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タラレバ

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盗作した作品で、地位と名誉を手に入れちゃうって、
どんな気分なんだろう?
きっとバレるまでビクビクものですね。
私だったら耐えられないな。
バレてよかたね、和田さん




プロ野球中継を見ていると、解説者がよく「野球に『タラレバ』はありませんが・・・」
といった言い方をしているのを耳にします。

「タラレバ」とは、作戦が裏目に出たときなどに、
「あの時、もしこうしていタラ(レバ)、成功していたかも知れないのに・・・」
といった後悔に使われることが多いようです。
英語で言う「仮定法」ってやつですね。

でもこの「タラレバ」。
野球に限らず、私たちは普段からよく使ってしまいがちですよね。

「もっと勉強していタラ・・・」
「もっと早くから練習をやっていレバ・・・」
「あのとき、違った道を選んでいタラ・・・」

正直、私も今まで何度思ってきたことかわかりません。
でもやっぱり「過去と他人は変えられない」。
何度後悔したところで、結果が変わることはありません。

「変えられないこと」をいくら悩んでも仕方ありませんよね。
変えられるのは「今の自分」と「これからの自分」だけ。
少しでも前向きに考えるしかないと思います。

試験や受験が近づいてくると、必ずといっていいほど、
「あぁ、もっと時間があっタラ、いいのに・・・」
「1日が48時間あレバ、いいのに・・・」といった言葉を子供たちから聞きます。

気持ちはわからないでもありませんが、
きっともっと時間があっても、1日が48時間あっても100時間あっても、
結果はさほど変わらないはず。
なぜなら、それは時間の問題ではなく、本人の心の問題だからです。

野球に「タラレバ」がないように、勉強にも人生にも「タラレバ」はありません。
何度も言いますが、変えられるのは「今の自分」と「これからの自分」だけ。
「過去」を後悔している時間があったら、
1問でも多く問題を解くことを考えたほうが得策だと思いますよ!
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by sawayoshi45 | 2006-05-31 23:55 | 勉強のこと | Comments(0)

とりあえず次の電柱まで

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オールスターファン投票中間発表
相変わらず阪神の選手ばかり。
阪神ファン、すごいなぁ。




私は小学校までは、足にはまったく自信のない子供でした。
運動会でも、後ろから数えたほうが早い順位だったと思います。

そこで「せめて人並の速さで走れるようになりたい」と思い、
中学校で陸上部に入部しました。
種目は中距離(800メートルと1500メートル)。

中距離を選んだのは、
「短距離は才能の差もあるだろうけど、
中距離や長距離なら努力次第で何とかなるかも知れない。
でも、長距離は走りきる自信がない」といった、単純な理由からです。

でも、実際やってみると、
中距離が一番苦しい種目だというのがよくわかりました。
他の種目に比べ、練習も一番きつかったような気がします。

結局、人に自慢できるほどのたいした記録を持つには至りませんでしたが、
それでも、今思えばやって良かったなと思っています。
自分に自信を持つことができたのが、何よりの収穫だと思います。

私にとって、練習はとても辛いものでした。
最初はとにかく筋肉痛の日々。
「やっぱりやめれば良かった」と何度か後悔したこともありましたが、
慣れてくると、走り終えた後の、
あの何とも言えない「充実感」「達成感」が忘れられなくなります。

私にとって、走ることは「苦痛」以外の何ものでもなかったのですが、
タイムが縮まってくるのがわかると、また「やる気」が出てきます。
これは勉強もまったく同じですよね。

走っていて、どうしても辛いとき、
私は「とりあえず次の電柱まで」と思うようにしました。

「次の電柱」に辿り着いたら、また「とりあえず次の電柱まで」です。
それを繰り返すことで、最後まで何とか走り続けることができます。
トラックで走る時は、「とりあえずあと半周」です。

最初から「10キロ走らなければならない」と思うと、気が遠くなります。
でも、「次の電柱まで」あるいは「あと半周」なら、何とかなるという気がしてきますよね。

勉強も同じだと思います。
最初から「5時間やろう」とか「100問、問題を解こう」と思うと気が遠くなりますが、
「とりあえずあと30分」とか「とりあえずあと5問」と思い、
それを繰り返していけば、結果的にかなりの量をこなすことができます。

特に「あぁ、もう限界だ!」となってから解いた1問は、
その中でも、その人にとって大きな力になると思います。

とりあえず自分の手が届きそうなところに目標を設定して、
それをクリアしたら、また次の目標を立てればいい。
この考えが、今の私の生き方にも大きく影響しているような気がします。

人生はよくマラソンにたとえられます。
「スタートダッシュ」はいつも出遅れてばかりの私ですが、
「とりあえず次の電柱まで」という気持ちで、ゆっくりでも走り続けてさえいれば、
それなりに道は開けるんじゃないか、そんな気がする今日この頃でございます。
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by sawayoshi45 | 2006-05-30 23:59 | 自分のこと | Comments(4)

続・わかるの早過ぎない?

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広島の黒田投手がFA権取得。
個人的には、広島のエースとして、
広島に残って欲しい選手ですが・・・。
巨人にだけは行かないで~。



昨日の記事では、「わかるのが早過ぎる」子供たちについて書きました。
でもよく考えてみれば、これは子供ばかりの問題でもないような気がします。

子供社会は大人社会の縮図と言われるように、
世の中「わかるのが早過ぎる」大人たちもたくさんいらっしゃるようです。
子供よりも、むしろこちらのほうが問題かもしれませんね。

「あ~!ハイハイ。わかったわかった!」と簡単に言う人がいますが、
何だか信頼できない感じがしますよね。
こういった人ほど、平気で約束を破ったり、結局は何もしていなかったり、
という人が多いような気がします。

昨日の「わかるのが早過ぎる」子供と同様、あまり考えていないということですよね。

たまたま自分の指導法で、何人かの生徒の成績が上がった。
これで「教育がわかった!」と思い込み、
「教育とは・・・」と「教育論」を語り始める先生。
(私のこと?)

たまたま自分の子供が、世間でいう「いい学校」に入って、「エリートコース」に乗っかった。
これで「子育てがわかった!」と思い込み、
「子育てとは・・・」と「子育て論」を語り始める親。

たまたま自分が手がけた事業が成功して、お金も地位も手に入れた。
これで「仕事がわかった!」あるいは「人生がわかった!」と思い込み、
「成功とは・・・」「人生とは・・・」と「成功論」「人生論」を語り始める人。

数え上げればキリがありませんよね。

でも、勉強も教育も子育ても仕事も人生も、そんなに簡単に「わかる」ものでしょうか?

私が今、子供たちに教えている勉強も、勉強のなかのほんの一部にすぎません。
もちろん私の知らない勉強も世の中にはたくさんあります。

それに私が今まで関わってきた子供たちも、ほんの一握りの子供たちです。
そういった少ない例でもって、「わかったつもり」になるのは、とても危険なことだと思います。
自分がうまくいったからといって、他人の子育てに口出しをしたり、
自分の考えを相手に押し付けようとするのは、なおさら危険です。

勉強したり、本を読んだり、ある程度の経験を通して、
知識を得ることは大事なことだと思います。

でも、それで得た知識が「すべて」だと思って、
「わかったつもり」にならないよう、気をつけたいところです。
私たちが持っている知識は、
「ほんの一例に過ぎない」ということを自覚することが大切だと思います。

まあ、そういった意味では、人間「一生勉強」といったところでしょうか。

でも、いつも妻に「全然人の話聞いてないよね!」と言われている私が言うのも、
あまり説得力ないかも・・・。
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by sawayoshi45 | 2006-05-29 23:58 | 人生のこと | Comments(8)

わかるの早過ぎない?

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「ニワトリが先か、卵が先か」。
とうとう結論が出たそうな。
「卵が先」だそうです。




「あっ!そうか、わかった!!」

教える側の人間にとっては、とても心地良い言葉ですよね。
子供たちからこの言葉を聞くために、日々頑張っておられる先生方も多いと思います。

でも、この言葉を真に受けて、教える側が、
「よし!これで大丈夫だ!」と思ってしまうのはとても危険です。
「わかるのが早すぎる」生徒ほど危険だと思います。

私の今までの経験では、学力の高い子ほど、簡単に「わかった!」とは言ってくれません。
教わったことを、自分の頭で整理する作業をするので、
「わかった!」となるまで、多少時間がかかります。

納得できないところは、とことん質問してきますし、
たまに「教師泣かせ?」の鋭いところをついてくることもあります。
でも、その分、いったん「わかった!」となると、
忘れることなく、確実に自分のものにしてくれます。

一方、すぐに「わかった!」と言ってくる生徒。
教える側からすれば、とても反応がいいので、つい教え過ぎてしまいがちです。
過去の私も、よくやりがちでした。

でも、教えた(つもりの)割には、1週間も経つとすっかり忘れてくれています。
宿題を出しても、「やっぱりわかりませんでした」といって空欄ばかり。

教えた側にすれば、
「あんなに教えてあげたのに・・・」とちょっと腹立たしい気分になることもあります。
人によっては、それが憎しみに変わることまであるようです。
恐ろしいことですよね。

子供が「わかった!」というとき、教える側は「意味がわかってもらえた」と思いがちです。
でも、子供の「わかった!」には、大きく分けてふたつの意味があると思います。
「意味がわかった!」と「解き方がわかった!」です。
この見極めがとても大事だと思います。

学力の高い子の「わかった!」は「意味がわかった! 納得した!」という意味ですが、
子供によっては「解き方がわかった」ことを「わかった!」と勘違いしてしまう子供がいます。

これは「わかった!」のではなく、「わかったつもり」になっているに過ぎません。
ですから、時間が経てばすぐに忘れるし、
少し問題にひねりを加えただけで、「わかりません!」になるのは当然のことだと思います。

まあ、早い話が「考えていない」ということですよね。

覚えて知識を増やしていくことは大切なこと。
でも、それだけでは「宝の持ち腐れ」に終わります。
自分の頭で考えながら、その知識をつなげていく。
そうやって、苦しんで得たものでない限り、知識は絶対に定着しないと思います。

「わかるのが早すぎる」生徒は、要注意です。

といっても、なかには本当にすぐにわかっちゃう人もいるようですが、
まあ、そういう方は例外と言うことで・・・。
あくまで私のような「凡人レベル」での話でございます。
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by sawayoshi45 | 2006-05-28 23:59 | 勉強のこと | Comments(4)

引っかけ問題?

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レイ・チャールズの生涯を描いた映画「Ray」。
昨日DVDを借りてきて観ました。
「音楽の天才」も私生活ではいろいろと・・・、
これも「正負の法則」ってやつかなぁ?



子供たちはよく「引っかけ問題」という言葉を使いたがります。
自分が間違った問題に対して、
それは自分の知識不足のためではなく、問題自体に問題がある。
つまり、自分はその問題に「引っかけられた」という言い訳ですね。

でも実際「引っかけ問題」とうのは、存在しないと私は思っています。
「引っかける」つもりで作られた問題なんてほとんどないはず。
きちんと勉強してさえいれば、「引っかかる」はずがありません。

つまり「引っかかった」と思うのは、問題が原因なのではなく、
それを見抜けなかった本人の勉強不足が原因だということを、
私は子供に言い聞かせます。

そして話は発展し、いつものように「精神論」に向かいます。

社会に出ると、あらゆるところから「魔の手」が伸びてきます。
そこから自分を守るのは自分しかありません。
子供であれば、最終的に親が守ってくれるでしょうが、
オトナになれば、そういうわけにはいきません。
その「魔の手」に「引っかからない」だけの知識を身につける必要があります。

「引っかかって」しまってから、「引っかかった」と気付いても後の祭り。
自分が思っているほど、世間は甘くはありません。
いくら「引っかけた人間が悪い」「世間が悪い」と訴えたところで、
自分が被った損失が埋められることはまずありません。
ちょっと冷たい言い方かもしれませんが、それが世の中の現実です。

だから私たちには勉強が必要なのだと思います。

「勉強なんて将来何の役にも立たない」と言って、
将来「引っかかりやすい」人間になるか。

それとも「引っかかりにくい」人間になるために、
今しっかり勉強して知識を身に付けておくか。

どちらを選ぶかはあくまで個人の自由ですが、
少なくとも私なら、後者の人間になりたいと思うのですが・・・。
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by sawayoshi45 | 2006-05-27 23:59 | 勉強のこと | Comments(0)

英語と日本語

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マンションの耐震「偽装」の次は、
年金の納付率「偽装」ですか。
塾の合格率「偽装」も珍しくはないし、
世の中「偽装」だらけでございます。
私も「偽装」人間と言われないように気をつけなきゃ!





私は高校の前半まで、国語や作文がとても苦手でした。
お恥ずかしながら、それまでマンガ以外の本を読むことも、ほとんどありませんでした。
学校の定期テスト程度なら、授業のノートを覚えていけば、
ある程度の点数を取ることはありましたが、
それでも苦手意識がなくなるということはありませんでした。

「国語ってあいまいだよね」
「国語の勉強の仕方がよくわからない」
「どうせ同じ文章がテストで出るわけでもないし・・・」

多くの子供たちから、こういった言葉をよく聞きますが、
当時の私も、同じように考え、特にこれといった解決策もないままに、
学校生活を送っていました。

そんな私が、大学受験時には、何と国語が好きな教科のひとつになっていました。
といっても、特別国語に時間をかけて、勉強したわけでもなければ、
誰かに特別な勉強法を教えてもらったわけでもありません。

では、なぜ急に好きになったか。
これは私なりの考えですが、「英語を勉強したから」だと思っています。

英語は当時から割と好きな教科だったので、
高校時代、授業の予習を中心に、英語の勉強だけは毎日欠かさずやっていました。

そのときに気をつけたのは、
教科書や問題集の英文の和訳をきちんとノートに書くこと。
しかも、ただ形どおりに訳すのではなく、
自然な日本語として、きちんと意味が通じる文章を心がけて書くことでした。
ですから、たった一文を訳すのに、辞書を何度も引きながら、
何十分も悪戦苦闘することも、珍しくはありませんでした。

そうやって勉強をして、英語というものが多少わかりかけてきた頃から、
自然に国語の点数も上がり、
自分で文章を書くのも、それほど苦にならなくなっていったような気がします。

一見、時間もかかるし、「非効率的」な勉強方法に見えますが、
まあ、結果的には、英語を勉強することを通じて、
同時に国語の勉強もできたわけですから、
私にとっては、まさに「一石二鳥」といった感じです。

英語も日本語も「言葉」であることに、変わりはありません。
だから私は、英語と日本語は、教科として、それぞれ独立した存在ではなく、
必ずどこかでつながっているものだと思います。
まあ、これは他の教科にもいえることですけどね。

小学校英語の導入について、いろいろ意見が聞かれます。
「英語よりまずは日本語に力を入れるべきだ!」という意見を聞くと、
「確かにそうだ!」という気もしますし、
「早いうちに慣れ親しんだほうがいい」と言われると、
何となくそんな気もしてしまう、どっちつかずの私です。

ただ、英語も日本語も、さらには数学も理科も社会も、
すべての教科は「言葉」をベースとした勉強である以上、
やはり、どこかでつながっているんじゃないかと私は思っています。

「英語ばかりやっているから、国語ができなくなる」
「国語ばかりやっているから、数学ができなくなる」ということではないと思います。

「英語をやったら、国語もできるようになった」
「国語をやったら、数学もできるようになった」
「国語がわかるようになったら、英語も数学もさらに深く理解できるようになった」
これが本当の勉強ではないかと私は思います。

一見、何の関係もないように見えるものでも、
深く掘り下げていくと、どこかでつながっていることに気付くというのはよくあること。
そういった「つながり」を発見することも、勉強のひとつの楽しみではないかと思います。
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by sawayoshi45 | 2006-05-26 23:59 | 勉強のこと | Comments(2)

小さい悪に目をつぶる

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JRタワーの展望台から見た、
札幌の夜景です。
義母の還暦のお祝いに、
妻が連れて行ってきたそうな。
(ホントは自分が行きたかっただけ)
とてもきれいだったそうなので、
今度は私も行ってみようっと!




まずは、今朝の新聞「ひろさちやのほどほど人生論」からちょっと引用。
昔の商家においては、閉店後はレジスターを閉めずに開けておいて、
少しのお金を入れておきました。
翌日の釣り銭の用意をしておくのです。
なぜ閉めずにおくかと言えば、
万一、泥棒が侵入したときに、泥棒に持って行ってもらうためです。

それじゃあ、「盗人に追い銭」ではないかと言われそうですが、
レジスターが閉まっていると、泥棒はそれを壊して金を奪います。
そうすると、その修理代が大変です。

また、レジスターや金庫が頑丈にできていて壊すことができない場合、
泥棒が強盗にかわる可能性があります。
そうであれば、泥棒に少しばかりの金を持って行ってもらったほうがよい。
それが昔の人の生活の知恵でした。

わたしは、この考え方の背後にあるものは、「ゆとり」だと思います。
泥棒は悪い。
それはそうですが、その悪を徹底的に憎まず、
ほんの少しだけ赦してあげる気持ちのゆとりがそこにあったのです。

(中略)

犯罪をゼロにしたい。
その気持ちはよくわかります。
でも、犯罪はゼロにはなりません。

とすると、あまりにもひどい凶悪犯罪をなくすべきで、
そのためには小さな悪にはちょっと目をつぶってあげたほうがよさそうです。
泥棒が強盗に変じないように、泥棒に小銭を持ち帰ってもらう、
そんな「ゆとり」がほしいですね。


「人に迷惑をかけたらダメ!」
「ウソをつくのはダメ!」
「人には親切にしなさい!」
これらの教えは、たしかに100%「正しい」かもしれません。

でも、私の経験上、
「今まで誰にも迷惑をかけたことがない」と言う人ほど、はた迷惑な人が多い。
「今までウソをついたことがない」と言う人ほど、タチの悪い「ウソつき」が多い。
「親切ぶる」人ほど、「親切」と「余計なお世話」の区別がついていない人が多い。
そんな気がします。

こういった人が多くなったのも、
もしかしたら、「小さな悪」を排除しようとしてきた結果なのかもしれませんね。

「正しい」ことを教えることは大事なことだと思います。
でも、「悪いこと」につい興味を持ってしまうのも人間です。
思春期の子供であれば、なおさらのことですね。

だからこそ、取り返しのつかない「大きな悪」に発展しないよう、
「小さな悪」を赦す心の「ゆとり」が必要なのかもしれません。

「迷惑をかけない人間」よりも、「人に迷惑をかけながら生きている」ことを自覚している人間。
「ウソをつかない人間」よりも、「ウソをついたこと」を反省できる人間。
「親切ぶる人間」よりも、「自分の行いが、本当に親切なのかどうか」と葛藤できる人間。

私だったら、そういった人間でありたいと思うし、
子供たちにもそういった人間になって欲しいと思っています。

「ゆとり教育」という言葉が出てきて久しいですが、
「ゆとり」が必要なのは、子供よりもむしろ、私たち大人のほうかもしれませんね。
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by sawayoshi45 | 2006-05-25 23:59 | 人生のこと | Comments(2)

潜伏期間

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肌寒い1日でした。
札幌ではインフルエンザが流行っているそうです。
みなさんも、気をつけましょ!



学校に入学する、新学期が始まる、新しい生活が始まる・・・、
こういったときは誰でも「やる気」に満ちているものですよね。
きっと多くの人が「今年こそは・・・」「今度こそは・・・」と思って、
それまでの気持ちをリセットする時期だと思います。
もちろん私も同じです。

でも、それが1か月、2か月と過ぎると、
そういった気持ちはだんだん薄れてきますよね。
私にもそういったところがありますし、子供たちを見ていてもよくわかります。

まあ、ある程度はそれも仕方のないことだとは思いますが、
ただ、人間どこで差がつくかというと、
実はそういった時期の過ごし方が、大きく影響するのではないかと思います。

勉強というのは時間に「比例」して力がつくわけではありません。

今までほとんどやってこなかった子供が、
先生に教えてもらって、少し勉強するようになった。
たしかに、その時点では少し成績は上がるかも知れません。

でも、それだけでずっと上がり続けるということは、まずありません。
ある程度のところまでいくと必ず「壁」にぶつかります。

今まで通り、勉強しているはずなのに、なかなか結果が出てこない時期があります。
私はそれを「潜伏期間」とか「充電期間」と言っていますが、
この時期をいかに子供たちのモチベーションを下げずに乗り越えさせるか、
これが私たち教える立場にいる人間の、大きな仕事だと思います。

この時期にいる子供たちに、「やればできる!」は通用しません。
「やってもできない」ことに、子供たちは悩んでいるわけですからね。

私はこういったときは、無理に急がせることはしないようにしています。
目には見えないけど、ちゃんとやっているのなら、力はついているはず。
だから、焦らず、腐らず、とにかくやり続けることが大切だと言うようにしています。

目には見えなくても、土の中でしっかりと根を張る作業をしている。
根がしっかり張らないうちに、
茎を伸ばして無理やり花を咲かせたところで、花はすぐに枯れてしまう。
立派な花を咲かせるためには、そのための準備期間が必要なんだよ。

まあ、そのようなことをエラそうに語ったりしています。
実際、子供たちに伝わっているかどうかは定かではありませんが・・・。

でもそういった話をすることで、
「ガマンすることの大切さ」も、少しは教えられるんじゃないかと思っています。

「やるからには結果を出したい」。
これは当たり前の感情です。
もちろん私もそう思います。

でも、「努力が必ず報われるとは限らない」というのも真実です。
そのことを勉強を通して教えるのも私の仕事だと思っています。

そして、
「報われるかどうかはわからないけど、それでも努力することが大切だ」
というのを伝えるのも私の仕事です。

努力は裏切りません。
目に見える結果では、「裏切る」ことはあっても、
「力がつく」という意味では、決して裏切ることはないと思います。

新学期が始まって1か月半が経ちました。
4月から張り切ってきたものの、
そろそろトーンダウンしてきた生徒もいるのではないかと思います。

でも、結果はともかく、今自分に出来ることをやる。
「潜伏期間」の乗り切り方は、やはりこれしかないと思います。
「人事を尽くして天命を待つ」ですね。

う~ん、それにしても私の「潜伏期間」は長いな~。
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by sawayoshi45 | 2006-05-24 23:59 | 教育のこと | Comments(6)

見えない力

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杉村太蔵議員。
今度はブログで盗用騒ぎ。
何かと話題の絶えない方でございます。
もしかして意図的?



科学がまだ発達していなかった時代、
人間は雷や台風といったものを「神様の怒り」と思い込んでいました。

だから当時の人々は「神様の怒り」に触れないように、
自然を畏れながら生活していたそうです。
食べ物も、あくまで「自然からの恵み」。
自分たちが食べる分だけを自然から頂いて、
取り過ぎることがないよう、「神様の機嫌?」を伺いながら、暮らしていました。

やがて科学が発達し、雷や台風はあくまで自然現象であり、
「神様の怒り」とはまったく関係ないということがわかりました。

それによって、人間はどうなったか。
自然を支配しようと考えました。
「お金儲け」のために自然を利用しようと考えました。

海の幸も山の幸も、
「お金儲け」のために取れるだけ取っておいて、いらなくなれば簡単に捨てる。
こういった生活を当たり前のこととして暮らしてきました。

最近は、地球だけでは飽き足らず、
宇宙まで「お金儲け」のために、支配しようとしている人たちもいるようです。

はたして、人間は本当に「進化」してきたと言えるでしょうか?

きっと皆さんも同じかと思いますが、小さい頃、
「悪いことをしたら地獄に堕ちる」、「悪いことをしたら必ず罰が当たる」
と教えられてきました。

「本当に地獄が存在するのか」「いったい誰が罰を当てるのか」、
その真偽は私にはよくわかりませんが、
それが犯罪への「抑止力」になっていたことは確かだと思います。

「見えない力」を畏れる気持ちが、
人間の「暴走」に「ブレーキ」をかける役割をしていたことは確かだと思います。

神様は本当に存在するかどうか。

これも無宗教の私には、正直わかりません。
でも今までの経験上、「神様」かどうかはわからないまでも、
何か「見えない力」が、世の中にはあるんじゃないかという気もしないでもありません。

もし、「神様は存在しない」と科学で解明されてしまったら、
私たち人間はいったいどうなるでしょう。

「見つかりさえしなければ、何をしてもいい」
「他人を蹴落とし、場合によっては殺してでも、のし上がった者が勝ち」
と考える人間が多くなるのは確かだと思います。
きっと法律では裁ききれないほどの犯罪が、蔓延するのではないかと思います。

科学が発達するのは喜ばしいことです。
もちろん私も、その恩恵をこうむって生活している人間のひとりです。

でも、「正」があれば、必ず「負」も存在する。

最近の凶悪犯罪の増加や低年齢化の問題などを考えると、
こういった「見えない力」を畏れる気持ちが、世の中から薄れてきていることが、
決して無関係ではないような気がしてなりません。
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by sawayoshi45 | 2006-05-23 23:46 | 世間のこと | Comments(4)

「暗記が苦手」という前に

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発展途上国の子供たちのために、
100ドルパソコンというのが出来たそうな。
でも、
「途上国の子供たちに本当に必要なのは、パソコンなのかな?」
と、ちょっと思ってしまったサワダです。




多分みなさんも同じような経験があるかと思いますが、
古文や英語の授業で、教科書の文章を丸暗記して、
先生やクラスメイトの前で暗唱させられたこと、ありましたよね。

私はあれがひときわ苦手な子供でした。
数学のように理屈で考えて、「あぁ、わかった!」となる場合はいいのですが、
とにかく「暗記する」という作業は、他の人よりかなり遅かったほうだと思います。

ですから、その頃の私は、「暗記が苦手=自分は頭が悪い」と勝手に思い込んでいました。

子供によっては、こういったことで劣等感を持ってしまう子供も多いようですが、
少なくとも私にとっては、このことが逆に幸いしました。

単純な思考の持ち主である私は、
「自分は頭が悪いから、人の何倍も勉強しなければ人並にはなれない」と考えました。

他の人が5回で覚えるなら自分は10回やればいい。
10回で覚えられなければ、20回やればいい。
ただ、それだけのこと。

そう思って勉強しているうちに、成績も上がり、
それまでの「苦手意識」が自然に消えていったような気がします。

今まで教えてきた生徒の中にも、「自分は暗記が苦手」と言う子がけっこう多いです。
「なかなか覚えられないんだけど、どうしたらいいんでしょう?」と聞いてくる子もいます。

みんながそうだとは言いませんが、そういった子によく話を聞いてみると、
実は、それほどやっていないケースが多いです。

2回か3回教科書を読んでみたけど、なかなか覚えられない、
だから自分は「暗記が苦手」というわけです。
私に言わせれば、それだけで覚えられる人のほうが不思議でなりません。

2、3回素振りをしたから、野球がうまくなるわけではありません。
2、3回ボールを蹴ったから、サッカーがうまくなるわけではありません。

「暗記のコツ」は覚えるまでやる。
ただ、それだけのことです。

もちろん、「ただ覚える」よりは、「意味を知ったうえで覚える」ほうが、
覚えやすくなるのは、今さら言うまでもないことですよね。

そして、ある程度の「知識のつながり」が出来あがってくると、
どんどん覚えやすくなってくるし、忘れにくくなってくる。
最終的には、「暗記」は「暗記」ではなく、「当たり前」のことに感じてくる。
経験のある方には、きっとわかってもらえるんじゃないかと思います。

「暗記が苦手」という前に、
自分が実際どれだけ「覚えよう!」という気持ちで、覚えようとしているか、
再確認してみる必要があるのではないでしょうか。
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by sawayoshi45 | 2006-05-22 23:55 | 勉強のこと | Comments(4)


【札幌の家庭教師 学びの森】   サワダと申します。


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