「計算力=基礎力」という誤解

よく親御さんから、次のようなことを言われることがあります。
(あくまで一般論であって、特定の親御さんを指しているわけではありません)。

「ウチの子、基礎は出来るんですけど、文章題とかの応用が苦手なんですよ」と。

まあ、数学が苦手なお子さんの典型的なパターンといってもいいでしょうか。

この場合の「基礎」というのは「計算力」を指すことが多いようです。
たしかに教科書や多くの問題集などをみると、
「基本問題」というところには計算問題などが多く、
「応用問題」というところには、文章題や図形問題などが多いですよね。
きっと、そのあたりからくる「誤解」なのだと思いますが・・・。

でも、よく考えてみてください。

計算問題というのは、計算の「やり方」さえ覚えてしまえば、
誰でもある程度できるようになります。
計算の「意味」がわからなくても、ドリル形式の問題集を何度も繰り返しやらせるだけで、
効果は出るでしょう。

でも、これって本当に「基礎力」と言えるんでしょうか?

しかも困ったことに、
このように「『意味』がわかっていなくても、『計算』が得意な子たち」が、
小学校などでは結構な好成績をおさめてしまうことが多かったりします。
そのため、お子さん本人もその親御さんも勘違いしてしまうケースが多いようです。
こういった子に、ちょっとひねりを加えた問題をやらせると、
返ってくる答えはだいたい決まっております。

「まだ習ってません!」。

数学の「基礎力」とは「計算力」ではありません。
私は「考える力」であり「概念」だと思っています。
多少、計算ミスをすることはあっても、その問題に対してしっかり向き合い、
「考える」ことができる子のほうが、長い目でみれば、必ず伸びるはずです。

「概念」さえしっかりしていれば、方程式も関数も図形も、さらに理科の計算も、
根本的にはまったく同じようなものであることに気づくはずです。
それに気づきさえすれば、いくら忘れようとしても忘れられない
「ホンモノの知識」になるのではないかと思います。

「公式」とは、丸暗記して数字を当てはめるためのものではありません。
ひとつひとつの「公式」には、きちんと「意味」があります。


その「意味」さえわかれば、自分で導けるようになります。
導けるようになれば、いちいち覚える必要なんてありませんよね。
といっても、そこまで出来る人なら、自然に覚えてしまうことでしょうけど・・・。

以前から気になっていることがあります。
それは「速さ」に関する問題が出ると、すぐに「ハジキの公式(?)」と呼ばれる
「公式」(のようなもの)を出してくる生徒が多いことです。
本当に理解して使っているならまだしも、ほとんどの生徒は、
ただ数字を当てはめる作業で終わっているような気がします。

そこには、「概念」はまったく感じられません。
少し言い方を変えたり、単位を変えただけで、案の定つまづいてくれます。
この「悪いクセ」を直すのには、本当に苦労します。
こんな「公式」(のようなもの)、いったい誰がつくったんでしょうか?
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# by sawayoshi45 | 2006-01-27 01:00 | 勉強のこと | Comments(2)

「箸の持ち方」が気になる。

最近テレビを見ていて、とても気になることがあります。
それは、芸能人やアナウンサーの「箸の持ち方」。
よく見ると、正しく持っている人のほうが少ないのではないかとさえ思えてきます。

なかでも、「グルメ」で有名なタレントさんや、
年配のベテラン芸能人の方などが間違った持ち方をしているのを見ると、
何だかがっかりしてしまいます。
それまで好意をもっていた人であれば、なおさらのこと。
みなさん、気になりません?

テレビが世間に与える影響ってかなり大きいですよね。
それだけに、タレントさんにも気をつけて欲しいし、
それを映すテレビ局にも考えて欲しいものです。

そうでないと、子供に注意するにも、説得力がなくなってしまいますからね。
「みんな、そうじゃん! 別に誰にも迷惑かけてるわけじゃないし・・・」
と言われるのがオチですよ。

私からすれば、それを見て誰かが不愉快な思いをするのであれば、
十分迷惑をかけているような気もするんですが・・・、
これじゃ、子供には通じないんでしょうね、きっと。

これを勉強に例えてみると、やはり「鉛筆の持ち方」ですね。
私は子供に勉強を教える際、まず「鉛筆の持ち方」を見るようにしています。
そして、もし間違った持ち方をしていたら、子供に言うようにしています。
「本当に成績を上げたかったら、まずは鉛筆の持ち方を直しなさい!」と。

私は医学的なことはよくわかりませんが、
「『鉛筆の持ち方』が悪いと、筋肉の使い方が変わり、
集中力がなくなったり、疲れやすくなる」
と、あるお医者さんが言っていたのを聞いたことがあります。
結局、脳にも影響があるということでした。

「教える」ことを仕事にしている私にとっては、これを見逃すわけにはいきません。
みなさん、「鉛筆の持ち方」は大丈夫ですか?

と、こういう私も、実はお恥ずかしながら、
中1までは「箸の持ち方」も「鉛筆の持ち方」も両方間違っていました。
それを指摘してくれたのは、当時の担任の先生です。
そのときは「うるさいな~」と、正直思ったこともありますが、
「間違ったまま大人になるのは恥ずかしいぞ!」と思い、自分で何とか直しました。
今ではその先生にとても感謝しています。

そのことが直接関係したのかどうかはわかりませんが、
直してからは、心なしか長時間の勉強にも耐えられるようになり、
成績のほうも上がったような気がします。

一度ついてしまった「クセ」を直すのは、なかなか大変なことですよね。
しかも、「悪いクセ」であればなおさらです。
「悪いクセ」は早く直すに限ります。

もし、これを読んでいる方で、間違った「持ち方」をしている方がいらっしゃったら、
ぜひ、今すぐ直すことをオススメします。

余計なお世話かもしれませんが、
食事の基本は「箸の持ち方」、勉強の基本は「鉛筆の持ち方」ですからね。
基本なくして、進歩はありません!

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# by sawayoshi45 | 2006-01-26 01:23 | 世間のこと | Comments(0)

ホリエモン逮捕に思うこと

「ホリエモン」こと、ライブドアの堀江(前)社長が逮捕されました。
テレビは各局この話題で持ちきりです。
今まで「時代の寵児」と言ってはもてはやしていたマスコミ各社も、
逮捕されるやいなや、一転、批判の嵐です。
ホント、マスコミって恐いものですね。

他の方々のブログを読んでいても、今回の件で損をした方、多いようですね。
「ライブドアショック」の影響はこれからどんどん大きくなっていくのではないかと思います。

ところで、株については素人同然の私が
こんなことを書くのはおこがましい話かも知れませんが、
そもそも「株」というのは「お金儲け」のためだけにあるものなのでしょうか? 

とすれば、私は今まで大きな勘違いをしていたことになります。

私は、「株」というのは本来、
「自分が信頼、支持している会社がもっともっと社会に貢献し、
成長できるように応援する」ために買うものであると思っていました。
「株を買う」ということは、その会社の責任も負うということです。

「投資」というのは、そういうことですよね。
ですから、その会社のこともよく知らずに、
「儲かった!」「損した!」と言っては簡単に売り買いするのは、
その会社に対しても失礼なことではないかと思っています。

この考え方、間違ってますか?

最近のテレビの報道などを見ても、「1日に何千万儲かった!」とか、
そんな話をしては、何だか国民をあおっているような気がしてなりません。
そして、たまたま巨万の富を手に入れた人が、「成功者」として賞賛を浴びる。
こんな世の中に不安を抱いているのは、この私だけでしょうか?
それともこれは、「貧乏人の戯言」でしかないのかな~?

最近では、「株の知識」を学校でも教えるようですね。
私の教え子も、授業で株のシュミレーションゲームのようなものをやったことがあるそうです。
その子にちょっと意地悪な質問をしてみました。

「ところで、株って何のためにやるの?」。
すかさず答えが返ってきました。
「え? お金儲けのためじゃないの?」と。

みなさん、どう思います?

もちろん、この子に問題があるわけではありません。
「株のやり方」だけを教えて、
「根本的な部分」をしっかり教えていない教師に責任があると思います。
こんな教育をしている限り、
第2、第3の「ホリエモン」が出てくるのは時間の問題のような気がします。
「株のやり方」を教えるのであれば、
同時に「株の恐ろしさ」も教えるのが教師の務めではないでしょうか。

「株」で2億を失い、会社も家族も失った人、私の身近にもいますからね。

それにしても、「お金さえあれば、何でも買える!」と豪語していた「ホリエモン」。
まさか、「犯罪」までもお金で買ってしまうとは、思いもしませんでしたよ。
それとも、これも想定内?
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# by sawayoshi45 | 2006-01-25 00:16 | 世間のこと | Comments(0)

「後ろめたさ」を持って生きる

何年か前の話ですが、あるテレビ番組で、
臨床心理学者の河合隼雄さんがこんなことをおっしゃていたのを覚えています。

「『後ろめたさ』を持っていない人は嫌いですね」と。

その番組を見ていた頃の私は、
「後ろめたさ」だらけの人生を歩んでいるような気がしていたので、
この言葉を聞いたとき、とても救われた思いがしました。

もちろん今でも、親への「後ろめたさ」、自分の過去への「後ろめたさ」
といったものはたくさん抱えておりますが、この言葉を思い出しては、自分を慰めています。
河合さんがおっしゃるには、
「後ろめたさ」を持っている人間ほど、他人にやさしくなれるということ。
まったく「後ろめたさ」を持たない人間は、他人の「痛み」にも気づかないということです。

私は塾に勤める前、フルコミッション(完全歩合制)の外資系企業で
営業の仕事をしたことがあります。
当然、親には反対されましたが、これもまあ「若気の至り」ってやつです。
自分の力を過信していたんでしょうね。

「結果さえ出せば、普通のサラリーマンの何倍も稼げる!」
といった言葉に見事に引っかかってしまいました。

まあ、たしかにそれはウソではなかったんですけど・・・、
やはり現実はそんなに甘くはないというのを思い知らされましたね。
いくら頑張っても、結果が出せなければ収入はゼロです。
そんな月が2か月、3か月と続いたこともありました。
今思えば、当時生きていたこと自体、不思議でなりません。

私の「実力」が足りなかったといえばそれまでなんですが、
私にとってははじめての「挫折」だったと思います。
結局食べていくことが出来なくなり、転職を余儀なくされました。
といっても、今もこうやってひとりで活動しているわけですから、
職種は変わっても「完全歩合」という点では、当時とまったく変わっていません。

あまり「組織」には向かない人間のようでございます。
今でも決して楽な生活ではありませんが、
まあ、これが今の私の「実力」でしょうから、それも致し方ありません。

いろんな方々のブログを読んでいると、
よく「給料が安い!」と訴えている教師の方がいらっしゃいます。
教師が給料についてブログでとやかく書くのもどうかと思うのですが、
私からすれば、「食べられるだけマシでしょ!」と、つい思ってしまいます。
「そんなに安いと思うのなら、辞めて民間で働けばいいのに」とも思います。
「実力」さえあれば、たくさん稼げる商売はいくらでもありますからね。

それに、何と比べて「安い!」と訴えているのか、とよく読んでみると、
医者や政治家、または、「一流企業」の部長クラス、
いわゆる「高所得者」と比べているケースが多いように感じます。
彼らには、「低所得者」の方たちのことは、最初から眼中にないようです。
こんな教師が、自分の学校の「落ちこぼれ」と呼ばれている子供たちに、
いったいどうやって接しているのか、私にははなはだ疑問です。

世の中には、工事現場で働く方たち、ホームレスの方たちを、
「社会の落ちこぼれ」「人生の落伍者」といった目で見ている人たちがいます。
その人たちの事情も考えることなく、平気でこういった人たちをバカにする人たちです。
そんな親や教師に育てられた子供が、
ホームレスの方たちを「人間のクズ」とみなし、殴る蹴るの暴行を加え、
挙げ句の果てには、殺してしまうという事件を起こすのではないでしょうか。

夏の暑い中、または冬の寒い中、汗を流して働いてくれる人たちがいる。
そんな人がいるおかげで、私たちは快適な生活が出来る、
ということを教えるのが、親や教師の役目ではないでしょうか。

すいません。少しアツくなってしまいました。「後ろめたさ」についてでしたね。

そうです。ですから
「後ろめたさを持って生きる」ということは、
「弱い立場」にいる人たちの「痛み」を理解するうえでは、とても大切だということです。


私も「後ろめたさ」をたくさん抱えています。
だからと言って、自分が「魅力がある人間」かどうかと言われると
まったく自信はありませんが、
少なくとも「低所得者」の気持ちはよくわかっているつもりです。
自分がそうでしたからね。

でもまあ、その点に関しては今もあまり変わってない気もしますが・・・。
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# by sawayoshi45 | 2006-01-24 00:59 | 人生のこと | Comments(0)

子どもが危ない!

スピリチュアル・カウンセラーの江原啓之さんが書かれた、「子どもが危ない!」という本を今日読みました。

「たましい」という霊的視点から、「教育」について語られた本です。
詳しい内容は、もちろんここでは書きません。
興味のある方は書店へどうぞ。
定価は900円(税抜)でございます。

「コンピューターの文字には『たましい』は宿らない」と書かれていました。
今これを書いている私にとっても、今これを読んでいるあなたにとっても、
ちょっと「耳の痛い」話なども盛り込まれておりますが、
まあ、かなり参考になる部分が多い本だと思います。
教育関係者の方や親御さんにはオススメです。

「たましい」とか「霊」の存在については、きっと、人によって賛否両論だと思います。
私も実際のところは、正直わかりません。
でも、何か「不思議な力」に守られているんじゃないかという感覚は、
今までの人生でも何度か経験しています。
ですから、どちらかといえば私は、「信じる」側に入るのではないかと思います。

でも、「信じる」か「信じない」かということよりも、
大事なのは、そういった「声」にも耳を傾けることであり、
それを自分への「戒め」「教訓」にして、生きていくことではないかと思います。
そうでないと、「自己中心」で「傲慢」な私の妻のような人間ばかりが、
世の中にはびこることになってしまいますからね。


ところで、話は変わりますが、今日の札幌は寒かったですね。
幸い、私は仕事が休みだったので、読書をしたり、テレビを見たり、DVDを見たりと、
ゴロゴロしながら1日を過ごしました。

DVDは2本借りてきて見ましたが、「エコーズ」というのが、けっこう面白かったですね。
何年か前に観た「シックス・センス」に似たような印象を受けました。
これも、霊的なものを扱った映画(といっても気味の悪いホラーではありませんのでご安心を!)で、江原さんの本を読んだ後だけに、何となく真実味を感じました。

というわけで、サスペンス系の映画が大好きなサワダでございました。
それではみなさん、また明日! サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ・・・・・(古ッ!)
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# by sawayoshi45 | 2006-01-23 00:21 | どうでもいいこと | Comments(0)

理解するということ

昨日の記事では、「自分を認めて欲しい、理解して欲しいと思うなら、
まず自分が相手を認め、理解する努力をするべきだ」ということを、
エラそうに語りました。
そこで今日は、「理解する」ということについて、少し掘り下げて考えてみようと思います。

私たちは、よく簡単に「わかった!」と言いがちですが、果たしてそれは本当でしょうか? 
「理解する」というのは、そんなに簡単に出来ることではないはずです。
本当はあまり「理解していない」のに、何となく「理解したつもり」になっていること、
意外に多いのではないかと思います。

もちろん、この私も例外ではありません。
今まで、このブログで書いてきたことで、本当に「理解して」書いたものがどれだけあるか、
はなはだ疑問でございます。

・・・・・・(自省中)・・・・・・

「理解する」は英語で「understand」と言います。
中学校で習う英単語ですね。
この単語がでてくると、私はよく子供たちにこう聞きます。
「『under(下に)』と『stand(立つ)』がくっつくと、
どうして『理解する』という意味になると思う?」と。

この言葉、私はこのように捉えています。
「相手を本当に『理解する』ためには、相手の『下に立つ』必要がある」と。
つまり、相手を上から見下ろして見ている限り、
相手を本当に「理解する」ことは出来ない、という意味です。
こう言われても、子供たちはあまりピンとはきていない様子ですが、
まあ、いつかわかってもらうときがくればいいかなと思って話しています。

夜の星はきれいに輝いて見えますが、昼は見えませんよね。
星は確かに存在しているはずなのに、見えません。
これは何を意味しているか、私なりに考えて見ました。

「暗い場所」から「明るい場所」はよく見えます。
でも、「明るい場所」から「暗い場所」はなかなか見えにくいということ。

これを人間に例えると、
「下の立場にいる人間(子供)」から「上の立場にいる人間(大人)」はよく見えるけども、
「上の立場にいる人間(大人)」から「下の立場にいる人間(子供)」は見えにくい、
ということではないでしょうか。

「子供のイジメや苦しみに、親や教師がなかなか気づかなかった」
というのはよくある話ですよね。
まあ、本当に「気づかなかった」のか、
「気づかなかったフリ」をしているかは定かではありませんけど・・・。

結局、何が言いたいか。

「子供を本当に理解するためには、大人の目線ではなく、
子供の目線で考える」ことが大切だということ。


一番いけないことは、

ほんの数冊の本を読んだだけの「うわっつらの知識」で、
「理解したつもり」になってしまうこと

ではないかと思います。

ん? これってもしかして私のことかも。
とすると、今日書いたこの記事も、何だか自信がなくなってきました。
みなさん、これを「鵜呑み」にしてはいけませんよ。
あくまで、参考程度に読んでいただくということで、お許しください。

・・・・・・(自省中)・・・・・・

う~ん、人間って、たくさんの「矛盾」を抱えた生き物ですね。
まあ、それに気づけくことが出来ただけでも、この記事を書いた意味があったってもんです。
それでは、また明日・・・。
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# by sawayoshi45 | 2006-01-22 00:15 | 教育のこと | Comments(2)

過保護のススメ

「過保護」といっても、
「子供のわがままを何でも聞く」とか
「子供が欲しがるものを何でも与える」といったことではありません。
それは「過保護」ではなく、「誤保護」です。
私がここでいう「過保護」とは、ちょっと言葉にすると気恥ずかしいのですが、
「愛情をたっぷり注ぐ」ということです。

ですから、その子のことを本当に思うのであれば、
当然ときには「愛のムチ」をふることもあり得ます。
ただ、そんなときは、その後のフォローもしっかりしておく必要があります。
「1回叱って、10回褒める」ぐらいの気持ちでいるのが、ちょうどいいのではないかと思います。そういったことを全部ひっくるめての「過保護のススメ」です。

ライオンは、我が子を自立させるために、
子供を崖から突き放すという話を聞いたことがあります。
自分の子供を自立させるためには、そのぐらいの「覚悟」が必要だということでしょうか。

私にはまだ子供はおりませんが、もし自分に子供がいたとしたら、
それだけの「覚悟」を持てるかどうか、ちょっと自信がありません。
まあ、人間がやったら大変なことになるでしょうけど・・・。

「夜回り先生」で有名な水谷修先生。
彼が言うには、
最近の若者には「自分病」という病気(?)にかかっている人が多いそうです。
「誰も私を認めてくれない」、「誰も私をわかってくれない」といっては、
世間や社会に不満を持つ「病気」だそうです。

そんな若者に向けて、水谷先生は優しくこう言います。
「近所のおばあちゃんに、やさしい声をかけてあげなさい。
まわりの人に、親切にしてあげなさい。
そしたら、いい気分になれるから」と。

自分のことをどうこう言う前に、まわりの人たちに「愛情を注げ!」ということですね。

「自分さがし」という言葉を、最近よく耳にします。
でもこの言葉、私はあまり好きになれません。
私にはこの言葉は、どうしても、
「今の自分はこんなもんじゃない。自分にはもっとすごいところがあるに違いない!」
と言っているように聞こえてなりません。
今の自分を認めて、はじめて先にすすめるのではないかと私は思っています。

「自分さがしの旅」をしている時間があるなら、もっと身近な人に目を向けて、
やさしい言葉や感謝の言葉のひとつでもかけられるようにしたほうが、
よっぽど本当の自分をさがすことが出来るのではないかと、
私は思うのですが、みなさん、いかがでしょうか。

「ギブ&テイク」という言葉があります。
これは、あくまで「ギブ&テイク」であって、「テイク&ギブ」とは言いません。
あくまで「ギブ(与える)」が先なんです。
つまり、自分を認めて欲しい、理解して欲しいと思うのであれば、
まず自分が先に人を認める、人を理解しようとする心が必要だということだと思います。

「情けは人のためならず」。
「愛情」というのは、巡り巡って、必ず自分のところに帰ってきます。
これが私の言いたい「過保護のススメ」でございます。

そういえば、これを書いていて、ふと思い出しました。
先日、受験生の子を持つあるお母さんが、帰り際に、私にこんなことを言ってくれました。
「受かる受からないは関係ないんです。
この子がひとつの目標に向かって頑張ることが、
この子の将来に役に立てばいいと思ってます」と。

別に私が褒められたわけではありませんが、
この言葉を聞いたとき、私は目頭が熱くなりました。
なぜか、涙が出るぐらい嬉しかったんです。
この時期になって、こんなことが言えるお母さん、私は感動しました。
こんな素敵なお母さんに会えたことに、とても感謝しました。

そして、あまりの嬉しさに足元がふらついていたんでしょうか。
帰りみち、雪道に滑ってこけそうになったのをよく覚えています。

今日は「大寒」でしたが、これを思い出した私はちょっと「ホット」な気持ちになってます。
それでは、明日(もう日付はかわっちゃったから今日ですね)、
センター試験を受ける受験生のみなさん、
受かる受からないを考えるよりも、自分の力を発揮することが大事です。
がんばってくださいね。
といっても、受験生のみなさんがこの記事を読む頃は、
もう試験終わってますよね、きっと。
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# by sawayoshi45 | 2006-01-21 00:02 | 教育のこと | Comments(0)

ブログの面白さと恐ろしさ

ブログを書き始めて約1か月半になります。
最初は知り合いの方以外、ほとんど訪れてくれる方はいらっしゃらなかったのですが、
ここ2、3週間は訪問してくれる方がグッと増え、コメントを頂く機会も増えました。
そういった方からは、とても元気をもらいます。
本当にありがとうございます。
最初は半信半疑で始めてみたブログですが、今ではやってよかったと思っております。

コメントをくださる方々の大半は、私の意見に賛同してくれる方です。
当たり前ですよね。
誰だって批判のコメントはあまり書きたくないものです。
私も他の方々のブログに批判のコメントを書こうと思って、
やっぱり断念したこと、何度かあります。
それだけ、相手を批判するということはエネルギーと覚悟がいることだと思います。

でも、自分と同じ意見の人たちばかりが集まって、
お互い褒めあってばかりいるのも、どうかと思います。
やはり「批判してくれる人」がいて、その「批判」を真剣に受け止て初めて、
自分自身も成長できるのではないかと思います。
そうでなくては、人間、なかなか自分の言動を振り返って
「考える」機会が得られないような気がします。

昨日の記事で、私へ批判のコメントをくださった方がいることを書きました。
他の読者の方々には、誤解のないようにお断りしておきますが、
その方は、私への嫌がらせとかそういったことではなく、
本当に私のことを思って、あえて苦言を呈してくださった方です。
今朝、その方からメールを頂き、そのことがよくわかりました。
ですから、私はこの方に、むしろ感謝しております。
この方とは、これからも「いいお付き合い」が出来ればと思っております。

批判を浴びて、いい気分になる人は、ほとんどいないと思います。
正直に言えば、私もこのコメントを読んだ時は、ちょっと「ムッ!」としました。
でも、時間をおいてよく考えてみれば、
自分自身、行き過ぎた表現や不適切な発言があったことは認めざるを得ません。
過去の記事も含め、私の文章で不愉快な気分にさせられた方々には、
この場を借りてお詫び致します。本当に申し訳ありませんでした。

といっても、私の「教育」に対する思いというか、
根本的な部分が変わったわけではありません。
ですから、今後もこの自分のスタイルを変えるつもりはありません。
ブログを公開する以上、ある程度の批判を浴びることも覚悟しております。
その覚悟がなければ、自分の思いを訴えていくことなんて出来ないと思います。

ただ、今回の件をきっかけとして、これからは言葉の使い方、
表現の仕方というものに、なるべく注意するように気をつけて書くようにします。
妻にも言われました。
最近の私の文章にはトゲがある、と。
自分ではそんなつもりはないんですが、
「読み手がどう受け取るか」、という問題となると、反省すべき点が多かったと思います。

それにしても、文章だけで自分の思いをすべて表現するって、本当に難しいものですね。
私自身、まだまだ文章力が足りないということをつくづく実感しました。
「ペンは剣よりも強し」と言いますが、
なるべく「誤解」をまねくことがないような書き方ができるよう、
私自身、努力していかなければと思います。
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# by sawayoshi45 | 2006-01-19 00:02 | 自分のこと | Comments(0)

昨日の記事について

昨日の記事について、ある方から厳しいコメントを頂きました。
その方は、多分私のことを思って、「非公開」という形をとってくださったのだと思います。
ありがとうございます。

そこで、今日はこのコメントに、私なりにお答えしようと思うのですが、
そのコメントの内容を載せない限り、他の読者のみなさんには、
私がいったい何を書いているのか、よくわからないと思います。
私自身、その方がどのような立場の方かまったく存じ上げておりませんし、
その方が特定されることはないだろうと判断し、
あえて公開させて頂きますのでご了承ください。

将来的にも教育に携わっていくということですので、宿題を一つ出させてください。
「受験」についてのあなたの見解には、大きな誤りがあります。子どもたちの多くが感じる受験に対する矛盾について、あなたの考えでは答えられないと思います。答えられないのに、答えたおつもりになっているなら、それは子どもたちの素直な心に、大人の論理を押し付けただけです。なぜそのような結論に至るのか、ご自身のお考えをもっともっと深めていただきたくコメント致します。もし、このコメントを真剣に受け止めてくださるなら、私も一緒に考えたいと思います。ブログ上で、お書きいただければ、また改めてコメント致します。


昨日の記事で、私は「受験」について、語ったつもりはまったくありませんでした。
ですから、このコメントを読ませて頂いたときは、正直ピンとはきませんでした。
「大きな誤り」とは何なのか、「矛盾」とは具体的にどういった矛盾なのか・・・、と。

そう思い悩んでいる私に、妻がヒントをくれました。
「もしかしたら、『受験のない世の中にしたい』と受け取られたんじゃない?」と。
なるほど、そう言われて読み返してみると、
たしかにそう受け取られても仕方のない書き方だったかも知れません。
言葉が足りなかったんでしょうか。反省しております。

そこで、ここからはそのように受け取られたと仮定して、少し弁解させていただきます。

私は「受験のない世の中にしたい」と思ったことは、今まで一度もありません。
むしろ、どちらかと言えば、「受験肯定派」のほうだと思っています。
私自身、ひと通りの受験は乗り越えてきましたし、
そのおかげで、今食べていけるというのも十分自覚しているつもりです。
受験勉強によって得たものは、
私の人生においても大きなウェイトを占めていると思っています。

ですから、「出来るだけ上の学校を目指して頑張りたい!」という考えは、
もっともなことだと思いますし、そのような子には、私は全力で応援します。
一応、この仕事だけで10年以上食べてきたわけですから、
それなりの授業技術は持ち合わせているつもりですし、
それなりの結果も出してきたと自負しております。
(これは私のひとりよがりかも知れませんが・・・)

ただその一方で、本人の意思とは別に、「受験」によってつぶされてしまった子、
学校から「落ちこぼれ」というレッテルを貼られてしまった子も、
今まで数多く見てきたのも事実です。
私がこんなことを言うのはおこがましいかも知れませんが、
「教育」によってつぶされた子は、「教育」によって立ち直らせるしかないと思っています。
その「教育」に携わる仕事をしている以上、
そういった子供たちにも目を向ける必要があると考えています。

ですから、昨日の記事で私が言いたかったことは、
「受験のない世の中にしたい」ということではなく、
おそらくこんなことはきっとありえないでしょうが、
「万が一、この世から受験がなくなるようなことがあったとしても、
生き残っていけるような塾を創りたい」
ということなんです。
そのためには、私自身、
授業技術などをまだまだ勉強しなければいけないと思いますし、
「魅力のある人間」(自分で言うのも恥ずかしいですが・・・)になる
努力をしていきたいということです。

ひと言で「塾」といっても、いろんなタイプの塾がありますよね。
進学塾もあれば、補習塾もあります。
進学塾には進学塾の役割がありますし、
補習塾には補習塾の役割があると思います。
能力の高い子は、その能力を伸ばすべきだと思います。

でも、その進学塾の勉強についていけなくなった子、
学校の勉強にもついていけなくなった子たちが存在するのも事実です。
そういった子どもたちに、
少しでも「勉強の楽しさ」や「勉強の大切さ」などを伝えていけるような
塾があってもいいと思います。
現実はなかなか難しいというのは、もちろんわかっていますが、
少なくとも気持ちだけはそういった方向を向いて、前に進んでいきたいということです。

これって、答えになってますか? 
もし、見当違いということであれば、このコメントをくださった方、
大変申し訳ありませんが、再度コメント頂ければ幸いです。
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# by sawayoshi45 | 2006-01-18 00:25 | 自分のこと | Comments(0)

失敗を自慢できる人生に。

エジプト考古学者で早大教授、吉村作治さんの講演内容の記事が
15日付けの北海道新聞に掲載されていましたので、一部紹介させていただきます。

私が学生に話すのは、若いころの自慢話です。「自慢」というのは失敗談。必ず「失敗を自慢できるような人生にするんだ」と言います。失敗してもいい。でも、失敗のまま終われば自慢できない。
自慢するためには、何かを実現しなければならない。そのためには失敗を恐がらない。「やりたいか、やりたくないかだけを考えなさい」と言うんですね。
最近は成功談がはやっていますが、成功談というのは特殊で普遍性がありません。失敗すればするほど成功は大きい。夢の実現の仕方は、年上の人から失敗談を聞いて、一生懸命やることです。


「恥ずかしい失敗談」なら、私も数限りなく持っていますが、
「自慢できる失敗談」というと・・・、正直言って、なかなか思いつきませんね。
まあ、まだそれだけの経験がないといえば、それまででしょうし、
決して今の状態が成功だとは言えませんし・・・。

もちろん、私なりの「夢」は持っています。
近いうちに塾を開きたいと思っています。
今はそのための「修行」だと思っています。

でも、「塾を開く」ことだけが「夢」ではありません。
これは究極の「理想型」ですが、
この世から「受験」というものがなくなったとしても、
子供たちが集まってくるような塾を創りたいんです。

まあ、現実はそんなに甘くないということはわかっていますが、
これは私の10年来の「夢」です。
「塾は受験のため」という世間の考えをくつがえしていければと思っています。

といっても、もちろん「受験」を否定しているわけではありません。
「受験」は大切だし、子供にとって「必要なこと」だと思っています。
ただ、「受験が終わったから、ハイ、終わり!」というのは、
教える立場にとっては、やはりちょっと寂しいものです。
子供たちが「受験勉強を通して学んだこと」を、
将来の人生において役立てていけるような指導がしたいといつも思っています。

でも、今の私には、残念ながらそこまでの力はありません。
だから私自身、まだまだ勉強が必要です。
もしかしたら、一生できないかも知れません。
でも、少なくとも気持ちだけは、そういった方向を向いていたいと思っています。

「目先の成績」や「受験」というだけに限らず、
もっと「勉強の大切さ」、「勉強の楽しさ」をひとりでも多くの子供たちに
伝えていけるよう努力しなくちゃいけないなとつくづく思います。
そして、それが実現できたとき、
きっと「失敗を自慢できる人生」になれるんじゃないかと思います。
そのときまでは、何が何でも「教育の世界」にしがみついて生きていこうと思っています。

う~ん、最初に書こうと思っていたことと、
なんか方向性が変わってしまったような気がするんですが・・・、
まあ、これはこれでいいか。


HIGENOPOPOさんという方のブログ、「教師を目指す人の徒然日記」をリンクに追加しました。
春から学校の先生になる若い方のブログです。
若いのにとてもしっかりした考えを持っている人だと私はニラんでいます。
読んでいて、楽しい気分になるブログですので、みなさんもぜひお立ち寄りください。

それでは、また明日。
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# by sawayoshi45 | 2006-01-17 00:47 | 自分のこと | Comments(3)


【札幌の家庭教師 学びの森】   サワダと申します。


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