子の心、親知らず

「人間は自分が経験したことしか、本当に理解することは出来ない」
というのが私の持論です。

私の両親は戦争経験者です。
子供の頃は、よく戦争の話を聞かされて育ちました。
食べるものすらなかった時代の苦しみは本当に辛いものだったと思います。
「人間は苦労しなきゃダメだ!」というのが私の母の口癖です。

でも、私は戦争を経験したことがありません。
頭の中では「理解したつもり」になっても、本当に「理解している」とは言えません。
ちょっと冷たい言い方かも知れませんが、
母にいくら「戦争の苦しみ」を訴えられたとしても、
私が本当にその苦しみを「理解する」ということは不可能なんだと思います。
もちろん、少しでも「理解しようとする」ための努力は大切だとは思いますが・・・。

「親の心、子知らず」という言葉がありますが、
これはよく考えてみれば、当たり前のことです。
「子供」には「親の経験」がないんですから。
「親としての経験」のない「子供」に、いくら「親の立場」を理解しろといっても、
わかるはずがないんです。
少しでも理解してもらいたいのであれば、「親の目線」ではなく、
「子供の目線」に立って会話をするしかありません。
どの「親」であっても「子供の経験」は持っているはずですから。

最近、子供の「学力低下」が取り沙汰されています。
これを聞いた世の大人たちは、
「今の子供は全然勉強しなくなった」、「今の子供はまったくやる気がない、無気力だ」
と言っては眉をひそめます。

でも、よく考えてみてください。

私たちが子供だった頃と、今では、育つ環境がまったく違っているはずです。
テレビや漫画はもちろんのこと、
ゲーム、パソコン、ケータイと世の中には「勉強より面白いモノ」が満ちあふれています。
もし、私たちが今子供だったとしても、
そういった誘惑に負けることなく、勉強することが出来るという自信のある方、
どれだけいるでしょうか? 
少なくとも、私にはまったく自信がありません。
きっと今ごろ、ゲームやケータイに興じていることでしょう。

そういった「環境の違い」を考慮せず、
「今の子供たちは・・・」と言っては顔をしかめることこそが、
私は問題ではないかと思います。

そもそも、このような「子供が勉強しにくい環境」をつくったのは、
いったい誰なんでしょう? 
私たちは、自分たちのやってきたことを棚に上げ、
「今の子供たちは・・・」と言ってはいないでしょうか? 

それはまさに、「子の心、親知らず」ということにならないでしょうか?

自分が子供だった頃、親に言われて「イヤだな~」と思った言葉、
大人になってから子供に浴びせていないでしょうか。
これはもちろん、私自身にも当てはまることですが、
よく考えてみる必要があるのではないかと思います。

「親の心、子知らず」は、子供に責任があるわけではありません。
でも、「子の心、親知らず」は明らかに私たち大人に
責任があるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。 


注)「子の心、親知らず」という言葉は、私が尊敬している関根正明先生の著書のタイトルです。私がこの本を拝読したのは、もうだいぶ前のことなのですが、今でもこの言葉は私の頭の中にこびりついています。関根先生のホームページは、とても参考になることばかりですので、皆さんもぜひお立ち寄りください。
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# by sawayoshi45 | 2006-01-14 00:30 | 教育のこと | Comments(0)

悩めることの幸せ

10年前、塾講師をしていた頃の私は、
とんでもなく「傲慢」で「自信過剰」の人間だったような気がします。
さすがに口には出しませんでしたが、心の中では「自分の授業が一番だ!」
という気持ちがどこかにありました。
まあ、「若気の至り」ってやつだったんでしょうね。
今思えば、ただの「バカ野郎」です。
あれから10年、まだ多少「傲慢」なところはあるような気はしますが、
まあ、10年前に比べれば、少しはマシになったかなと自分では思っています。

塾を辞めて自分で活動するようになってからは、自分の「未熟さ」を思い知らされました。
とにかく生徒が集まりません。
貯金を切り崩しての生活。
ようやく生活できるようになるまで、随分かかりました。

この10年の間、いろんなことがありました。
親御さんとのトラブルもなかったわけではありません。
親御さんからきつい言葉を言われる度に、
「やっぱりオレってこの仕事、向いてないのかな~」と悩みます。
何度も辞めようかと思いました。

でもその一方で、
「先生のおかげで成績が上がった」とか
「先生に勉強をみてもらってから、うちの子は明るくなった」
という言葉や手紙をいただくことも、たまにはあります。
たとえお世辞だったとしても、そういった「声」を聞くと、やはり嬉しいものです。
「お調子者」の私が「木に登る」瞬間でございます。
そのひと言で、今までの悩みは完全に吹っ飛びます。

そういったことの繰り返しで、今まで何とか仕事を続けてくることが出来ました。
「綱渡り」のような生活を今まで送ってきた私ですが、
何となく「人生ってこういうことなのかな~?」と思えることがひとつあります。

それは、

「悩むべき時にはしっかり悩み、苦しむべき時にはしっかりと苦しみ、
それでも腐ることなく、マジメに仕事に取り組んでいきさえいれば、
必ずどこからか助けがくる」
ということです。

35年というまだ短い人生ですが、私はこういった経験、何度かしてるんですよね。
とても不思議なことですが、本当に「神様」っているのかも知れません。
若い頃は、「人生は自分で切り開くものだ!」なんて言って粋がっていましたが、
今ではそういった「不思議な力」を信じつつある私です。

「健康のありがたさは、病気にならないとわからない」と言います。
お医者さんは、「自分が病気になって初めて患者の気持ちがわかる」と言います。
そうして「本物の医者」になっていくのではないかと思います。

そしてこれは、教師にも同じことが言えます。
「自分は教師だ! 偉いんだ!」と威張っている教師は「本物の教師」にはなれません。
教師という仕事について悩み、苦しむことで、
初めて「弱い立場にいる子供の気持ち」に近づけるのではないかと思います。
そうやって「本物の教師」に近づいていけるのではないでしょうか。

結論。
「自分の仕事に疑問を持ったり、悩んだり、葛藤できる人は、
その仕事に向いている人である。
本当に向いていない人は、疑問を持つこともなく、悩むことすら出来ない人である
」。
とまあ、こんなところでしょうかね。
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# by sawayoshi45 | 2006-01-13 00:31 | 人生のこと | Comments(2)

「教える」という言葉

「教える」という言葉、私も仕事柄よく使う言葉ですが、
正直言ってあまり好きな言葉ではありません。
なんか「一方通行」のような感じがして・・・。
ですから「教える師」と書く「教師」という言葉もちょっと抵抗があります。
あっ、誤解しないでくださいね。
「教師」が好きじゃないということではなく、
「教師という言葉」に抵抗があるということです。

以前、自分で自分のことを「先生」と呼ぶことに抵抗があって
いまだに言えないという記事を書いたことがありますが、
これもまあ、同じような理由です。
「先に生まれた人」というだけの意味で使うなら別ですが、「お調子者」の私は、
何だかそれだけで子供に対して傲慢になってしまうんじゃないか、
という気がしてしまうんです。

私は今、一応「プロ家庭教師」なんてエラそうに名乗ってますが、
実はほんのちょっと前までは、「教育アドバイザー」という肩書きにしていました。
「教師」という言葉を使いたくなかったということもそうですし、
自分にできる仕事は「教え導く」というよりは、
親御さんや子供たちに「教育的なアドバイス」をするに過ぎない、
という感覚があったからです。

でも、これだと世間の人たちには、
具体的に何をやっている人なのかよくわかってもらえないということもあり、
今はやむなく、認知度の高い「家庭教師」という言葉を使っています。

「プロ家庭教師」という言葉から世間が連想するのはきっと、
「それなりの高学歴を持ち、有名校にバンバン合格させる合格請負人」
という感じじゃないでしょうか。
でも残念ながら、私はそんな「やり手」ではありません。
むしろ、どちらかと言うと、それとは対極的な人間です。

「今まで紆余曲折を経ながら、子供や親御さんに助けられて何とかここまで生きてきた」
という感覚を持っています。
こんな私のような人間に、
大事なお子さんを預けてくれた親御さんがいなかったら、
今の私はなかったと思います。

ですから、授業をするときも、
必ず生徒やその親御さんに感謝の気持ちを持って、子供たちと接するようにしています。
だからといって、別に媚を売って授業をしているわけではありませんよ。
媚を売ったところで、子供たちはすぐに見抜きますから。
あくまで「気持ち」の問題です。

ですからこの「プロ家庭教師」という言葉も、
私にとっては結構な重荷ではあるんですが、
今は他にいい言葉が見つからないので、とりあえずそういうことにしています。

世間の人からすれば、
「そんなこと、どうでもいいじゃん! 細かいことにこだわり過ぎ!」
と言われそうですが、
私は「勉強」というのは、もともとは「言語学」だと思っています。
国語や英語はもちろんですが、数学も社会も理科も、
「言葉」を使って伝えていく教科である以上、
やはり「言語学」に通じているんじゃないかと思うんです。
私自身、「語彙力」という点では正直あまり自信はありませんが、
「言葉」を扱って子供に伝える仕事をしている以上、
やはり、ひとつひとつの「言葉」に敏感でありたいなと思っています。
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# by sawayoshi45 | 2006-01-12 00:21 | 自分のこと | Comments(0)

人生に冒険はない!

先日お亡くなりになったプロスキーヤーの三浦敬三さん。
彼の記事が7日の北海道新聞に掲載されていました。
とてもいい話だったので、みなさんにも紹介させていただきます。

彼のエッセー「101歳の少年」(実業之日本社)には、次のように書かれているそうです。

わたしの人生には「冒険」はないのです。すべては積み重ねなんです。若い時から続けてきたことの延長線にすぎません。・・・・・山は一歩ずつ歩を重ねることで、必ずその頂上にたどり着くことができる。
      (中略)
今日もスキーができた。明日、また新しい雪山に登る。・・・・・そうやって、わたしは生きています。

99歳でモンブラン最長の氷河を滑走した彼が、
「わたしの人生には冒険はない!」と言い切っているのが意外な感じで、
とても印象に残りました。
私のおよそ3倍の人生を生きてきた彼の言葉ですので、
これはきっと間違いのない「真実」だと思います。

私たちは、とかく「結果」を早く出したがる傾向があります。
自分に対してそれを課すならともかく、
ときに他人(子供も含む)にそれを課そうとすることがあります。

「いつまでやってんの?」「早くしなさい!」「いつになったら成績上がるの?」・・・などなど。

こういった言葉、言うのは簡単ですが、
言われるほうにとってはたまったもんじゃありません。
せっかくやろうと思っていたとしても、
これを言われたら、「やる気」も失せるってもんです。
「今やろうと思ってたのに・・・」というのは、昔から子供がよく言う言葉ですよね。
これを言わせるたびに、
子供の「やる気」はだんだん失われていくといっても過言ではないでしょう。

「教育」とは「待つ」ことでもあります。
そりゃあ時には「鞭打つ」ことも必要だと思える場合もありますが、
それ以上に大事なのは、
子供が自分の足で一歩一歩積み重ねていくのを「待つ」ことだと思います。
「教育」に携わる人間には、それだけの「忍耐力」も必要だと思います。

そして、子供たちにも、
「人生に冒険はない」「すべては一歩一歩の積み重ね」
ということを教える必要があると思います。
また、自分の夢を実現させるためには、
「今は何をやるべきなのか」「今自分に出来ることは何なのか」ということを、
子供たちに真剣に考えさせることも大事なんじゃないかと思います。

最後に私自身も、「一歩一歩積み重ねていく」人生を歩まなければいけないなって、
改めて思いました。
人生に冒険はありません。
人生に偶然もありません。
すべては「必然」なんですよね、きっと。

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# by sawayoshi45 | 2006-01-09 02:29 | 教育のこと | Comments(0)

証明問題は生き方を左右する!

数学の証明問題って苦手な生徒さん、多いようですね。
私も子供たちに教えるのにけっこう苦労する分野のひとつです。

ただ、私が証明問題の解き方を子供たちに教える際に、よく言う言葉があります。

それは、

「証明問題は勉強のための勉強じゃない! 
証明問題はキミたちの生き方を左右する! 
証明問題が解けるようになれば、キミたちは豊かな人生を歩むことが出来るんだぞ!」と。

・・・・・??? 「何それ?」と思った方もいらっしゃるかと思います。
そこで、今日はこのことを、
三角形の合同証明を解く要領で「証明」してみたいと思います。

【証明】
△ABCと△DEFにおいて・・・、あっ、間違った!・・・じゃなくて、え~と・・・、
証明問題とは、一部(主観)だけに当てはまると思われる考えを一般化(客観化)し、
すべての場合にその考えが当てはまることを証明することである。
よって、証明問題が解ける人間は、「主観的なモノの見方」だけでなく、
「客観的なモノの見方」を持った人間のことである。・・・①

証明問題とは、与えられた条件(環境)を使って、
結論(夢や目的)を導く方法を考えることである。
よって、証明問題が解ける人間は、与えられた環境のもとで、
自分の夢や目的を達成するための方法を考えることが出来る人間のことである。・・・・・②

証明問題とは、最初から答え(結論)が与えられている問題であるにもかかわらず、
いざやってみると、なかなか思うようにいかない場合の多い問題のことである。
よって、証明問題をたくさん解いて鍛えられた頭を持っている人間は、
「はっきりした答え」というものがよくわからない世の中に出たときでも、
その現実の厳しさに耐えることが出来る。・・・・・③

①、②、③より、証明問題が解ける人間は、
「客観的な目」でモノを判断することができ、
どんな状況においても、自分の夢を達成するための方法を正しく考えることができる。
さらに、ちょっとした挫折や失敗にも十分耐え得る能力も身につけている人間のことである。

ゆえに、証明問題が解けるようになれば、より豊かな人生を歩むことができる。【証明終】

最後は何だかコジツケみたいな感じもしないでもありませんが、納得いただけたでしょうか?

私は数学の分野のなかでも、
この「証明問題」というのはとても大事な分野だと思っています。
ですから、子供たちにも特に力を入れて教えている・・・・・つもり(多分)です。
でも、私が子供の頃もそうであったように、
子供たちにとっては最もイヤな分野のひとつなんですよね、きっと・・・。

昨日の晩、妻が私の文章を、「証明問題を解いているような文章」と評しました。
褒め言葉なのかどうかは定かではありませんが(カタブツってことか?)、
その言葉を聞いて、今日の記事を思いつきました。

そういえば過去の記事を読み返してみても、
「話題えを振る→例を挙げる→結論」という形の文章が多いような気が・・・。
たしかにそうかも。
典型的な「左脳型人間」ってやつのようでございます。
それではまた。
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# by sawayoshi45 | 2006-01-08 00:34 | 勉強のこと | Comments(0)

学校と塾の関係

学校が「オモテ」の教育機関だとすれば、
塾や予備校、家庭教師という存在は「ウラ」の教育機関です。
そうあるべきだと私は考えています。
最近、この関係が逆転しかかっているのが、私としてはちょっと気になります。
仮に逆転現象が起きてしまった場合、ちょっと大げさな言い方かも知れませんが、
教育は崩壊の道を歩むのではないかと思います。

一般に「塾の先生のほうが学校の先生より授業がうまい」と言われています。
その理由は、「塾は授業のうまい先生しか生き残れない世界」だからだと思います。
親御さんから高い授業料を頂いている以上、授業のヘタな先生はたちまちクビにされます。
結果、授業のうまい先生だけが生き残っていくことになります。

ただ、だからといって「やっぱり塾の先生のほうが優秀だ!」と思うのは軽率です。
仮に30人の生徒を相手にして授業をする場合、
「ある程度やる気のある生徒が集まった30人」と、「不特定多数が集まった30人」では、
授業のやりやすさはまったく違ったものになります。
当然、前者のほうが授業は進みやすく、結果も出やすいはずですよね。

私なんて、1回の授業で相手にするのはせいぜい2人までです。
30人を相手に授業をするなんて、正直言ってまったく自信がありません。

私自身、塾や習い事に通った経験は一度もありません。
そのせいか、
「学校の勉強さえしっかりやっていれば、勉強は十分」という考えを持っています。
ですから子供に教える場合も、授業の前に必ず学校の進み具合を確認し、
それを補佐する形で授業を進めます。
ごくたまに、予習ということでちょっとだけ先を教えることもありますが、
進み過ぎることはないように気をつけています。

子供の勉強のメインはあくまで学校であり、
私たちのような「ウラ」の人間はサブ的な役割に徹するべきだと思っています。
ですから、宿題を出すときも、
必ず学校の宿題を優先させてから私の宿題をやるように子供たちには言い聞かせています。「塾の宿題で忙しくて、学校の宿題が出来なかった」というのは、それこそ「本末転倒」です。

そのへんのところを勘違いなさっている塾の先生や家庭教師の方をたまに見かけます。
学校の先生方の事情も考えず、
「オレはたくさんの生徒の偏差値を上げてきた、いったい学校の先生は何をやってるんだ!」
と言っては、子供の前で自分の自慢をし、学校の先生をバカにする方たちです。

でも、こういった方たちはただの「教え屋」であって、決して「教育者」ではありません。
なぜなら、教育の目的のひとつは、「思いやりのある子」
つまり「人をバカにしない子」を育てることだからです。
「思いやりのない先生」に勉強を教わった子供たちが、
将来「思いやりのある人間」に育つとは思えません。
さらに言えば、
こういった人たちが子供たちのイジメを助長していると言っても過言ではないと思います。

学校と塾は、決して敵対関係にあってはならないと思います。
さきほども書いたように、「不特定多数の30人」を相手にした授業は容易ではありません。
そこには、どうしても「授業についていけない子」が出てくるのは、
仕方のないことだと思います。
そして、
そういった子が少しでも学校で楽しく過ごせるようサポートしていく役割を担っているのが、
塾なんだと思います。

つまり、学校と塾とはお互い「共存共栄」の関係になくてはならないと思います。

また長くなってしまいましたが、最後にもうひとつ言わせてください。

教育の主役は、学校でもなければ、親でもありません。
まして塾であろうはずがありません。
教育の主役はあくまで「子供」です。
「教育者」を名乗っている私たちの仕事は、子供の黒子役に徹することです。
子供に「踏み台にされる」ことはあっても、
「子供を踏み台にする」ことは絶対にしてはいけないことです

しかし最近、自分の名前を売るために、
子供を「踏み台にする」ような「教育者」が増えてきたような気がするのがとても残念です。
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# by sawayoshi45 | 2006-01-07 01:00 | 教育のこと | Comments(4)

勉強は苦しいものです!

何だか一昨日からずっと「太田光の・・・」を引きずっているような気がするんですけど・・・、
これで最後にしますね。
今回ですべてを吐き出して終わろうと思いますので、どうかお許しを!

そこで今日のテーマは、「勉強は苦しいものです!」にしてみました。

「いや、そんなことはない。先生の教え方によっては、いくらでも楽しくなるはずだ。」
と思った方もいらっしゃるかと思います。
タレントさんの中にもそんなことを言う方、多いようですね。
ですからこれは、あくまで私の主観的な意見です。
どうかそのつもりでお聞きいただけたら幸いです。

まず「勉強は教え方次第で楽しくなる!」と思った方々にお聞きします。
あなたは大学受験レベルの勉強に真剣に取り組んだ経験はありますか?
せめてそのぐらいのレベルの勉強をひと通りこなしてから、発言して頂きたいものですね。

あの「夜回り先生」で有名な水谷先生も講演でおっしゃっていましたよ。
「子供のテストの点数に文句をつけたければ、まず子供と同じテストを受けてください。
子供よりいい点数を取れて初めて文句を言う権利がある」と。

「私は大学受験もちゃんと乗り越えてきたけど、勉強はとても楽しかったよ」という方。
すいません、私の負けです。
そんなあなたなら、ここから先は読む必要はありません。
またのお越し、お待ちしております。

さて、前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。

ある程度、「自分で」勉強をしてきた方ならおわかり頂けるかとは思いますが、
勉強は楽しい面ばかりではございません。
当然苦しみも伴います。
いや、苦しみの面のほうが圧倒的に多いかと思います。
みんなが、「ゲームだ!」「メールだ!」とやっているときに、
その誘惑にも負けず、ガマンして机に向かうんですから、
これだけでも子供にとっては十分苦しみです。

「楽しい勉強」だけで、身につけられる学力なんて高が知れています。
やはりある程度の「苦しみ」を乗り越えてきた人たちだけが、
本当の意味での「勉強の楽しさ」や「充実感」というものを
味わうことが出来るのではないかと思います。
これ、勉強に限らず、スポーツ、音楽、仕事・・・、
すべてに言えることではないでしょうか。
「楽しさ」だけで修得できるのは、「趣味」の範囲までだと思います。

「教師の格付け」に賛成していた方々、
このような言い方は大変失礼かとは思いますが、私の見る限り、
あまり子供の頃は勉強されてこなかった方々が多いような気がしたんですが、
いかがでしょうか? 

「私は不運にも先生に恵まれなかったから勉強できなかっただけ。
私だって、いい先生に出会えていたら、楽しく勉強できたのに・・・」。
こういった言葉、私にはどうしても、
「自分が勉強してこなかったことの言い訳」にしか聞こえないんですが、
みなさんはどう思われますか?

自分が子供の頃は、マジメに勉強に取り組んでいた人に対して、
「あいつはガリ勉だ」とか「勉強なんかやったって何の意味も無い」と、
さんざんバカにしてきた人たちが、
自分が大人になり親になったとたん、
「先生の教え方が悪いから、うちの子は勉強が出来ない」というのは、
ちょっと都合よすぎませんか?

最近テレビで大人気の「でんじろう先生」。
彼の授業はみなさんご存知のようにとっても楽しいです。
私も尊敬しています。
「学校にもあんな楽しい授業をしてくれる先生がいたらなあ」
と思っている方も多いのではないでしょうか。

でも、彼はもともと高校の先生だったんです。
今ほどではないにしても、
きっとあのような「楽しい授業」を学校でもやっていたのではないでしょうか。
そんな「いい先生」を、「こんな授業では、受験には通用しない」といって、
学校から追放したのは当の親や生徒じゃなかったんですか?
それを今になって、「学校の先生にもこんな楽しい授業をして欲しい」というのは、
これもまた、都合よすぎませんか?

先日、NHKで彼のドキュメンタリー番組をやっていました。
テレビの前では陽気に振る舞っている彼ですが、
その裏には、ものすごく葛藤し、悩んでいる彼の姿が映っていました。
あの彼の苦しみ、想像を絶する努力があってこその授業であることを知っている方、
どれだけいるでしょう?

こう考えてみると、やはり「勉強は苦しいもの」なんです。
私たちに出来ることは、その子供の「苦しみ」を少しでも軽減させる、
ただそれだけなんです。
「楽しい勉強」を教えることは出来なくても、
「楽しい雰囲気」で勉強させることは十分可能です。
「楽しい雰囲気」のもとで、子供たちが勉強をするきっかけをつくる。
その先は、本人の努力、可能性を信じるしかありません。
少なくとも、私はそう思っています。

ふ~、ここまで読んでくれた方、本当にお疲れ様です。
これで私も言いたいことがかなり吐き出すことが出来てスッキリしました。
といっても、明日になればまた書きたいことが出てくるんでしょうけど・・・。
この「書きたい病」にもホント困ったものです。ストレスたまってんのかな~?
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# by sawayoshi45 | 2006-01-06 00:25 | 勉強のこと | Comments(6)

教師なら理想を語れ!!

「教育の目的」は、勉強のよくできる「いい子」をつくることではありません。
5年後、10年後、その子が大人になったときに、
「立派な社会人」として生きていくためのものだと思います。
「立派な社会人」とは何も一流企業に就職するとか、社会的地位を手に入れるとか、
お金持ちになることではありません。
もちろん、結果的にそうなる場合もありますが、それが「教育の目的」ではないはずです。

私が考える「立派な社会人」とは、どんな状況においても、
自分を失うことなくしっかりと地に足をつけて生きていくことができる人間のことです。
勉強を教えることを通じて、ひとりでも多く、
そういった人間を育てることが「教育の目的」であり、「私の理想」でもあります。
「理想」は、人によって多少の違いはあるとは思いますが、
「教える立場」にいる人間であれば、みなさん、
「自分の理想」を抱いて仕事と向き合っているはずだと思うし、
また、そうあるべきだと思います。

私がこんなことを言うと、
「それはただの理想論だ」とか「現実はそんなに甘くない」と反論してくる人たちがいます。
嘲笑する人たちもいます。
「理想論」だということは分かっています。
現実はそんなに甘くないのもわかっています。
でも、だからといって、簡単に「理想」を捨てて現実に甘んじるような人は、
少なくとも「教育者」には向いていないと思います。
子供たちがそんな先生に人間的魅力を感じるとは思えません。
周りに何と言われようと、
「理想」を語り続けることが「教育」には大切なことだと思っています。

よく親御さんから、「うちの子はやる気がなくて・・・」という言葉が出てきます。
そう言われた子の過去を遡って聞いてみると、
だいたい「やる気がなくなるような言葉」を親や教師から、
浴びせられていることが多いです。
最初からやる気のない子供はいません。
成長の過程で、
「やる気のない子にさせられている」というのが真実ではないかと思います。

子供が「夢」や「理想」を語ったとき、あなたはどう接していますか?
「そんなの無理に決まってる」「それで食べていけるわけがない」
といった言葉を浴びせていませんか? 
そうやって子供たちから少しずつ「やる気の芽」を奪っていることに気づいていますか?

「教師なら理想を語れ!!」

昨日のテレビ番組で、
太田光が政治家に対して「政治家なら理想を語れ!」
と訴えたことが妙に印象に残っていたので、
「政治家」を「教師」に変えて今日はこのテーマで書いてみました。

教えることも教師の仕事ですが、子供の前で「理想を語る」ことも、
教師としての立派な仕事だと私は思います。
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# by sawayoshi45 | 2006-01-05 01:16 | 教育のこと | Comments(0)

成績が悪いのは先生のせい?

私は風呂に入っていたので詳しい内容はよくわかりませんが、
妻から聞いたところによると、「太田光の私が総理大臣になったら・・・」という番組で、
「学校の教師を格付けすべきかどうか」という議論がなされていたそうです。

そこで今回はあくまで私の主観的な意見ではありますが、
そのことについて少し書いてみようと思います。
反論のある方はどうぞコメントお待ちしております。

私は民間の人間ですので、「評価されること」は当たり前のことだと思っています。
といっても、直接生徒さんや親御さんから「点数」をつけられるわけではありません。
「いい評価」を頂ければ、自然に生徒が増えて収入も増える。
「悪い評価」をもらえば、生徒が減る。
ただ、それだけのことです。

ただ、「学校の先生を生徒や親が格付けするべき」という提案については「反対」ですね。
そもそも評価の基準があいまいです。
「子供や親にとってのいい先生」と
「本当に優秀な先生」が一致するかどうかというのも疑問です。
それに「いい先生に当たればいい子になる」、
「先生が悪いから子供が勉強嫌いになる」という発想は、
あまりに単純すぎるような気がします。

確かに世の中にはとんでもない先生も存在するようです。
でも、それはごく一部の話であると私は信じています。
それがマスコミで「こんなひどい先生がいた」と騒ぎ立てることで、
世の中の人の多くは、「学校の先生って今はこんなにひどいんだ」と誤解する。
それを聞いた親たちが、自分の子供の成績が悪いのを先生のせいにする。
むしろこういったことのほうが、
今の教育を崩壊させている原因のひとつではないかと思います。

私自身の子供の頃の経験で言わせてもらえば、
「成績の良し悪し」と「先生の良し悪し」には、全くとは言いませんが、
あまり関係がなかったような気がします。

こんなことを言ったら学校の先生には失礼かも知れませんが、
先生の「授業技術」についてそこまで期待はしていませんでした。
成績を上げたかったら、教科書や参考書をみながら自分でやる。
これが当たり前のことだと思っていました。

そもそも教わる先生によって、上がったり下がったりするような成績なら、
それは本物の学力ではありません。
学力とは「教えてもらう」ものではなく、
「自分で身につける」ものだと私は思っていますし、子供たちにもそう教えています。

仕事にしている以上、常に「教える技術」を磨くのは当然のことだとは思います。
でも、それと同時に、最後は先生に頼らず「自分の責任のもと」で努力をする。
それを教えるのも教師や親の仕事だと思います。
自分のことを棚にあげて、
「先生のせいだ」、「社会のせいだ」
と誰かに責任を押し付けては大きな顔をしている人間が幅をきかせる世の中、
やっぱりちょっとおかしいですよ、これは。

まだまだ書きたいことはありますが、長くなったので今日はこのへんで。
また機会があったら、書いてみようと思っています。
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# by sawayoshi45 | 2006-01-04 02:13 | 教育のこと | Comments(3)

ブルマンNO.1

私はいわゆる「コーヒー党」でして、
食事の後の「1杯のコーヒー」は欠かすことが出来ません。
むしろこの「1杯のコーヒー」のために、
わざわざ食事を摂っているうちに太ってしまったといってもいいくらいです。
(これはちょっと大げさ?)。

いつもは、行きつけのお店からいろんな種類の豆を少しずつ買って
楽しんでいる私ですが、こんな私にも、なかなか手が出せない豆があります。
まさにコーヒーの王様、「ブルーマウンテンNO.1」でございます。
何といっても値段が高い! 
普通の豆の約3倍でございます。
毎日コーヒーを飲んでいる私でも、年に数回しか口に出来ない代物でございます。

きょう街をブラブラしていたら、行きつけのお店ではなかったんですが、
この「ブルマンNO.1」がお正月ということで、特価で売られていました。
それでも、普段飲んでいる豆の2倍はするんですが、
まあ、今日はお正月ということで、すぐに飛びついてしまいました。

家に帰って早速飲んでみました。
う~ん、やっぱり香りが違う。味も違う・・・・・・・ような気がしましたね。
いや、「コーヒー党」なんて気取ってはみましたが、
お恥ずかしながら、味の違いはよく分からなかったりするわけで・・・。
でも、豆の香りと後味のすっきり感は普段のものとは全然違うような気がしました。
それともこれも、「高級豆」という先入観からくるものなんでしょうかね。

まあ、それでもいいんですよ。
食事の後のほんのひと時の「ぜいたく」を感じられるだけで私は満足でございます。
今度いつ買えるかわからないので、美味しいうちに大事に飲ませていただくことにします。


さて、お正月も2日が過ぎました。
そろそろお正月気分にも「ケジメ」をつけて、
明日からは通常モードで、また教育についてマジメに語っていこうと思っています。
みなさん、これからもよろしくお願い致します。
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# by sawayoshi45 | 2006-01-03 00:44 | どうでもいいこと | Comments(0)


【札幌の家庭教師 学びの森】   サワダと申します。


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