人」ではなく「自分」だけです。

「オレがアイツを変えてやった」
「オレがいなかったらアイツはどうなっていたか・・・」、
そんなのはただの傲慢であり、勘違いに過ぎません。

子供に「本を読みなさい」と、「本を読まない親」が言います。
子供に「勉強しなさい」と「勉強しない親」が言います。
子供に「思いやりの心を持ちなさい」と「思いやりのない親」が言います。
子供に「ガマンすることを覚えなさい」と「ブランド品を買いあさる親」が言います。

これらはすべて、自分が変わろうとせずに、他人だけを変えようとする行為です。
子供が言うことを聞かなくなるのは当然のことだと思いませんか?

「子供が何を考えているのかわからない」と悩む人がいます。
当たり前です。
他人の気持ちなんて、すべてわかるはずがありません。

逆の立場だったらどうでしょう?
自分の気持ちが、他人や子供に「丸裸」にされる。
気味が悪いです。

「わかろうと努力すること」は必要ですが、
「わかったつもり」になることは、とても危険なことだと思います。

子供を変えようと本気で思うのなら、まずは自分が変わること。
私たちオトナが変わる以外に方法はありません。
子供社会はオトナ社会の縮図と言われます。
子供社会をどうこう言うなら、まずはオトナ社会を見直す必要があると思います。

教師も親も子供を変えることに一生懸命です。
それはそれで悪いわけではありませんが、
その気持ちが暴走すると、子供への「憎しみ」に変わることがあります。

一生懸命であればあるほど、思い通りにならない子供への「憎しみ」は増大します。
それと同時に子供の親や教師に対する「憎しみ」も増大します。
それが原因で起こる事件は後を絶ちませんよね。

過去と他人は変えられません。

「変えられないこと」を前提として、人と接すれば、
少なくともそこに「憎しみ」は生まれません。

子供は「親を裏切ってナンボ」「教師を裏切ってナンボ」です。
「勉強すること」が子供の仕事であるならば、
「子供に裏切られること」が、オトナの仕事です。

それでも決して見放すことなく、子供と付き合い、子供を見守る。
それが「愛情」であり「教育」というものだと思います。

世の中、自分を変える努力をしようとせず、他人ばかりを変えようとしている人、
あまりに多すぎるような気がします。

まあ、こういっている私自身、そのひとりかもしれませんが・・・。
ただ、少なくとも自覚することだけは忘れないよう、心がけているつもりでございます。
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by sawayoshi45 | 2006-04-25 23:59 | 教育のこと | Comments(6)

フジ子・ヘミング

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今日は寒い1日でした。
道東では雪が降ったそうな。
もうすぐゴールデンウィークだというのに・・・。




スピリチュアルな世界のことは正直よくわかりませんが、
美輪明宏さんと江原啓之さんの「オーラの泉」という番組はいつも観るようにしています。

今日はその2時間スペシャル。
仕事から帰って、録画したのを急いで観て、今これを書いています。
ゲストは船越英一郎さんと、フジ子・ヘミングさん、長谷川理恵さんの3人。

みな、それぞれに興味深いお話で、いろいろ考えさせられることが多かったのですが、
その中でも、私が最も感銘を受けたのが、フジ子・ヘミングさんのお話でした。

妻が持っている「美輪明宏のおしゃれ大図鑑」という本に、
ちょうどフジ子さんのことが書かれてあったので、
それをもとに簡単に紹介させていただきます。

フジ子さんはベルリン生まれ。
異国人の父親は彼女が幼い時に家を後にしました。
ピアニストだった母親に厳しくピアノを仕込まれ、
早くから才能を発揮していたにもかかわらず、下手だ下手だとしかられて、
決してほめてもらえなかったとか。
そして16歳の頃、病気で片耳が聞こえなくなってしまいました。

東京音楽学校(現・東京芸術大学)を卒業してもピアニストの職はなく、
留学を志しても国籍問題からなかなか実現せず、
ヨーロッパに渡ったのは30歳になってから。
日本からの送金は少なく、極貧を味わったといいます。

留学生仲間の妬みやそねみもひどかったとか。
約10年後、千載一遇のチャンスをつかみ、
デビューリサイタルを開催するところまでこぎつけたのですが、
練習中に高熱を発し、今度は聴覚を一切失うというトラブルに見舞われます。
まったく音が聞こえないまま演奏した結果、リサイタルは失敗。
それ以後、治療してある程度まで聴覚を回復し、ドイツでピアノ教師の職につき、
時折小規模の演奏会を開きながら、細々と暮らしてきました。

1995年、母親の死をきっかけに、何十年ぶりに日本に帰国。
母校の講堂や自宅でこじんまりとしたコンサートを開き、
それをたまたま聴いた人たちのクチコミによって、
その演奏の見事さは徐々に広がっていきました。
そんな彼女の波瀾の人生を、NHKがドキュメンタリー番組に取り上げたのです。

番組の中、要所要所に流れるフジ子さんの演奏は、
テレビを観ていた人たちの度肝を抜きました。
こんなクラシックは初めて聴いた、どこに行けばCDを買えるのかと、
全国から問い合わせが殺到したといいます。

「簡単に」と言いながら、けっこう長くなっちゃいましたね。

「大器晩成」という言葉がありますが、
ものすごい「遅咲き」といってもいいのではないでしょうか。

私はピアノのことはよくわかりませんが、
彼女が人生で味わってきたさまざまな思いが、彼女の演奏に詰まっているからこそ、
私たちはそれを聴いて、何かを感じるのかも知れませんね。

勉強も同じですが、小手先のテクニックだけじゃ何も伝わらないということですね。
私も気をつけなければと思います。

書きたいことはまだあるのですが、何だか長くなってしまいそうなので、
最後に言った彼女の言葉を紹介して、今日は終わりにしときます。

私は50歳になるまでテレビはなかったのよ。
今の人、みんなケータイ持たなきゃ気が済まないじゃない。
人間なんて食べるものがちょっとだけあれば、健康に生きていけるのよ。

神様は、いつも助けてくださっているのに、それに感謝もせず、
何で人間は「もっと、もっと、もっと、もっと・・・」とやるのかな。

人が持っていたら羨ましがって、
「オレもそれを持たないと不幸せだ」と思うことがとんでもないこと。
(今の人は)自分の中に同じだけの幸せがあるのに、それを見ようともしない。

現代に生きる私たちが、心しなければならない言葉だと思います。
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by sawayoshi45 | 2006-04-24 23:59 | 人生のこと | Comments(2)

読書=勉強?

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SHINJO選手。
引退を宣言してからというもの絶好調ですね。
わざと自分にプレッシャーをかけたのかな。
これもSHINJO流ってやつ?



「趣味は読書です」と言うと、
何だか「マジメ」とか「勉強好き」といったお堅いイメージを持たれがちです。
日本では、いまだに「読書=勉強のため」というイメージがあるように感じます。
そして、これが子供たちを「読書嫌い」にさせている原因のひとつではないかと思います。

でも、本来「読書」というのは、「成績を上げるため」のものでもなければ、
ましてや、「読書感想文を書くため」のものではないはずです。
「読書」はあくまで「娯楽のため」のものであると私は思っています。

私も「趣味は読書」とよく言ったりすることはありますが、
何も文学作品や教育書ばかりを読んでいるわけではありません。

推理小説を読んでいることもあれば、気軽なエッセイを読むこともあります。
これは「読書」には入りませんが、雑誌も読む(見る?)し、
コンビニからマンガを買って読む(見る?)こともあります。
生徒の部屋から気になるマンガを借りてくることまであります。

今の子供たちから「読書離れ」が進んでいるという話をよく聞きます。
まあ、たしかにゲームもやらなければならないし、
友達とメールの交換もしなければならない。
塾や習い事にも行かなければならない。
そんな忙しい(?)生活をしていれば、「読書」をする時間なんてなくなりますよね。

でも、これって子供たちだけの問題でしょうか? 
私たちオトナに本当に「読書」を楽しんでいる人、どれだけいるでしょうか?

「国語力をつけるためには本を読ませてください!」と先生に言われ、
「あんた!国語の点数を上げるには本を読むのがいいんだって。
だから本を読みなさい!」と子供に押し付ける。

たかだか一冊や二冊の文学作品を無理やり読まされたところで、
国語の点数が上がるということはまずありませんし、
これで「読書好き」の人間が育つとも私には思えません。

「読書」は「勉強のため」のものではありませんし、
「国語の点数を上げるため」のものでもありません。

「読書」を「目的化」してしまうと、本来の「読書」の楽しみはなくなってしまいます。
子供を「読書好き」にしたいのなら、まずは自分が楽しんで読めばいいだけの話です。

今日4月23日は「こども読書の日」だったそうです。
「勉強のため」でも「成績を上げるため」のものでもなく、
「読書」そのものを好きになる、そんな子供が増えて欲しいと思います。

ただ、「読書」をすることで、結果的にいろんなことを学べる機会は増える。
これは確かなことだと思いますけどね。
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by sawayoshi45 | 2006-04-23 23:58 | 教育のこと | Comments(8)

「ひとりごと」は大切!

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4月23日は「サン・ジョルディの日」。
男性が女性にバラを、女性が男性に本を贈る日。
私からは、この写真で我慢してもらって、
妻には本を買ってもらうことにしよう! ひどい?



いつも訪問させていただいている今日さんのブログ、
日本の教育は、これでよいのかな」の記事で、
「つぶやき」「ひとりごと」を重視することの大切さが書かれていました。
その記事に刺激を受けて今日は書かせていただきます。

私自身、子供の頃から「ひとりごと」を言いながら勉強をするクセがあります。
ひとりで、
「ああでもない、こうでもない、いや、ちょっと待てよ」とやりながら勉強してきました。

そしてこれは今でも変わっていません。
授業の準備をするときも、私にとって「ひとりごと」は欠かせません。
妻には「うるさいな~」とたまに言われますけどね・・・(笑)。

医学的なことはよくわかりませんが、
そうしたほうが何となく頭に入りやすい気がします。
音声として「入力」したほうが頭に残りやすいということでしょうかね。

そのため、私の授業もとにかく「声を出す」ことを基本としています。
もちろん私が「声を出す」ことは当たり前のことですが、
それ以上に子供たちに「声を出させる」ことが大事だと思っています。

まあ、英語なんかは「声を出して読む」ことが基本であることは、
今さら言うまでもないことですが、数学も理科も「声を出して」考えさせるようにしています。
私の授業は友達同士であれば最大3人まで同時に行うことがありますが、
そのときは相談し合いながら、問題を解いてもいいことにしています。

その分、答え合わせのときは合っていても間違っていても、
「なぜそのような答えになったのか」、私を納得させる説明をさせるようにします。
子供たちは「説明してもらう」ことよりも、自分で「説明する」ことで考えをまとめていきます。

たまに私には考えもつかなかった面白い解き方を発明(?)する生徒もいて、
私自身の勉強になることもあります。
そんな感じなので、なかなか思い通りに進むということは正直あまりないのですが、
多少時間がかかっても、
「一方通行の授業」「自己満足の授業」にはしたくないと思っています。

学校でも家庭でも、「勉強は静かにやるもの」といったイメージがあるかと思いますが、
私はどんどん声を出してやっていいと思っています。

「静かにやらなければならない」といった先入観が、
子供たちを「勉強嫌い」にさせている原因のひとつではないでしょうか。

もちろん、そればかりではないでしょうけど、
少なくとも私であれば、音を小さくして軽~く音楽でもかけながら、
そして、たまにはその音楽にリズムを合わせながら勉強を進めたほうが、
逆に集中力を保てますし、長続きもするような気がします。

「楽しい勉強」は、子供によっては難しいことかも知れませんが、
「楽しく勉強」なら、どんな子供でも難しいことではないと私は思っています。

子供たちが「楽しく勉強」できない環境をつくっているのは私たちオトナです。
勉強における子供の「ひとりごと」に対して、
ウチの妻のように「うるさいな! 静かにやりなさい!」と言っていないでしょうか?

というわけで、最初はそんなつもりはなかったんですが、
書き終わってみると、何だか自分の宣伝っぽくなってしまった気が・・・。
どうかお許しくださいませ。
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by sawayoshi45 | 2006-04-22 23:39 | 勉強のこと | Comments(9)

田舎生活、都会生活

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髪がのびてきた。
私の髪の毛はかたくて量が多い。
妻には「ヘルメット脱げば・・・」とバカにされる。
そろそろ脱ごうか、ヘルメット・・・



中学までの15年間、海と山しかないような「ど田舎」で育ちました。
今は札幌のほぼ「ど真ん中」(ススキノまで徒歩5分!)に住んでいます。
ですから、一応「田舎生活」と「都会生活」の両方を知っているつもりです。

「都会生活」に比べると、「田舎生活」はやはり不便と言わざるを得ません。
しかも私が育った地域は豪雪地帯でもありましたので、冬は特に大変です。
もともとバスは一時間に一本程度しか来ませんし、
さらに雪の日などは何十分も遅れてやって来ます。
時化のときなどは、猛吹雪の中、潮をかぶりながら学校に歩いて通ったこともあります。

ただ、もちろん「悪い面」ばかりではありません。
遊ぶ場所には事欠きませんでしたし、
何よりも「田舎生活」をすることで、「待つこと」を覚えることが出来ました。
実は、これが私にとっては一番の収穫だったような気がします。

「田舎生活」は自然との共存が前提ですので、「待つこと」が当たり前の生活です。
雨や雪が降れば、止むまで「待つ」。
車を持たない人は、次のバスが来るまで1時間でも「待つ」。
まあ、そんな感じです。

さらに私の子供の頃の遊びの中心は、魚釣りでした。
これも「待つこと」を前提とした遊びですよね。

そして、その「待つ時間」を利用して、
いろいろ物事を考えたり、本を読んだり、ボーッとしたりすることができたわけで、
今思えば、この「待つ時間」が私にとっては最も貴重な時間だったんじゃないか、
そんな気までしてきます。

養老孟司さんの本で読んだことがありますが、
「都会生活」と「田舎生活」の違いは、
「こうすればこうなる」か「こうしてもこうならない」かの違いだそうです。

「都会生活」はスイッチひとつで何でも出来る生活、
そこには「待つ」必要がほとんどありません。

一方、「田舎生活」は自然条件によって、なかなか人間の思い通りにいかない生活、
つまり「待つこと」が余儀なくされる生活だということです。
なるほど、言われてみれば、そんな気もしますよね。

そして河合隼雄さんの本にもよく出てきますが、
教育において最も大切なことは、やはり「待つこと」だと思います。
たしかに場合によっては「引っ張ること」が必要なときもありますが、
基本はあくまで「待つこと」だと思います。

子供たちが自分でやるきっかけをつかむまでは、とにかく「待つ」。
もちろん、きっかけをつかんでもらうための働きかけは、いろいろしますが、
だからといって、強引に引っ張っていこうとする教育には、あまり賛成できません。
そこには必ず歪みが生じてくるような気がしてなりません。

今の教育に感じること。
それは、この「待つこと」がどんどん失われてきているのではないかということです。
何だかよくわかりませんが、あまりに急ぎ過ぎていないでしょうか?

そして最近では「パソコン指導」なるものも普及してきました。
お互い実際に顔を合わせることなく、カメラを介しての指導。
たしかに、塾もない地方の子供たちにしてみれば、
自宅にいながら教えてもらえるわけですから、便利なことに違いありません。

でも、「人と人との生のぶつかり合い」のまったくない教育、
「スイッチ(?)」ひとつで子供を操ろうとする教育には、少し疑問を抱いています。
子供と同じ空間を共有してこそ、教育の意味があるような気もするんですが・・・。

勉強はしたいけど、近くに塾はない。
しょうがないから、自分でやるしかない。
よし! 問題集を買いに行こう!

こんな子供たちが増えて欲しいなって思いますが、
今どきこんな考えかたって古いのかな?
ただ、世の中そんな子ばかりになったら、私は間違いなく廃業ですけどね。

でもやっぱり、「便利」か「不便」かって言われたら、「便利」がいいかなあ。

というわけで、今日も何だか矛盾だらけのサワダです。
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by sawayoshi45 | 2006-04-21 23:58 | 教育のこと | Comments(2)


【札幌の家庭教師 学びの森】   サワダと申します。


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