カテゴリ:人生のこと( 86 )

追風よりも逆風

スキージャンプで、
より遠くに飛ぶために必要なのは、
追風ではなく向かい風、つまり逆風です。

素人目には一見、
追風のほうが有利のような気がしますが、
実際は全くの逆で、ジャンパーにとって、
追風は致命的な条件だそうです。

何だか人生そのものを表しているようですね。

何不自由なく育てられた子と、
多少厳しい環境の中で育てられた子では、
どちらが精神的に強くなるかを考えると、
みなさんも納得できるのではないでしょうか。

「かわいい子には旅をさせよ」
という諺があります。

まだ飛行機も車もなかった時代、
旅をするというのは、
とても苦労を伴ういのちがけの行為でした。

だからこそ、かわいい子には旅をさせて、
あえて苦労をさせなさい。

つまり「逆風」を与えなさいという意味ですが、
最近ではその捉え方が変わってきたそうです。

かわいい子には旅をさせて、
見聞を広め、体験をたくさん積ませなさい。

つまり「追風」を与えなさいという逆の意味に、
捉えている人が多くなってきているそうです。

まあ、今の時代であれば、
それはそれで一理あるような気もしますが、
やはり大人が準備してあげる「追風」と、
自分で苦労しながら経験する「逆風」では、
「逆風」のほうが人を育てると私は信じたいです。

そう言えば、フィギアスケートの羽生結弦選手も、
大ケガという「逆風」を乗り越えての金メダル。

レベルが違い過ぎて、
例に出すのもおこがましい話ですが、
やはり人より一歩抜きんでるためには、
「逆風」を乗り越える力が不可欠ということですね。

教え子たちに「適度な逆風」を与えられる、
そんな存在でありたいなと思います。






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by sawayoshi45 | 2018-02-19 23:43 | 人生のこと | Comments(0)

偏差値よりも、やりたいこと

小5から中3まで約5年間に渡って、
指導させてもらった生徒がいました。

とても優秀な子で、
偏差値的には札幌でも有数の進学校に、
手が届くほどの実力の持ち主でした。

私も当然そのつもりで指導してきましたが、
中3の秋、彼女は突然、
地方の工芸高校への進学を決めました。

ちょっと驚きはしましたが、
彼女がもともと絵を描くことや、
モノを作るのが好きなことは知っていたので、
まあ、それもありかなと思いました。

偏差値だけで高校を選ぶのではなく、
本当に自分のやりたいことを優先した、
彼女の決断はとても立派だなと思いました。

さらに立派なことに、
ほぼ100%受かる状態であっても、
彼女は勉強の手を抜くことは一切なく、
最後まで受験勉強を頑張ってくれました。

その甲斐あって、高校はトップ合格。
入学式では新入生代表に選ばれたと、
メールで報告してくれました。

今は漆職人を目指して頑張っているそうです。

私たちはどうしても、
偏差値をもとに進路を決めてしまいがちですが、
人生は偏差値だけでなくいろんな道があるということ、
彼女は教えてくれました。

彼女の決断ももちろん素晴らしいですが、
学校側からも反対される中で、
我が子の決断を信じた親御さんに、
私は拍手を送りたい気持ちです。

彼女がこれからどんな人生を歩むか、
それはわかりませんが、
きっと立派な職人になってくれるだろうと、
私は信じています。

やりたいことがあるって素晴らしいですね。

偏差値だけで高校や大学を選んできた自分が、
何だかとても恥ずかしく思います(苦笑)。





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by sawayoshi45 | 2018-01-24 00:06 | 人生のこと | Comments(0)

神のおもんばかり

数学大嫌いのある教え子は、

明日学校で数学の授業がないというだけで、

めっちゃ幸せを感じるそうです。


その子に数学をメインに教えている身としては、

何とも複雑な思いを抱かざるを得ませんが、

そこまではっきり言われると、

逆に清々しささえ感じます(笑)。


少なくとも、数学の成績が上がらないと、

いつまでも思い悩んでいるよりは、

ある意味、精神的に健全かもしれませんね。


さらに言うと、そんなに数学が嫌いにも関わらず、

私との授業は毎回休まず受けてくれることに、

感謝の気持ちすら覚えます。


人間関係っておもしろいものですね。


話は変わりますが、先日ある本を読んでいたら、

素敵な詩に出合いました。


タイトルは「神の慮り(おもんばかり)」。

ニューヨーク州立病院の病室の壁に、

書き残された詩だそうです。


大きなことを成し遂げるために、

力を与えてほしいと、神に求めたのに、

謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった


より偉大なことができるようにと、

健康を求めたのに、

よりよきことができるようにと、

病弱を与えられた


幸せになろうとして、富を求めたのに、

賢明であるようにと、貧困を授かった


世の人々の称賛を得ようとして、

成功を求めたのに、

得意にならないようにと、

失敗を授かった


人生を享受しようと

あらゆるものを求めたのに、

あらゆることを喜べるようにと、

いのちを授かった


求めたものは1つとして与えられなかったが、

願いはすべて聞き届けられた


神の意に添わぬ者であるにもかかわらず、

心の中で言い表せないものは、

すべて叶えられた


私はあらゆる人の中で、

最も豊かに祝福されたのだ



その子が数学嫌いで、

数学の授業がないだけで幸せを感じられること。


数学嫌いのその子に出会えて、

感謝すら覚えられるようになったこと。


そして私たちの思いや願いが、

簡単には叶えられないこと。


すべては「神のおもんばかり」なのかもしれませんね。







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by sawayoshi45 | 2017-12-17 23:40 | 人生のこと | Comments(0)

志望校は自分で決める

受験生はそろそろ、

志望校を絞らなければならない時期になりましたね。


多少無理をしてでも、偏差値の高い学校を受けるべきか、

あまり無理をせずに身の丈に合った学校を受けるべきか、

受験生とその親御さんにとっては悩みどころだと思います。


私は前者のタイプでしたので、

案の定、高校生活はほぼビリからのスタート。

大変な目に遭いました(笑)。


ただ私の場合は幸い負けん気が強い性格だったので、

そこから何とか這い上がることが出来ましたが、

同級生の中には低空飛行の3年間を送り、

すっかりやる気と自信を失った人がいたのも事実です。


一方、後者のタイプの友人の中には、

高校で思いのほか上位の成績をキープ出来たことで、

楽しく充実した3年間を過ごせたという人もいます。


偏差値的には全く違う高校を出ているのに、

結局行く大学が同じだったということは、

大学受験では決して珍しいことではありません。


そう考えてみると、

どちらが正しい選択かというのは、

一概には言えませんね。


私も今となっては、

良い経験をさせてもらったとは思いますが、

あの時の選択が本当に正しかったかどうかは、

いまだにわかりません。


ただひとつ言えることは、

どちらを選択するにしても、

志望校は自分で決めるべきだということです。


「親に言われたから」

「学校の先生に言われたから」


そういった理由で決めるのではなく、

あくまで自分の責任のもとで、

自分で決めることが大切です。


受験は必ずしも、

合格が善で不合格が悪というわけではありません。


合格不合格に関係なく、

人生にとって大切な決断を自分でして、

その結果をしっかり受け入れる経験を持つことにこそ、

大きな意味があるのではないかと思います。







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by sawayoshi45 | 2017-12-03 00:12 | 人生のこと | Comments(0)

結果は最後までわからない

タイムリーで見ていたわけではありませんが、

先日の仙台育英ー大阪桐蔭の試合は劇的な幕切れだったようですね。

まさに「勝負は最後までわからない」という良い例だと思います。


勝った側にとっては「ラッキー!」といった感じですが、

負けた側の気持ちを思うと、何とも言えない気持ちになりますね。


自分の失敗をこの試合にたとえるのはおこがましい話ですが、

実は私も大学受験において、似たような失敗をしています。


順調に成績を上げて、直前の模試で第一志望の大学にA判定がつきました。

判定が悪かったときは、上げなければと必死に頑張っていましたが、

A判定をもらってしまったことで、逆に心にスキが生まれました。


自分の心の中に「まあ、大丈夫だろう」という思いが生まれたことで、

その後の勉強が、少し雑になってしまいました。


結果、第一志望の大学は不合格。

模試の結果が良かったばかりに、受かると勘違いしてしまった私の敗北です。

当時はとてもショックで、しばらくの間は立ち直れませんでしたが、

今となっては、私にとってとても貴重な経験だったと思っています。


もしあのまま順調に合格していたら、

勉強で苦しむ生徒の気持ちがわからない人間になっていたかもしれません。


A判定でも落ちた私がいるということは、

私より悪い判定でも受かった人がいるということです。


「多分大丈夫だろう」と思って油断していた私と、

「絶対受かりたい!」と思って最後まで必死に頑張り抜いた人。

その差が結果に表れたのだと思います。


教え子の中にも、模試の結果に一喜一憂している子がいます。

その子たちには、私のこの経験を話すようにしています。


模試はあくまで模試。本番とは違います。

目安にはなりますが、合格不合格を決定づけるものではありません。


模試の結果に、必要以上に心を惑わされることなく、

やるべきことを最後までやり抜くことが大切ですね。

といっても、これがなかなか難しいんですけどね。


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by sawayoshi45 | 2017-08-20 23:45 | 人生のこと | Comments(0)

仙人?

競争の是非は私にはわかりませんが、
私自身、競争は決して嫌いではありません。

それは競争を通じて、自分を高めることができるから。

15年以上も前になりますが、
友人との禁煙競争をきっかけに、
タバコともおさらばすることが出来ました。

これも競争を通じて自分を高めた一例です。(笑)

傍から見て、どんなくだらない競争であったとしても、
当の本人たちは、勝てば嬉しいし負ければ悔しいもの。

そんな人間としての正直な感情を持つことも、
競争社会を生きていくうえでは、
とても大切なことではないかと私は思っています。

そんな私からすると、
負けてもさほど悔しそうでない子どもたちは、
まるで「仙人」のように見えます。

人間としては、競争という俗世間に縛られている私なんかより、
もしかしたら彼らのほうがずっと立派なのかもしれません。

ただ、私の仕事は彼らの成績を上げること。

少しは悔しがって行動に移してもらわないことには、
引っ張っていきようがないというのも正直なところです。

負けても悔しがらない子どもたち。
悔しくても行動に移せない子どもたち。

彼らが将来、競争社会をどう戦っていくのか、
余計なお世話かもしれませんが、ちょっと心配な気がします。

まあ、彼らが大人になる頃には、
競争のない「理想郷」が出来ているというなら話は別なんですが・・・


反論される方もいらっしゃると思いますが、
私は、勉強は競争だと思っています。

「人より良い点数が取りたい」
「あの子には絶対負けたくない」

勉強本来の目的とは違うかも知れませんが、
現実では、そういった競争心の差が、
成績の差に表れてくるのではないかと思います。

10代のうちに競争心を超越した「仙人」になってしまうのは、
何だか早過ぎる気がするんですが・・・
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by sawayoshi45 | 2010-08-27 13:52 | 人生のこと | Comments(0)

自分のおかげ、他人のせい

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明日から夏期講習のため、
更新が滞りがちになるかも知れませんが、
どうかみなさま、
見捨てないでくださいませ。



何か物事がうまくいったときは、「自分のおかげ」、
そしてうまくいかなかったときは、「他人のせい」。

私も含めて、人間、どうしてもそう思いたくなる瞬間ってありますよね。

教え子の成績が上がったのは、「自分のおかげ」。
教え子の成績が伸びないのは、「生徒のせい」。

世の中には、そう思いたがる先生が多いのも事実のようです。
と、偉そうなことを書いておりますが、
実は私の中にも、そういった気持ちがあることは否定できません。

教え子の成績が大きく伸びると、
ついブログに書いて、自慢したい衝動に駆られます。

自分では、なるべく抑えているつもりではありますが、
読む人にとっては、ただの自慢話にしか聞こえませんよね。

気をつけなければとは思っているのですが、これがなかなか・・・、
人間としては、まだまだ未熟のようです。(苦笑)

楽天の野村監督の言葉に、
「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」
というのがありました。

偶然勝つことはあっても、偶然負けることはない。
負けには必ずその原因がある。

まあ、そういった意味の言葉だと思いますが、
勉強の指導においても、まったく同じことが言えると思います。

「成績が上がった」とか「合格した」という結果は、
必ずしも「指導者のおかげ」とは限りません。

もしかしたらその生徒は、
自分が教えていなくても、上がっていたかも知れません。

あるいは、その子がやる気になったタイミングと、
自分が受け持ったタイミングが、たまたま一致しただけも知れません。

それをいかにも「自分が上げてやった」とばかりにアピールするのは、
考えてみれば、とても恥ずかしい行為です。
(この業界では、それが当たり前にまかり通っているようですが・・・)

一方、生徒が頑張っているのに成績が上がらない。

教える側は、そういった現実をどうしても隠そうとしますが、
もし教え子の中に、ひとりでもそういった子がいたとしたら、
それは100%「自分のせい」と受け止めなければいけないと思います。

「自分のおかげ」「他人のせい」ではなく、
「他人のおかげ」「自分のせい」と心底思えるようになることが、
本当の意味での「大人になる」ということかも知れませんね。

年齢的には、とっくに「大人」になっているはずですが、
精神的には、まだまだ「本当の大人」にほど遠い私です。(苦笑)
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by sawayoshi45 | 2008-07-23 01:40 | 人生のこと | Comments(0)

サボりたくなったときは・・・

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朝からヘリコプターの音やら、
パトカーのサイレンやら・・・。
サミットって忙しいですね。
う~ん、それにしても暑い。



妻が先日読んでいた本に、面白い話が載っていましたので、
ぜひ、みなさんにも紹介したいと思います。
これは、引退しようとしているある大工さんの話です。

その大工は、もうそろそろ家を建てる仕事をやめて、
妻と一緒にのんびり暮らそうと思った。

雇い主は、個人的な願いとして「もう一軒だけ建ててくれないか」と頼んだ。

大工は承諾したが、真剣に仕事をする気はなかった。
粗悪な材料を使い、手を抜いた。
キャリアを積んだ優秀な職人の幕引きにしては、残念な仕事だった。

家は完成した。
点検にやってきた雇い主は、玄関のカギを大工に渡していった。

「この家はあなたの家です。私からのプレゼントです」

大工は大ショックを受けた。
ひどく恥ずかしかった。
自分の家を建てているとわかっていたら・・・たぶんもっと頑張っただろう。 

この大工さんを自分に置き換えて考えてみると、とても耳の痛い話です。
もしかしたら私もこの大工さんと同じようなこと、
今まで何度もやってきたかも知れません。(反省)

私たちは、「人生」という「家」を毎日建てています。
今日の生活、今日の頑張りがすべてその「家(人生)」の材料になります。

私たちは、その「家(人生)」に一生住み続けなければいけません。
粗悪な材料で作れば、粗悪な「家(人生)」しか建てられません。

そう考えれば、
「今日一日をしっかり生きること」
「今日一日をしっかり頑張ること」が、
どれだけ大切なことか、身に沁みます。

「今日一日くらいサボっても・・・」

つい、そんな誘惑に負けそうになる時って、誰でもありますよね。
(もちろん私も、毎日がその誘惑との闘いです・・・苦笑)

そんな時はぜひ、この話を思い出してみてはいかがでしょうか。
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by sawayoshi45 | 2008-07-06 01:09 | 人生のこと | Comments(0)

「もったいない」の基準

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私には全く関係ありませんが、
YOSAKOIソーラン祭りが始まりました。
札幌にも「夏が来た!」って感じですね。




「例えばテスト範囲が100問あって、
そのうちの1問しかテストに出ないとしたら、どうする?」

こういった質問を何人かの生徒にしてみたことがあります。

A君は、
「どうせやっても意味ないから捨てる」と即答しました。

B君からは、
「とりあえず10問ぐらい山を張って、それが出るのを祈る」
という答えが返ってきました。

そして、C君は、
「そこから出るのがわかっているなら、頑張って全部覚える」
と、当然のように答えてきました。

C君が普段、学校でも好成績を収めていることは、言うまでもありません。

A君、B君、C君の答え方を比較してみると、
「もったいない」の基準がまったく違うことがよくわかります。

A君・B君は、
「勉強したのに出ない」ことを「もったいない」と考えています。
そのため、なるべく労力を省こうという行動に出ます。

一方、C君の場合は、
「出るのがわかっているのにやらない」ことを「もったいない」と考えています。
そのため、たった1問のためにでも全力を注ぐことが出来ます。

残りの99問は、たとえ今回のテストには出なかったとしても、
確実に自分の知識となり、いつか役に立つ時がやってきます。

そのことをよくわかっているからこそ、
C君は、一見無駄に見えるものであっても、
「頑張って全部覚えよう!」という覚悟が出来るのだと思います。

そして、これは勉強に限ったことではなく、
その人の生き方や人間性にも関わってくる大きな問題だと思います。

効率や見返りばかりを計算して、結局、何も残らない生き方と、
多少の犠牲を覚悟のうえで、ひとつのことに全力を注げる生き方。

どちらが「もったいない」生き方なのか、
考えるまでもないような気がするのですが、
それを子供たちに伝えていくとなると・・・、
なかなか難しいものですね。
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by sawayoshi45 | 2008-06-05 00:01 | 人生のこと | Comments(0)

forget

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「最近の日記、愚痴っぽいね」
妻に指摘されてしまいました。
う~ん、言われてみれば確かにそうかも。
ちょっと反省です。
でも私から愚痴を取ったら・・・、
書くことなくなっちゃいますが・・・(苦笑)




ある生徒との英語の勉強中に「forget」という単語が出てきました。
で、この単語が出てくると、生徒とよくこんな話をします。

まず「forget」という単語を「for」と「get」に分けます。
「for」は単独で「~のために」といったイメージの前置詞。
「get」は単独で「~を得る、手に入れる」といったイメージの動詞。

英文法で前置詞の後に動詞の原形が来ることは、本来あり得ないのですが、
まあ、そんな細かいことは気にせずに強引につなげてみると、
「~を得るために」といったイメージになります。

でも実際の「forget」は、
「~を得るために」といった意味ではなく、「忘れる」といった意味。

「~を得る」と「忘れる」。

一見、全く正反対に見える言葉ですが、さらに強引につなげて考えてみると、
「何かを得るためには、何かを忘れ(捨て)なければならない」
といった意味にも捉えることが出来ますよね。

まあ、これだけでも私のことをよくわかっている生徒たちは、
私が何を言いたがっているのか、だいたい察しがついているようなのですが、
教え好き(説教好き?)の私はさらに脱線。

「じゃあ、幸せを得るためには何を捨てたらいいと思う?」

人間誰しも「幸せになりたい」という思いはあるはず。
でも「これが幸せだ」という目に見えるカタチがあるわけでもないし、
実際に幸せを感じながら生きている人は少ないようです。

「幸せを得るために、捨てなければならないもの」
みなさんは何だと思いますか?

私の答えは「欲」です。

「あれも欲しい、これも欲しい」
「もっと遊べるお金が欲しい」

そういった欲を捨てさえすれば、人間は誰でも幸せを得ることが出来ます。

毎日美味しいご飯が食べられること。
毎日暖かい布団で寝られること。
毎日学校に行かせてもらえること。

「もっともっと」という欲を捨てて、今の生活に感謝できるようになれば、
誰でも簡単に幸せを手に入れることが出来るんじゃないのかな?

まあ、そんな話でついつい時間を無駄遣いしてしまう私です。(笑)

でも、これは子供たちだけの問題ではありませんよね。

「将来こういう人間になって欲しい」
「もっと勉強して成績を上げて欲しい」
「もっと稼げる職について欲しい」

そういった親としての思いは本当によくわかります。

でも、その思いが強くなり過ぎると、
もっと大事なことが見えなくなってしまう可能性もありますよね。

親としての「欲」をちょっとだけ捨ててみることで得られるものも、
決して少なくはないと思いますが・・・。
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by sawayoshi45 | 2008-05-18 01:21 | 人生のこと | Comments(0)


【札幌の家庭教師 学びの森】   サワダと申します。


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