カテゴリ:人生のこと( 90 )

明らめる

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札幌では「よさこいソーラン祭」が始まりました。
でも、まだ肌寒い日が続いています。
いまいち「お祭」っていう気分には・・・。



登山家のプロと素人の違い
頂上を目前にして、「これはダメだ!」となったときに、
あきらめて引き返せるのがプロ。
あきらめきれずに、無理にでも登ろうとするのが素人。

日航機墜落事故をめぐる新聞記者たちの心の葛藤を描いたドラマ、
クライマーズ・ハイ」(横山秀夫原作、佐藤浩市主演)のDVDを借りて観ました。
以前NHKで放送されたものだそうで、ご存知の方もいるかもしれません。

詳しい内容はここでは書きませんが、
このドラマを観て、一番印象に残った言葉が、上で紹介したフレーズです。

私たちはよく、
「せっかくここまでやってきたんだから・・・」という言葉を使いがちです。
「せっかくここまでやってきたんだから、ある程度の学校に合格してもらわないと・・・」
「せっかくここまでやってきたんだから、何とか成功させないと・・・」

ある目的のために、今まで一生懸命頑張ってきた。
だから、ここであきらめるのはもったいない。
最後まで頑張って、目的を果たさなければ意味がない、といった感じでしょうか。

「最後まで絶対にあきらめるな!」。
非常に聞こえのいい言葉ですが、これも程度の問題。
この言葉に縛られて、精神的に苦しめられ、追い詰められている人も、
実際多いのではないかと思います。

ところで、この「あきらめる」。
私たちの日常では「諦める」と書きますが、仏教の世界では「明らめる」と書くそうです。
文字通り、自分に出来ることと出来ないことを「明らかにする」ということですね。

自分の領分を明らかにして、分をわきまえた生活をすることが大切。
私はそのようにとらえています。

「成功のためなら何だってやる!」。
こういう生き方に憧れる方もいらっしゃるようですが、
このような考えに縛られることで、逆に身を滅ぼしてしまうのであれば、
それこそ意味がありませんよね。

自分の身を守るためにも、ときには「明らめる勇気」も必要なのかな。
この言葉を聞いてふとそう思ってみました。
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by sawayoshi45 | 2006-06-07 23:59 | 人生のこと | Comments(4)

続・わかるの早過ぎない?

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広島の黒田投手がFA権取得。
個人的には、広島のエースとして、
広島に残って欲しい選手ですが・・・。
巨人にだけは行かないで~。



昨日の記事では、「わかるのが早過ぎる」子供たちについて書きました。
でもよく考えてみれば、これは子供ばかりの問題でもないような気がします。

子供社会は大人社会の縮図と言われるように、
世の中「わかるのが早過ぎる」大人たちもたくさんいらっしゃるようです。
子供よりも、むしろこちらのほうが問題かもしれませんね。

「あ~!ハイハイ。わかったわかった!」と簡単に言う人がいますが、
何だか信頼できない感じがしますよね。
こういった人ほど、平気で約束を破ったり、結局は何もしていなかったり、
という人が多いような気がします。

昨日の「わかるのが早過ぎる」子供と同様、あまり考えていないということですよね。

たまたま自分の指導法で、何人かの生徒の成績が上がった。
これで「教育がわかった!」と思い込み、
「教育とは・・・」と「教育論」を語り始める先生。
(私のこと?)

たまたま自分の子供が、世間でいう「いい学校」に入って、「エリートコース」に乗っかった。
これで「子育てがわかった!」と思い込み、
「子育てとは・・・」と「子育て論」を語り始める親。

たまたま自分が手がけた事業が成功して、お金も地位も手に入れた。
これで「仕事がわかった!」あるいは「人生がわかった!」と思い込み、
「成功とは・・・」「人生とは・・・」と「成功論」「人生論」を語り始める人。

数え上げればキリがありませんよね。

でも、勉強も教育も子育ても仕事も人生も、そんなに簡単に「わかる」ものでしょうか?

私が今、子供たちに教えている勉強も、勉強のなかのほんの一部にすぎません。
もちろん私の知らない勉強も世の中にはたくさんあります。

それに私が今まで関わってきた子供たちも、ほんの一握りの子供たちです。
そういった少ない例でもって、「わかったつもり」になるのは、とても危険なことだと思います。
自分がうまくいったからといって、他人の子育てに口出しをしたり、
自分の考えを相手に押し付けようとするのは、なおさら危険です。

勉強したり、本を読んだり、ある程度の経験を通して、
知識を得ることは大事なことだと思います。

でも、それで得た知識が「すべて」だと思って、
「わかったつもり」にならないよう、気をつけたいところです。
私たちが持っている知識は、
「ほんの一例に過ぎない」ということを自覚することが大切だと思います。

まあ、そういった意味では、人間「一生勉強」といったところでしょうか。

でも、いつも妻に「全然人の話聞いてないよね!」と言われている私が言うのも、
あまり説得力ないかも・・・。
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by sawayoshi45 | 2006-05-29 23:58 | 人生のこと | Comments(8)

小さい悪に目をつぶる

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JRタワーの展望台から見た、
札幌の夜景です。
義母の還暦のお祝いに、
妻が連れて行ってきたそうな。
(ホントは自分が行きたかっただけ)
とてもきれいだったそうなので、
今度は私も行ってみようっと!




まずは、今朝の新聞「ひろさちやのほどほど人生論」からちょっと引用。
昔の商家においては、閉店後はレジスターを閉めずに開けておいて、
少しのお金を入れておきました。
翌日の釣り銭の用意をしておくのです。
なぜ閉めずにおくかと言えば、
万一、泥棒が侵入したときに、泥棒に持って行ってもらうためです。

それじゃあ、「盗人に追い銭」ではないかと言われそうですが、
レジスターが閉まっていると、泥棒はそれを壊して金を奪います。
そうすると、その修理代が大変です。

また、レジスターや金庫が頑丈にできていて壊すことができない場合、
泥棒が強盗にかわる可能性があります。
そうであれば、泥棒に少しばかりの金を持って行ってもらったほうがよい。
それが昔の人の生活の知恵でした。

わたしは、この考え方の背後にあるものは、「ゆとり」だと思います。
泥棒は悪い。
それはそうですが、その悪を徹底的に憎まず、
ほんの少しだけ赦してあげる気持ちのゆとりがそこにあったのです。

(中略)

犯罪をゼロにしたい。
その気持ちはよくわかります。
でも、犯罪はゼロにはなりません。

とすると、あまりにもひどい凶悪犯罪をなくすべきで、
そのためには小さな悪にはちょっと目をつぶってあげたほうがよさそうです。
泥棒が強盗に変じないように、泥棒に小銭を持ち帰ってもらう、
そんな「ゆとり」がほしいですね。


「人に迷惑をかけたらダメ!」
「ウソをつくのはダメ!」
「人には親切にしなさい!」
これらの教えは、たしかに100%「正しい」かもしれません。

でも、私の経験上、
「今まで誰にも迷惑をかけたことがない」と言う人ほど、はた迷惑な人が多い。
「今までウソをついたことがない」と言う人ほど、タチの悪い「ウソつき」が多い。
「親切ぶる」人ほど、「親切」と「余計なお世話」の区別がついていない人が多い。
そんな気がします。

こういった人が多くなったのも、
もしかしたら、「小さな悪」を排除しようとしてきた結果なのかもしれませんね。

「正しい」ことを教えることは大事なことだと思います。
でも、「悪いこと」につい興味を持ってしまうのも人間です。
思春期の子供であれば、なおさらのことですね。

だからこそ、取り返しのつかない「大きな悪」に発展しないよう、
「小さな悪」を赦す心の「ゆとり」が必要なのかもしれません。

「迷惑をかけない人間」よりも、「人に迷惑をかけながら生きている」ことを自覚している人間。
「ウソをつかない人間」よりも、「ウソをついたこと」を反省できる人間。
「親切ぶる人間」よりも、「自分の行いが、本当に親切なのかどうか」と葛藤できる人間。

私だったら、そういった人間でありたいと思うし、
子供たちにもそういった人間になって欲しいと思っています。

「ゆとり教育」という言葉が出てきて久しいですが、
「ゆとり」が必要なのは、子供よりもむしろ、私たち大人のほうかもしれませんね。
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by sawayoshi45 | 2006-05-25 23:59 | 人生のこと | Comments(2)

親切の押し売り

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ライラック第二弾!
でもまだ五分咲きって感じ?




勝手に物を贈っておいて、相手から何も反応がないと、
「せっかくしてあげたのに、感謝のひと言もない!」と文句を言う人がいます。
「文句を言うぐらいなら、最初から贈らなきゃいいのに」と思います。

「子供のため」という名目で、勝手に塾や習い事に通わせ、
成果が出ないと「せっかく通わせてあげてるのに・・・」と文句を言う親がいます。
これもやっぱり、
「文句を言うぐらいなら、最初から通わせなきゃいいのに」と思ってしまいます。

どちらも「親切の押し売り」ってやつですね。

親切とは、それをした本人がいい気分になる。
それが十分な「見返り」であって、それ以上の「見返り」を要求した時点で、
それは「親切」ではなく、「余計なお世話」になってしまいます。

でも、これに似たようなこと、私たちも知らず知らずのうちにしていることってありますよね。

親が子供に「せっかく育ててあげたのに・・・」
教師が生徒に「せっかく教えてあげたのに・・・」

親が子供を「育てる」のも、教師が生徒に「教える」のも、「当たり前」のことなのに、
それを恩着せがましく、「見返り」まで求めるというのは筋違いというものです。

「してもらったこと」はいつまでも覚えていても、
「してあげたこと」はすぐに忘れたほうがいい。
でも、これが逆になっている人、多いのではないでしょうか?

もし相手から感謝の言葉を言われたときは、
「あれ? そんなこともあったっけ?」というぐらいでちょうどいいのではないかと思います。

「親切」とは相手に感謝されるためにすることではありません。
それをすると、自分がいい気分になる。
だから、するだけのこと。

もちろん、された側が「ありがとう」のひと言くらい言ったほうがいいのは確かですが、
してあげた側が、それを要求するのは間違いだと思います。

と、ここまでエラそうに語っている私も、
塾に雇われていた頃は、「教えてあげている」という意識の強い人間でした。

ひとりで活動するようになってはじめて、
自分は「教えてあげている人間」ではなく、
「授業をさせて頂いている人間」であることに気付きました。

何だかんだ言っても、結局生徒や親御さんがいなければ私は食べていけない人間。
媚を売るわけではありませんが、
今さらながら、感謝の気持ちだけは忘れないように気をつけたいなと思います。
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by sawayoshi45 | 2006-05-20 23:59 | 人生のこと | Comments(2)

360度の視点

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「DVD動かないよ」と義母が朝から大騒ぎ。
「え? 壊れちゃった?」と妻もいっしょに大騒ぎ。
でもよく見ると、「オモテ」と「ウラ」が逆に・・・。
こういうのを「天然親子」って言うのかな?



人と接する仕事をしている以上、
360度の視点で物事を見られる人間になりたい、そう思います。

人間は自分の経験を基にして、話をしたがります。
これは私も同じです。
でも、人ひとりの経験なんて高が知れていますよね。
360度のうちのほんの10度か20度がせいぜいかも知れません。

だから、私たちは本を読んだり映画を観たり、または他人と接することを通して、
少しでもその視点を広げようとします。
勉強もそのひとつですね。

視野が狭い人は、自分の思いしかありません。
人の話には耳を傾けず、自分の思いを主張することに一生懸命です。
相手の立場を考える心の余裕がなく、自分のことを「もっとわかって欲しい」と訴えます。
これを「自分病」とも言うそうです。

「正論100%」という人がいます。
言うことなすこと、すべてが「正しい」。
「正しい」から、反論の余地もありません。
でも周囲にいる人は「正し過ぎる」が故に、逆に疲れてしまうことってありますよね。

「水清ければ、魚住まず」という言葉もあるように、
「正し過ぎる」人には、周囲の人は近寄りがたさを感じます。
でも、「正論100%」の人には、このことがよくわかりません。

「自分は正しいはずなのに、どうして周りはわかってくれないんだ」と孤立し始めます。
「オモテ180度」の勉強は完璧なのに、
「ウラ180度」の勉強をしてこなかった人といったところでしょうか。

人間は、やはりどこか抜けたところというか、
良い意味で「隙のある人」のほうが、周りの人も安心して付き合えるということですよね。

自分を理解して欲しければ、まずは相手を理解しようとすること。
相手を理解するということは、相手を「ゆるす」こと。
同時に、自分の「弱さ」「醜さ」を認めることではないかと私は思っています。

物事には必ず「オモテの面」と「ウラの面」があります。
(DVDにも「オモテ」と「ウラ」があります!)。
「360度の視点」とまではいかなくとも、
せめて「オモテ」と「ウラ」の2つの視点から、物事を見られる人間になりたいなと思います。

「最近の若者は定職にも就かず・・・」と言って、
ニートやフリーターを非難する人がいます。

でも最近の若者が、みんな真面目にバリバリ働き出したら、
その人はリストラの対象にされるかも知れません。
定職を失って、家のローンを抱えたまま、路頭に迷うことになるかも知れません。
それでも、「最近の若者は・・・」と言っていられるでしょうか?

「自分だけは大丈夫!」という物の見方は、視野が狭すぎると思います。

夢のため、野望のため、成功するため・・・、
自分の思ったとおりに突き進むのもいいですが、
あらゆる可能性を考えて行動しないと、
後で取り返しのつかないことになるかも知れません。

だから私たちは、視野を広げるために勉強しなければならないのだと思います。

学校の勉強だけが勉強ではありません。
学校の勉強はあくまで「オモテ」の勉強。
人生においては、「ウラ」の勉強もしておく必要もあるかと思います。

「善悪の判断」は、「善」と「悪」の両方を知らなければ出来ない。
最近の私の口癖でございます。
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by sawayoshi45 | 2006-05-17 23:59 | 人生のこと | Comments(2)

ススキノ徒歩5分

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交流戦第2戦。
これまた延長戦の末、今度は中日の勝ち。
昨年から、私が応援に行った日は負けて、
行かなかった日は、勝っているような・・・。
う~ん、ちょっと複雑な気分・・・。




私は今、「ススキノ徒歩5分」の場所に住んでいます。
「ススキノ」といえば、みなさんご存知のように札幌一の「歓楽街」。
近所を歩いていても、スーパーで買い物をしていても、とにかくいろんな人を見かけます。

ちょっとガラの悪そうなお兄さん。
こわもてのおじさん。
かなり派手めなお姉さん(おばさん?)。
「もしかしてニューハーフ?」と思われるお姉さん(お兄さん?)・・・などなど。

人によっては、いかにも「住み心地の悪い場所」と思われる方もいるかと思いますが、
実は私、こういった場所は決して嫌いではありません。

こういった方たちと直接接点があるわけではありませんが、
「人間観察」が好きな私にとっては、
こういった人たちの言動から刺激を受けることも多く、
むしろ、とても「住み心地の良い楽しい場所」だと思っています。

お恥ずかしい話ですが、私は学生の頃、
友人に誘われてパチンコにハマッたことがあります。
ただ、一応「お恥ずかしい」とは書きましたが、決して後悔しているわけではありません。

それまでの私はどこか「優等生」ぶった「世間知らず」の人間だったからです。
進学校と呼ばれる高校に通わせてもらい、大学も一応、国立大学。
俗に言う、「世間知らずのお坊っちゃん」だったと思います。

学生時代、レンタルビデオ屋さんでアルバイトをし、
そのアルバイト代をパチンコに費やしていた時期がありました。
今思えば、とんでもない「バカ学生」だったわけですが、
まあ、過去を変えることは出来ませんから、これもしかたありません。

でもそのお蔭で、自分が今まで知り合うことがなかった人との接点が生まれました。
もちろん、子供をほったらかしにしてパチンコにハマるような主婦などは論外ですが、
こういった、世間的にどこか「引け目」を持った人たちとの付き合いは、
これはこれで私の大きな「財産」だと思っています。

自分にも多少「引け目」があるからこそ、他人にも寛大になれる。
そんな人が多かったような気がします。

北海道はまだそうでもありませんが、首都圏の学校は「私立ブーム」です。
世間では「格差社会」が問題になっていますが、
「私立」と「公立」の「学力格差」もますます広がっていく感があります。

私立中学を否定したいわけではありませんが、
似たような立場、似たような考えを持つ者ばかりが集まった環境の中で、
中学、高校、ときには大学まで過ごすということに、私は少し疑問を抱いています。

「一流の人(何をもって一流というのかはよくわかりませんが・・・)と付き合うことが大事」
という人もいらっしゃるようですが、
私はむしろ、いろんな人の存在を知ることこそ、大切なことではないかと思っています。

教育に携わる人間であれば、なおさらのことですよね。

「教育者」だからこそ、
いろんな人間がいて、いろんな生活があることを知らなければいけない。
私はそう思っています。

「庶民生活」を知らない政治家が、
本当に国民のために働けるかどうか、というのと同じことですよね。

ところで政治家といえば、選挙が近くなると、
電車や自転車に乗って、「庶民性」をアピールしている候補者をたまに見かけますが、
あれはあれで、何だか胡散臭い感じ、しません?

しかも、1人ならならまだしも、カメラマンやマスコミを引き連れて車両の一部を占領。
「あれじゃあ、他のお客さんにとって、いい迷惑なんじゃないの?」と思ってしまうのは、
私だけでしょうか?
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by sawayoshi45 | 2006-05-10 23:59 | 人生のこと | Comments(4)

フジ子・ヘミング

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今日は寒い1日でした。
道東では雪が降ったそうな。
もうすぐゴールデンウィークだというのに・・・。




スピリチュアルな世界のことは正直よくわかりませんが、
美輪明宏さんと江原啓之さんの「オーラの泉」という番組はいつも観るようにしています。

今日はその2時間スペシャル。
仕事から帰って、録画したのを急いで観て、今これを書いています。
ゲストは船越英一郎さんと、フジ子・ヘミングさん、長谷川理恵さんの3人。

みな、それぞれに興味深いお話で、いろいろ考えさせられることが多かったのですが、
その中でも、私が最も感銘を受けたのが、フジ子・ヘミングさんのお話でした。

妻が持っている「美輪明宏のおしゃれ大図鑑」という本に、
ちょうどフジ子さんのことが書かれてあったので、
それをもとに簡単に紹介させていただきます。

フジ子さんはベルリン生まれ。
異国人の父親は彼女が幼い時に家を後にしました。
ピアニストだった母親に厳しくピアノを仕込まれ、
早くから才能を発揮していたにもかかわらず、下手だ下手だとしかられて、
決してほめてもらえなかったとか。
そして16歳の頃、病気で片耳が聞こえなくなってしまいました。

東京音楽学校(現・東京芸術大学)を卒業してもピアニストの職はなく、
留学を志しても国籍問題からなかなか実現せず、
ヨーロッパに渡ったのは30歳になってから。
日本からの送金は少なく、極貧を味わったといいます。

留学生仲間の妬みやそねみもひどかったとか。
約10年後、千載一遇のチャンスをつかみ、
デビューリサイタルを開催するところまでこぎつけたのですが、
練習中に高熱を発し、今度は聴覚を一切失うというトラブルに見舞われます。
まったく音が聞こえないまま演奏した結果、リサイタルは失敗。
それ以後、治療してある程度まで聴覚を回復し、ドイツでピアノ教師の職につき、
時折小規模の演奏会を開きながら、細々と暮らしてきました。

1995年、母親の死をきっかけに、何十年ぶりに日本に帰国。
母校の講堂や自宅でこじんまりとしたコンサートを開き、
それをたまたま聴いた人たちのクチコミによって、
その演奏の見事さは徐々に広がっていきました。
そんな彼女の波瀾の人生を、NHKがドキュメンタリー番組に取り上げたのです。

番組の中、要所要所に流れるフジ子さんの演奏は、
テレビを観ていた人たちの度肝を抜きました。
こんなクラシックは初めて聴いた、どこに行けばCDを買えるのかと、
全国から問い合わせが殺到したといいます。

「簡単に」と言いながら、けっこう長くなっちゃいましたね。

「大器晩成」という言葉がありますが、
ものすごい「遅咲き」といってもいいのではないでしょうか。

私はピアノのことはよくわかりませんが、
彼女が人生で味わってきたさまざまな思いが、彼女の演奏に詰まっているからこそ、
私たちはそれを聴いて、何かを感じるのかも知れませんね。

勉強も同じですが、小手先のテクニックだけじゃ何も伝わらないということですね。
私も気をつけなければと思います。

書きたいことはまだあるのですが、何だか長くなってしまいそうなので、
最後に言った彼女の言葉を紹介して、今日は終わりにしときます。

私は50歳になるまでテレビはなかったのよ。
今の人、みんなケータイ持たなきゃ気が済まないじゃない。
人間なんて食べるものがちょっとだけあれば、健康に生きていけるのよ。

神様は、いつも助けてくださっているのに、それに感謝もせず、
何で人間は「もっと、もっと、もっと、もっと・・・」とやるのかな。

人が持っていたら羨ましがって、
「オレもそれを持たないと不幸せだ」と思うことがとんでもないこと。
(今の人は)自分の中に同じだけの幸せがあるのに、それを見ようともしない。

現代に生きる私たちが、心しなければならない言葉だと思います。
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by sawayoshi45 | 2006-04-24 23:59 | 人生のこと | Comments(2)

人を裁くな

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無料の公立塾ができるそうな。
これって私にとっては死活問題?
う~ん、生き残るって大変よね・・・。




「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない」。
これは「ルカによる福音書」(6)に出てくる言葉だそうです。

今日の北海道新聞の「ひろさちやのほどほど人生論」。
以下、その一部を紹介します。

わたしたちは安易に人を裁いていませんか。
親が子に、「あなたのこの点がよくない」と決め付けるのは、
子を裁いているのです。
妻が夫の、夫が妻の欠点・弱点を言い立てるのも裁きです。
隣人に対しても同じです。

もちろん、司法官は裁判をせねばなりません。
「人を裁くな」というのは、裁判所の否定ではないのです。
イエスの言う「裁き」は、われわれが他人のとった行動に対して、
「わたしであれば、あんなことはしないのに・・・」と思う。
それが裁きなんです。

その人の行為そのものは法律で罰せられるでしょう。
しかしわたしたちが、それを愚かで間違った行為だと決め付け、
あのような行為をする必要はなかったと思うとき、
わたしたちは人を裁いているのです。
なぜなら、もうすでにその人はその行為をしてしまったのであり、
取り消し不可能だからです。

私たちは日常生活の中で、いかに人を「裁いている」か、
これを読むととても考えさせられます。

「あの人のここが良くないところ!」
「もうちょっとこうなってくれればいいのに・・・」。

さらに「人間誰でもいい面を持っている」とちょっと聞こえのいい発言さえ、
「裁いている」ように思えなくもありません。
そう決め付けているに過ぎないと言われればそれまでですよね。

1週間ほど前に「I think」という記事を書きましたが、
何となくそこにも通じるような気がしました。

私たちが普段感じていること、他人に対して思うことは、
あくまですべてが「I think」であり、絶対的なものではないということですよね。
そこを意識するかしないかで、
人間関係はまったく変わったものになるのではないかと思います。

私たちは神様ではありません。
みなそれぞれに欠点を持っています。
いや、ある人にとっては欠点に思うことことでも、
他の人にとっては、それが長所に映るかも知れません。

つまり、その人によって、その時によって、その状況によって、
長所も欠点も入れ替わるということだと思います。

私たちが人を「裁く」とき、その多くは私たちの「都合」に過ぎないのではないかと思います。
自分にとって「都合の悪いこと」「都合の悪い人」を排除する。
それが「裁き」といえるかも知れませんね。

ん? でもそう考えてみると、
この記事自体も過去に書いた記事も「裁いている」ことになっちゃうのかな?

う~ん、「人を裁かない」ってなかなか難しいですね。
私には無理かも知れません。
しょせん人間ですから・・・。

まあ、あまり「人から裁かれない」ように気をつけるとするか・・・。

でも、それはそれで何だか「偽善者」っぽい感じもするしなあ。
何だかわけがわからなくなってきましたが、今日はここまで。
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by sawayoshi45 | 2006-04-20 23:38 | 人生のこと | Comments(5)

成功論、失敗論

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「しょっぱいチョコ」って食べたことあります?
早速買ってみました「カカオ99%」。
「ひと口ぐらいなら」と思いきや・・・、
1ラウンドKOです・・・。



20代の頃は、「成功論」を語った本を良く読みました。
世の中で「成功者」と呼ばれている人たちが
「成功するためには・・・」と語っているのをむさぼり読んだ時期もありました。
その頃は、私もまだ「野望」でギラギラしていた、
つまり「上ばかり見て歩いていた」時期だったのかも知れません。

今は、そういった本を読むことはほとんどありません。
もちろん「野望」を失ったわけではありませんが、
「成功論」よりも、どちらかと言うと「失敗論(?)」のほうに目が行くようになりました。

大きな失敗をして自己破産した人や、ホームレス経験のあるような人が、
自分の「失敗談」を語っているのをよく好んで読んでいます。

「自分がそうなりたくない」という気持ちが強いからなのかもしれませんが、
こちらのほうが「人間の本質」をついているような感じがしますし、
何となく「奥深さ」や「優しさ」を感じます。
「自分の弱さ」を正直に語っている著者に共感をおぼえてみたり・・・。

「成功論」から学べることは、成功するための「方法論」ですが、
「失敗論」から学べることは「真の人間学」、そんな気もします。

「明るい場所(上の立場)から暗い場所(下の立場)は見えないけど、
暗い場所(下の立場)から明るい場所(上の立場)はよく見える」
というのは本当なのかも知れませんね。
子供がオトナの「痛いところ」を鋭く突いてくることがあるのも、そのためだと思います。

「成功論」とは、あくまでその人が成功した方法であって、
万人に通じるものではありません。
もちろん参考になる部分もたくさんありますが、
仕事の内容が違えば、成功の仕方も違うはずです。

それに「成功」そのものの定義も曖昧ですし、一時的なものである可能性もありますよね。
ちょっと前まで「成功者」と崇められていた人が、
一夜にしてすべてを失ったというのは、よく聞く話ですし・・・。

人間は「成功」からよりも「失敗」から学ぶことのほうが多い、とよく言われます。
自分の経験でも、うまくいっているときはその状態がずっと続くと思いがちで、
あまり物事を深く考えることをしなくなります。

「失敗」して、初めて自分の浅はかさに気付くこともあります。
でもまた、うまくいきだすとあまり考えなくなる。
「驕れるものも久しからず」といったところでしょうか。
まあ、だからこそ人生は面白いと言われれば、そんな気もしますが・・・。

ただ、そう考えてくると、
「成功経験者」(あくまで経験者であって成功者とはあえて書きません)から、
「成功した方法」を学ぶことももちろん必要かも知れませんが、
「失敗経験者」(こちらもあくまで経験者であって失敗者とは書きません)から、
「なぜ失敗したのか」を学ぶことも大切なこと、そう思います。

というわけで、今日は「成功」とも「失敗」とも言えないような、
何だか中途半端な位置のまま10年間過ごしてきてしまったサワダの戯言でした。
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by sawayoshi45 | 2006-04-18 23:33 | 人生のこと | Comments(8)

損得勘定

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妻が「カカオ72%」というチョコを買ってきました。
ひとくちつまんでみたら、これが苦いのなんの!
「99%」ってやつもあるそうな。恐ろしや。
でも、体にはいいらしいですよ。



「損得勘定」というと、あまりいいイメージはありませんよね。
「損得勘定ばかりしている人間」というと、何だかイヤ~な感じもします。

でも、まったく「損得勘定」のかけらもない人間って、この世にいるんでしょうか? 
人間である以上、多かれ少なかれ、誰にでもあるのではないかと私は思います。
それをオモテに出すか出さないか、それだけの違いではないでしょうか。

例えばボランティア活動に参加する。
確かに報酬を頂くわけではないので、一見「損得勘定」のない活動のように見えます。

でも、突き詰めて考えてみると、
ボランティアに参加して、「善いことをしている」という自分に酔っていることもありますし、
それによって「いい人」と思われようとしている自分が見え隠れすることもあります。

学校でのボランティア活動というのも、
学校にとっては「学校のイメージアップのため」、
生徒にとっては「内申書を良くするため」という匂いもプンプン感じられます。

ボランティア活動自体を否定したいわけではありませんし、
そういった気持ちを持ってはいけないと思っているわけでもありません。
そういった自分を「認める」ことが大事なんじゃないかということです。

「偽善者」という言葉がありますが、私は人間である以上、
ある意味、誰でも「偽善者」だと思っています。
だいたいにして、この世に完全なる「善」が存在するのかどうかさえ疑問を持っています。

私たちが「善」だと思ってやっていること、
それが自然や地球全体、宇宙にとって本当に「善」かどうかは誰にもわかりませんよね。
すべてが人間のただの「思い込み」に過ぎないのかも知れません。

自分こそは「善」だと信じて疑わない人をたまに見かけます。
口を開けば自分の自慢か他人の悪口。
一見、「自信満々の人」にようにも見えますが、私の経験で言わせてもらうと、
人間、自信のないときほど虚勢を張る傾向があるような気がします。

まあ、私にもそういった時期がありましたので、
そういう人の気持ちもわからないわけではありませんが、
やはり、ちょっと付き合いにくい相手であることには違いありませんね。

「本当に頭のいい人はバカのふりをして、頭の悪い人ほどインテリぶる」と、
何かの本で読んだことがありますが、これも一理ありそうです。

それに、よく考えてみれば、
本当に「自信のある人」の周りには、自然に人が集まってくるわけですから、
自慢する必要もなければ自己アピールする必要もありませんからね。

先日の記事でも書きましたが、
「自信のある人」とは「自分を正しいと信じる人」ではなく、
「自分の弱さや卑しさを認めることができる人」だと私は思っています。

「損得勘定」を持つことが悪いことだとは思いません。
心のどこかで「損得勘定」をしてしまう自分を認めることが大事なんじゃないか、
そう思います。

そういった自分を認めることで、
他人への「思いやりの心」も芽生えてくるのではないか、
そんな気がします。

ま、これも私の「思い込み」でしょうけど・・・。
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by sawayoshi45 | 2006-04-17 23:56 | 人生のこと | Comments(6)


【札幌の家庭教師 学びの森】   サワダと申します。


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