親友の「死」から学んだこと

多分、北海道だけでの放送だったのではないかと思いますが、
昼のテレビで「13歳の遺言」という番組をやっていました。
昨年の9月に放送された番組の再放送らしいので、
すでにご覧になっている方もいらっしゃるかも知れません。

私は今日初めてその番組を観たわけですが、
それを観ながら、もう20年以上も前の出来事がよみがえり、
昨日に引き続き、またもや涙ぐむという失態(?)を演じてしまいました。

実は私も13歳のとき、同級生の親友を失っています。
彼とは小学校からの友達で、よく悪さをしては、先生に叱られていたのを憶えています。
もちろん中学校も一緒でしたが、中1の後半から、彼は学校に顔を見せなくなりました。
肺ガンということでした。

何度かお見舞いにも行きましたが、日に日に髪が抜け、
元気がなくなっていく彼を見るのは、まだ13歳だった私には、辛すぎる体験でした。
約半年の闘病生活の末、彼は息を引き取りました。
不思議と涙は出ませんでした。

彼の葬儀では、友人代表として、
生まれてはじめて弔辞を読むという大役を担いましたが、
そのときは頭が真っ白だったせいか、何を言ったのかまったく憶えていません。
人間、あまりにショックが大きいと、
涙すら出なく、その記憶もなくなくなるというのは、どうやら本当のようです。

彼が自らの「死」をもって、私に教えてくれたこと。
それは「人間、生きているだけで幸せ」ということです。

生きたくても生きられなかった彼のことを思うと、
少々辛いことがあっても、不満なんか言っていられません。
もちろん、私も人間ですから、「欲」もあれば、ときには「不満」を持つこともあります。
でも、そんなときは、いつも彼のことを思い出すようにしています。

昨日の番組でアシュリーちゃんが言っていた「人生は不満を言うほど悪くない
といった言葉も、きっと同じようなことを教えてくれているのではないかと思います。

私の好きな言葉に、「少欲知足(しょうよくちそく)」という言葉がありあす。
仏教用語のようですが、意味は文字通り「欲を少なくして満足を知る」ということ。
不満を持つのは、結局のところ、「欲」が大きいという証拠。
その「欲」を少なくしさえすれば、
「不満」もなく、楽しい生活が送られるということではないでしょうか。
これからも、この言葉を肝に銘じて、生きていければと思います。

彼が亡くなってから今年で23年。
あと3年で、私も彼の3倍の月日を生きることになります。
その間、自分が今までしてきたことを振り返ると、正直、恥ずかしい限りですが、
まあ、これからの人生で何とか取り返していければと思っています。

もしかしたら、「オレのことをネタにしやがって!」と怒っているかもしれませんね。
まあ、それはそれで、
いつか天国(自分が天国に行けるかどうかはまだ定かではありませんが・・・)で、
会うことがあったら、謝ることにしようっと。
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# by sawayoshi45 | 2006-02-20 00:02 | 人生のこと | Comments(2)

難病と闘う子供たち

先日、TBSで「難病と闘う子供たち」という番組が放送されていました。
私は録画しておいて、それを今日観たわけですが・・・、

皮膚がどんどんはがれ落ちる先天性魚鱗癬(ぎょりんせん)。
痛みを感じることも、汗をかくこともできない無痛無汗症。
突然、体の機能が失われていくレット症候群。
太陽の光を浴びることができない色素性乾皮症(XPともいうそうです)。

世の中には、私たちが知らない病気を背負った人たちがたくさんいること、
今さらながら思い知らされました。

たいした苦労もしたことのない私のような人間が、
こういったことを言うのも、本当におこがましい限りですが、
この番組に登場した子供たちも、その病気の子供たちを見守る親御さんも、
とても明るく、前向きな姿に感動しました。

それと同時に、お金がどうの、仕事がどうのといった自分の悩みが、
すごくちっぽけなものに感じられ、とても恥ずかしい気持ちにもなります。
こういった番組をみると、すぐに涙ぐむようになったのも、年のせいでしょうかね。

さらに今日の「サイエンスミステリー4」という番組では、
普通の人よりも10倍近くの速さで老化が進行してしまう
プロジェリアという病気(世界に30人ほどいるそうです)と闘っている
アシュリーちゃんという14歳の少女が出ていました。

彼女が最後に言った
人生は不満を言うほど、悪くない」という言葉がとても印象的で、
またしても涙ぐんでしまった私です。

ところで、昨日の記事で、私は「無知」だからこそ、人を簡単に批判できると書きました。
スポーツ選手の気持ちを理解するには、自分もそのスポーツをやることです。
勉強で苦しんでいる子供の気持ちを理解するには、自分も勉強することが必要です。
その人の苦しみを知るためには、その人の立場になることだと思います。

でも、病気の子供の気持ちを理解するために、自分が病気になることは不可能ですよね。
そんな私たちにできることといえば、
世の中には、そういった人たちがいるという現実を「知ること」であり、
また「知ろうとする努力」をすることではないかと思います。


昨日も書きましたが、「無知ほど恐ろしいものはない」、
これらの番組を観て、改めてそう思いました。

それにしても、こういった境遇の中でも、明るく前向きに生きている人たちがいれば、
他人の子供を2人も刺殺してしまう母親もいる。
この違いは、いったいどこからくるんでしょうかね?
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# by sawayoshi45 | 2006-02-19 00:00 | 人生のこと | Comments(3)

「無知」がゆえの批判

オリンピックが始まって、一週間。
この一週間、とても不規則な生活を送っているサワダでございます。
昨日は、フィギアスケートの高橋大輔選手を見るために、
何とか、朝の7時までがんばりました。
これも「自由業」のなせるわざ(?)といったところでしょうか。

それにしても、金メダルをとったロシアのプルシェンコ選手の演技、
素人目からも見ても、すばらしかったです。
あれはもう、「スポーツ」というよりは「芸術」ですね。
いいモノを見させてもらったという感じで、とても感動しました。

そして、昨日の深夜に行われたスピードスケート団体追い抜き(パシュート)、
初のメダル獲得かと思って、期待して見ていたんですが、
大津広美選手の、まさかの転倒で惜しくも4位に終わりました。

それまでリードしていただけに、正直、「残念!」と思う気持ちもありますが、
転倒した大津選手の気持ちを考えると、
「かわいそう」というかなんというか、何ともやりきれない気持ちになります。

これから、心ない人たちからの誹謗中傷を受けないとも限りません。
たしか、リレハンメルオリンピックで失敗ジャンプをした原田選手のときも、
すごかったようですからね。
そういった周りの「批判の声」に負けることなく、
4年後のオリンピックで、活躍してくれることを願います。

ところで、ここでも何度か書いていますが、
私はプロ野球観戦が好きで、よく球場に足を運びます。
試合を楽しんでいると、必ずと言っていいほど、
「ヤジ」を飛ばす人を見かけます。

そういう人が隣にきたときは、とても不愉快な気持ちになります。
せっかく楽しみにしてきた試合も、興ざめしてしまうことも多いです。
彼らは、選手ばかりでなく、周囲の人たちまで不快な気分にさせてくれます。
昨日の記事風に言えば、
野球の「楽しみ方」を知らない、「頭の悪い人たち」です。

大津選手の場合もそうですが、
選手たちの、これまでの努力や思いを「想像」しさえすれば、
とても「批判する」気にはならないはずだと思うのですが・・・。

以前、「やればできる!ってホント?」という記事を書きましたが、
「やればできる!」と簡単に言える人や、他人を簡単に「批判できる」人の多くは、
実は「やったことがない人」ではないかと思います。


「スポーツの苦しさ」を知らないからこそ、
選手のちょっとしたミスを、「批判する」ことができます。

同様に、
「勉強の苦しさ」を知らないからこそ、
子供のテストの点数を、「批判する」ことができます。
さらに言えば、
テストの点数だけを見て、「批判する」ことができる人は、
子供のそれまでの努力を「知らない」、または「知ろうとしない」人と、
言えるのではないでしょうか。

私は高校生の頃、伯父に、
「お前の頭は中途半端だからなぁ」と言われたことがあります。
悪気があって言ったわけではないでしょうが、
当時、自分としては、それなりに努力はしていたつもりだったので、
この言葉、とてもショックだったのを憶えています。

もちろん、今となっては「笑い話」で、べつに恨んでいるわけではありませんが、
当時は正直、「何も知らないくせに・・・」と反感を覚えたものです。
私の場合は、そう言われると、逆に燃えるタイプなので良かったのですが、
子供によっては、こういった言葉が「一生の傷」になる場合も考えられますよね。

そう考えてくると、ありきたりの表現かも知れませんが、
人間にとって、「無知」ほど恐ろしいものはない
そんな気がしてきます。
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# by sawayoshi45 | 2006-02-18 00:48 | 世間のこと | Comments(4)

頭がいい人

「頭がいい人」って、どんな人のことをいうんでしょうか?

一般には、「学校の成績がいい人」、または「要領のいい人」のことを、
指して言う場合が多いような気がします。
なるほど、たしかに
「頭がいい→成績がいい」「頭がいい→仕事の要領がいい」
という図式は、ある程度は成り立つような気もします。

でも、「成績がいい→頭がいい」「仕事の要領がいい→頭がいい」
という「逆」が、常に成り立つかというと、私には、はなはだ疑問です。

「頭がいい」の定義も、人それぞれで難しいところですが、
もし子供たちに聞かれたときは、私の場合は、

二つの『そうぞうりょく』を持っている人

と、今のところ、答えるようにしています。

二つの「そうぞうりょく」のひとつ目は、「想像力」です。

「自分の行動や発言が、相手にどう思われるか考える」
「相手が今どういった気持ちでいるかを考える」
「自分の夢に向かって、今何をするべきかを考える」・・・、
こういったことは、「想像力」がなければできないことですよね。

つまり、「想像力」があるからこそ、
「相手の立場になって考える」ことができ、
そこから「思いやり」の気持ちも生まれるということだと思います。

そして、もうひとつの「そうぞうりょく」とは、「創造力」のことです。

「創造力」というと、「新しいモノを創りだす力」と思われるでしょうが、
私の場合は、ちょっと違って、
「どんなものからでも、楽しみを見つけることができる力」と、とらえています。
まあ、言ってみれば、「楽しみを創りだす力」といったところでしょうか。

教えられたことだけを、教えられたとおりにしかやろうとせず、
「やらされている」ということに文句ばかり言う人は「創造力」のない人です。
「創造力」のない人は、いわゆる「支持待ち人間」になる可能性が高いと思います。

「創造力」のある人は、イヤな(?)勉強や仕事の中にも、
ある程度の「楽しみ」を見つけることができます。
つまり、「創造力」のある人にとっては、「雑用」が「雑用」でなくなるということです。

同じことをやらされたとしても、
それに文句ばかりを言う人と、その中で少しでも「楽しみ」を見つけられる人、
どちらが、より豊かな人生を歩めるかは、言うまでもありませんね。

そう考えると、「学校の成績がいい→頭がいい」とは、決して言えないと思います。
逆に言えば、「成績が悪い→頭が悪い」ということでもありません。

家業を継いでいる私の兄は、学校の成績はすこぶる悪く、大学も出ていませんが、
家の手伝いは、誰もが嫌がるような仕事でも文句ひとつ言わず、
本当によくやっていました。
これは「身びいき」かも知れませんが、
兄は、私なんかよりよっぽど「頭がいい人」だと思っていますし、尊敬もしています。

一方、一流大学を卒業して、政治家や官僚にまでなられるような方々。
もちろん、すばらしい方もたくさんいらっしゃるでしょうが、
普段の発言や行動を見る限り、
あまり「頭が良くない」方々も意外と多いような気がするのは、私だけでしょうか?
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# by sawayoshi45 | 2006-02-17 00:36 | 教育のこと | Comments(2)

ミュンヘン

私がよく利用する映画館は、毎週水曜日が「メンズデー」。
男の人は1,000円で観る事ができます。
というわけで、私の中では最近、水曜日は「映画の日」になりつつあります。
仕事が終わって時間があるときは、通うことが多いです。

受験生やテストを控えてがんばっている子供たちには、
この時期、少々申し訳ない気もしますが、
まあ、これも昨日書いた「人生の勉強」ということで、
お許しくださいませ(なんだか言い訳っぽい!)

さて、本日観てきたのは、
スティーブン・スピルバーグ監督の「ミュンヘン」。

今は、トリノオリンピックで盛り上がっておりますが、
この映画の舞台は、1972年のミュンヘンオリンピック。
私がまだ2歳の頃のお話です。

「事実に基づいたお話」だそうで、これが観ていてけっこう重い!
「平和の祭典」であるオリンピックで、
こんなことが行われていたとは夢にも思いませんでしたね。

詳しいことは、ここでは書けませんが、
「正義とは何か」「平和とは何か」というものを考えさせられた映画です。
主人公の「心の葛藤」もよく描かれている映画だと思います。
ただ、ちょっと長すぎる(3時間近く)のが、欠点かも。
途中、睡魔との闘いも少しあったりして・・・。

ただ、中東問題やパレスチナ問題などに詳しい方じゃないと、
ちょっとわかりにくい部分も多い映画だと思いますので、
これから観ようと思っている方はご注意を!
正直、私もピンとこなかったところ、多かったです。
今までのスピルバーグ監督の作品とはかなりイメージが違います。

というわけで、「事実に基づいた作品」という売り文句には、とっても弱い私でした。
さて、来週は何を観ようかな~。
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# by sawayoshi45 | 2006-02-16 00:26 | どうでもいいこと | Comments(1)

就職?それとも就社?

「就職」とは、文字どおり、「職に就く」ことです。
そして「職に就く」ということは、「その道のプロになる」ことだと思います。
「プロ」の定義は難しいところですが、
私は、「報酬をもらって仕事をしている」人なら、
誰もが「その道のプロ」であると思うし、また、そうあるべきだと思っています。


たとえ会社での扱いが、非常勤やアルバイトであっったとしても、
パン屋さんの店員は、「パンのプロ」であるべきだし、
本屋さんに勤めるなら、「本のプロ」であるべきだと思います。
さらに「接客のプロ」であることも必要ですね。

教育の世界に身を置く人は、「教育のプロ」です。
でも「教育のプロ」といっても、
24時間、教育のことだけを考えていればいいということではありません。

人間を相手にする仕事である以上、
「人間学」を学ぶ必要もあるでしょうし、
ニュース、本、映画、音楽、スポーツ、芸術、・・・・・などなど、
さまざまな話題にも通じていなければならないと思います。

学校の勉強には、「答え」もあるし、ある程度の「ゴール」も定められていますが、
仕事の勉強には、「答え」もなければ、もちろん「ゴール」もありません。
言ってみれば、「一生勉強」ということです。
「職に就く」ということは、そういった「覚悟」をすることだと思います。

今、就職活動で悩んでいるみなさん、
あなたの「就職活動」、単なる「就社活動」になっていませんか?

「数うちゃ、当たる!」と思って、面接に行っていませんか?
ただやみくもに面接を受けたところで、相手は、人事の「プロ」。
すぐに見破られるのがオチだと思います。

その会社の「知名度」や「給料」ばかりをあてにして、
「やりたいこと」もなく、「信念」も持たない人が面接にきたところで、
あなたなら、採用しようと思いますか?
逆の立場で考えてみれば、
自分が何をするべきなのか、わかってくるのではないでしょうか。


なんだか説教じみてきたので、ここでちょっと話題転換。

今日(ホントは昨日)は、バレンタインデー。
といっても、私のような人間にチョコレートをくれる「奇特な人」は、
妻ぐらいなものですが、今日は訪問先のお母さんからもいただいたので、
私としては「大豊作(?)」でございました。

妻はバレンタインデーにこじつけて、
自分が食べたいチョコレートを買ってきては、
結局、自分でほとんど食べてしまうという「はなれわざ(?)」を毎年やっております。

まあ、そういった意味では、
我が家は今日に限らず、毎日がバレンタインデーのようなもの。
もちろん、そんな我が家にホワイトデーはありませんが・・・。
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# by sawayoshi45 | 2006-02-15 00:31 | 人生のこと | Comments(0)

スポーツから学ぶ

日本代表ではありませんが、フィギアスケートペアのアメリカ代表として、
今回のオリンピックに出場している井上怜奈選手。
彼女のこれまでの壮絶な人生が、昼のワイドショーで特集されていました。

オリンピックが始まると、各局でこういった特集よくされていますね。
人によっては、こういった番組、
「お涙ちょうだいもの」と嫌っている方も多いようですが、
「人間観察」が好きな私は、こういった話、決して嫌いではありません。
いや、むしろ好きで夢中になって見ていることが多いです。

スポーツ観戦が好きなのも、こういった選手たちの「ウラ側」を垣間見ることで、
自分自身、学ぶところが大きいからだと思います。
一流のスポーツ選手から学べることって、本当にたくさんあるなと思います。

彼女のことは、きっとこれからも、あちこちの番組で特集されると思うので、
ここではあえて詳しいことは書きませんが、
「才能がない」と言われた子供時代、
父親の病死、
そして彼女自身のガン克服・・・、などなど、
本当に大変な思いで手に入れたオリンピック出場のようです。

何の知識もなく、ただ結果のみで一喜一憂するのと、
こういった選手の「背景」をある程度知ったうえで、応援するのでは、
やはり気持ちの入り方も違うと思いますし、
そこから学べることもまったく違ったものになるような気がします。

それにしても、こういった選手たちって、
本当にさまざまな苦難を乗り越えてきている人が多いですね。
神様はそれに耐え得る人間に、それ相応の試練を与える
という言葉を聞いたことがありますが、本当にそうなのかもしれません。
特に何事もなく、今まで生きてきてしまった私にとっては、ちょっと耳の痛い話です。
それとも、これも「正負の法則」というものなのでしょうか。


さてさて、話は変わりますが、
北海道の中学生は今週からいよいよ「テスト週間」。
受験生は私立高校の入学試験、それ以外の中学生は学年末試験が始まりますね。

子供の将来にとって最良の結果は、一生懸命やって落ちること。
最悪の結果は、何もしないで受かること

という言葉を聞いて、なるほどと思ったことがあります。

もちろん「落ちたほうがいい」と思っているわけではありませんが、
あまり結果ばかりにとらわれることなく、
今の自分に出来ることをしっかりやる、

つまり「100%理論」で、試験にのぞむことが大切だと思います。

それでは受験生のみなさん、そして将来の受験生のみなさん、
月並みな言い方ですが、がんばってくださいね。    
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# by sawayoshi45 | 2006-02-14 00:02 | 人生のこと | Comments(0)

勝手に期待、勝手に失望

昨日の女子モーグル、残念でしたね。
私もそうでしたが、きっと見ていたみなさんは、
里谷多英選手か上村愛子選手、せめてどちらかはメダルを取ってくれるものと、
期待していたのではないでしょうか。
今日はスノーボードの成田童夢(それにしてもすごい名前だ)選手も、
残念ながら予選落ちという結果になったようです。

でも、よく考えてみると、
こういった選手のみなさんに「期待」するのも、「失望」するのも、
私たち「外野」の人間の「勝手な感情」に過ぎません。
彼ら(彼女ら)の過去の実績や、マスコミの報道などにあおられて、
「勝手に期待」して見ている人、多いのではないでしょうか。

やっている選手にしてみれば、メダルは取れなくても、
それ以上の価値を見出している選手も多いと思います。

それを私たちのような「外野」の人間が、
「勝手に期待し、勝手に失望している」わけで、
考えてみれば、「なんて自分勝手なんだろう!」という気がしてきます。

「日本人は本番に弱い!」という言葉もよく聞きますが、
これも私たち「外野」の人間の、「勝手な感情」からくる言葉と言えなくもありません。

といっても、まあ、オリンピックに出るぐらいの選手です。
きっとあらゆる「修羅場」もくぐってきていることでしょうから、
そんなこと、いちいち気にもしていないでしょうけど・・・。

さて、この「勝手に期待し、勝手に失望する」ということ、
実は普段から、私たちは子供たちにもしているような気がします。

たとえば、子供がやる気をみせて、ちょっと勉強し始めると、
「頑張っているんだから、きっと今度のテストは良い点がとれるはず!」と、
「勝手に期待」し、
思い通りの点数がとれなかったら、
「勝手に失望」ということ、やっていないでしょうか。

私たち大人が、普段なにげなくしている行為が、
子供たちの心を傷つけていないかどうか、
よく考えてみる必要があるのではないかと思います。


そういえば、
「勝手に期待し、勝手にがっかり。大人って勝手だな。」
こんな子供の詩、何かの本で読んだことがあるような・・・。
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# by sawayoshi45 | 2006-02-13 00:00 | 教育のこと | Comments(4)

スポーツと勉強の共通点

4年に1度の「スポーツの祭典」、トリノオリンピックがいよいよ始まりました。
今、女子モーグルの予選を見ながら、これを書いております。
それにしても、モーグルってカッコいいですね。
つい見入ってしまいます。

というわけで、今日は「スポーツと勉強の共通点」について、
とりあえず思いつくまま書いてみようと思います。
私は基本的にスポーツも勉強も、その上達方法は一緒だと考えています。

まず、スポーツにも勉強にも「基礎体力」が必要です。

「スポーツはわかるけど、勉強にも体力が必要なの?」と思った方、
「体力」には「パワー」とか「速さ」といった「動の体力」ばかりではありません。
長時間、椅子に座っていられるという「静の体力」もあるんです。
この「静の体力」の低下が、今の「学級崩壊」の原因のひとつとも言われています。
「学力低下」よりも憂うべきは、この「体力低下」のほうだと、私は思っています。

田舎育ちの私は、友達と外で遊ぶことで、
自然にこの「基礎体力」をつけることが出来たような気がしますが、
都会育ちの子供は、今は遊ぶ場所も少なく、
なんだかかわいそうな気がします。
仕方のないことなんですけど・・・。

次の「共通点」と言えば、「基本が大切」ということでしょうか。

野球で言えば、キャッチボールや素振り、
こういった「基本練習」をバカにするようであれば、やはり上達はないと思います。
私はプロ野球が好きで、暇を見つけては球場に足を運んでいますが、
試合前の選手の練習を見ていると、
プロとはいえ、やはり「基本練習」をしっかりやっていることがよくわかります。

これを勉強に例えると、
「概念」をしっかり学び、よく考えて問題を解く練習を繰り返すということでしょうか。
「概念」がないのに、ただ問題の解き方をひたすら暗記するようでは、
本当の意味での上達はないということだと思います。

三つ目の「共通点」。それは「ルールがあること」です。
スポーツにルールがあることは、今さら言うまでもないことですが、
勉強にもルールがあること、意外と忘れている人が多いような気がします。
たしかに「自由な発想」も人生においては必要かも知れませんが、
やはりテストの点数に結びつけるためには、ルールを守らなければなりません。

たとえば国語の問題。
国語のルールはひとつしかありません。
「次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい」というやつです。
でも、このルール、きちんと守って問題を解いている生徒、どれだけいるでしょうか?
文章を読まずに、問題を解こうとする生徒、意外と多いんじゃないでしょうか?

国語の問題のほとんどは、
「文章にどう書かれているか」を聞いているわけであって、
「あなたがどう思うか」を聞いているわけではありません。
この「主観」と「客観」がゴッチャになっている生徒、多いような気がします。
「文章をきちんと読まない」、つまり「ルール違反」をしているようでは、
国語力の上達はないと私は思います。

数学も同じですね。
「概念」を理解しないまま、ただ数字を公式に当てはめる作業、
これも、私からみれば明らかに「ルール違反」、
このようなやり方でいくら問題練習をしたところで、やはり上達はしないと思います。

そういえば、数学者の森毅先生の本に、
「実力とは、才能と努力の積で表すことができる」というようなことが、
書かれていたのを読んだことがあります。

たとえ100の才能を持っていても、努力が0であれば、
「100×0=0」で、実力は0ということです。
逆に、才能が1でも、努力が100であれば、
1×100=100で、100の実力がつくということ。
人間である以上、才能が0ということはまずあり得ないので、
結局のところ、「努力が大切」ということを言いたかったのだと思います。

なんだか長くなってしまいましたが、
スポーツにしろ、勉強にしろ、結局大切なのは、
ある程度の「基礎体力」と「努力」、そして「基本を大事にする心」ではないかと思います。

う~ん、でもよく考えてみると、
これってスポーツと勉強だけに限ったことではないですね。
人生すべてにおいて、当てはまることではないかと、
ここまで書いてきて、今やっと気づきました(遅い!)。
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# by sawayoshi45 | 2006-02-12 00:42 | 勉強のこと | Comments(2)

「教育」が難しくなった

「働くヤツは儲からず、儲けるヤツは働かない」。

ナニワ金融道」で有名な故青木雄二氏の本で見かけた言葉です。
なんだか不条理な感じもしますが、
今の世の中を見事に表現した言葉ではないでしょうか。

青木雄二氏といえば、歯に衣着せぬ語り口調で、
「お金の恐ろしさ」をこれでもかというぐらい世に知らしめてくれた人。
私もその面白さにハマリ、彼の本を読み漁った時期もありました。

私は青森のとある田舎町で育ちました。
山と海以外は何もない町で、主な産業は農業と漁業です。
私の実家はそのどちらでもありませんが、
隣近所は、やはり農家や漁業を営んでいる家庭が多かったです。

友達の家に遊びに行くと、
時期のよっては、お父さんのいない家庭も少なくありませんでした。
そう、「出かせぎ」というやつです。
それだけ、農業だけで生活することが困難だったということでしょう。
状況は今もまったく変わっていないようです。

そういった状況をみて、
子供心に、とても疑問に思っていたことがあります。
その疑問は今もまったく変わっておりません。
その疑問とは、

「人間が生きていくために最も必要なもの、
つまり『お米』や『野菜』を一生懸命つくっている人たちが、
なぜ、これだけ苦しい生活を強いられるのか」

ということです。

私の親戚にも農業を営んでいる人がいます。
私も子供の頃に、手伝いにかり出されたこともありますが、大変な力仕事です。
近ごろは、ほとんど機械化されているようですが、
その機械を買うために、何百万と言う借金を背負わされると聞きます。
その借金を返すために、お父さんが「出かせぎ」に行かなければならない現実。
なんだか、変だと思いませんか?

こういった第一次産業に携わる方々が、もっと優遇される社会をつくらない限り、
地方の弱体化は進む一方でしょうし、
過疎化問題は永久に解決できないのではないかと思うのですが・・・。

一方、テレビをつけると、パソコンの前に座って、
いわゆる「お金転がし」をしているだけで、1日何百万儲けたという話を聞きます。
人によっては、それで数億円を手に入れ、
「成功者」としてもてはやされている方もいます。
確かにそれはそれで、「勉強の成果」なのかも知れませんが、
私としては、少し腑に落ちない部分があるというのが、正直なところです。

一応、「教育の世界」に身を置く者としては、子供たちには、
「お金は、一生懸命働くことで手に入れるのが、人間として正しい道である」
ということを伝えていきたいのですが、
現実をみると・・・・・、
本当に「教育」が難しい時代になったような気がします。

それとも、私のこの考え自体が、今はもう古いんでしょうかね?
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# by sawayoshi45 | 2006-02-11 00:30 | 教育のこと | Comments(4)


【札幌の家庭教師 学びの森】   サワダと申します。


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